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その夜は不安な夜だった。そして僕はニューヨーク市の地下鉄をランダムに乗り継いでいた。特に積極的にどこかに行きたいという欲望があるわけではない。むしろ何ら今夜一晩の時間に積極性が望めないので、しょうがないのでそうやって時間を潰しているという風だった。

財布の中味ももうギリギリの底まで来ていることは自覚していた。しかし深夜であり地下鉄であり、またたまに電車が地上に出てきたところで風景も望めないことで、どこまで電車がいっても、それが何もない暗いチューブであるという印象は拭えなかった。下水道のような暗渠の中を巨大な牛のような機械が猛進を続けている。なんか巨大な人体の体内で腸の中を行ったり来たりしているという印象。そしてそんな印象が相応しいぐらいに生臭い電車であり駅であり地下鉄システム全体の不気味な有様だった。

ここで下手に無駄遣いしたくない。そう思っている僕の行く末は次第にある一つの方向へとむけられているようだった。それはJFK空港の近くへと、明日の安心を確保するために、地下の行脚は自然とそちらの方へと乗り継ぎが意識されていた。そうこうしてるうち遂にある路線の終点地点まで乗ってしまったようだ。もうこれ以上電車がないようである。

終点にしては中途半端で小さな駅のホームに立って、電光の時刻表を眺めていた。だってニューヨーク市の地下鉄とは終夜運行ではなかったのか?それは一部の路線に限ってのことであり郊外へと続く大半の路線は普通に終電があるようだった。日本の駅と比べてはるかに、そこでは純粋に機能的なものしかホームの上には存在せず、日本なら大抵の駅ならば自動販売機なり休めそうなベンチやら企業の広告やら案内の表示やらと、人の気分を和ませる工夫が、終点の駅というなら必ず何らか置いてあってそれなりに工夫されているような気がするものの、ニューヨークで郊外の終点といえども、そこは見事な殺風景で、終点だからといって改めて落ち着いて何か考えるなり、物思いに浸れる空間なりを与えてくれるような様子はなかった。

場所は色としても殺風景で、地下鉄の中からずっと続いてきたように、茶色い石の色、コンクリートならば埃とともにくすんだ色の印象しかなかった。ぼやっと茶色いホームにやはり薄暗い橙色の最も安い電灯の色というイメージしか存在しない地上、そして駅のホーム。

そんなところでかろうじて時代性を確認させてくれるような上方から吊るされた電光掲示板に電車の情報を読み取ろうとホームに立っていた僕に、一人の警官が声をかけてくれた。