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1.

革命書店のテーブルに出ているコーヒーは、それなりにうまかった。何かコーヒーにこだわりのある人が、そこでいつもコーヒーを用意して待っているのかもしれなかった。こういう風に外は冷たい風で寒い日にも、ふと雑多にやってきて気がついたら話が深い所に入り込んでいるような、そういう空間を街の中に持つということが、いかに偉大なことなのか。なんかそんな仄かで小さな偉大さが実感されるような、古びているが暖かいソファに座っていた。

「それじゃあ左翼の行き先が問題ですね。」

飯塚くんが言った。

「左翼とは、未来において続いていくものなのか、将来は、左翼運動とは巨大な規模に膨れ上がり、本当に世界中の人達が、何かの理由で立ち上がって、世界革命という名前で予言されていたものを、実現する瞬間が来るのか?」

そのとき、隣にいるいいとしに老いた白人の男二人までが僕らの話に耳を傾け目を見張るような気配を感じたが、相変わらず僕らは平然としながら、日本語でしゃべり続けていた。

「それか、左翼とは人類史の中では、ある一時期にだけ特有の、思春期の病のようなもんであってさ、社会と人間が成熟するに従って、それは人間にはありりがちな歴史上若気の過ちだったと自覚していくことで、世の中には、不平等と残酷も一定残りつつも、それらを別に見捨てるというのではなく、またそれが我々の視界から消滅するようなことに意味があるとか考えることもなく、人間というのは素からこういう生き物だったのだと人間と社会の限界を見定めつつ、静かに個人個人が自らの幸せをちゃんと確保しながら、社会が限界を迎えるような問題の数々については、冷静に理性的な態度で問題を一つ一つクリアするようになって、種が全体として生き延びる。そんな成熟した理性的意識の世界に、個々が個々を守りつつ、社会は完成していくのか。・・・」

「そのとき、人間にとって、革命ということはどうなるの?」

村田さんが首を傾げて訊いた。

「革命は往々にして若気の至りで終わる。しかし革命と変革は違うから。変革は静かに部分的に時間をかけて社会を改良していくものだよ。革命は無意味だけど変革は現実的で正しいと、人々はみな納得するようになるでしょうねえ。」

「革命というのは、社会を逆転することに人々が欲望するエロスを重ね合わせることだよね。社会が全体として、あるいは国家として未熟な段階ではそういう思い切った引っ繰り返しが意味を持つような幻想が現実化する時も、確かにある。それは今までの歴史でも何度かあった。しかし社会システムが、成熟に成熟を重ねると、もうそんな急激な変化というのはありえないということが、データ上でも明らかに証明できるような段階になるから。インターネット化した社会というのは人類がそういう段階に入ってることを実証するものだよ。」

天井の光が眩しい。


2.
「しかし、それでも左翼であるということに意味があるのならさ」

飯塚くんは持論を続けたがっているようだった。

「それは貧しい人、欠如を抱えて生きてる人が、社会の一部に身を寄せ合って、それでも自分たちの幸せな生活を確保できる空間を作ることで、なんとか生き延びようとするもの。それは互助的な生活の共同性としては、いつも現実的な意味があるよ。」

「彼らは決して、社会を革命はできない。全体をひっくり返すということは、単にできないというだけでなく、そういう想像も無意味である。ただ、社会の問題意識を見据える人々が、肩を寄せあって交流しあい、抵抗的に自分たちの存在を守りながら、自分たちの、支配されたくない生の姿を、まっとうしようということはできる。」

「つまり、その必要はあるんだから、集団としての左翼性は生き残るよ。というかそれは、とてもなくなりようがないもの」

「じゃあ左翼とは、社会の必要悪とでもいうものかい?」

革命書店の店内はそれなりに広かった。そして天井も高かった。上からは白い蛍光灯が容赦なく光り室内に照りつけていた。僕らの他に客は十人もいただろうか。室内はそのぐらいの状態だった。そんな空間だったが、日本語の議論は平然と続行されたのだ。

「例えば、警察の存在は、社会の必要悪だ。警察のない社会というのを、我々はとても想像することはできないよ。それ自体はどうしても嫌な要素を含んでいても、とても社会から消えてなくならないだろうということができるものはある。警察の逆に、マフィアやヤクザだって必要悪の部分を担っている。ドラッグのカルチャーは必要悪だ。売春や風俗営業は社会の必要悪だ。・・・」

「それらに並んで、左翼もあるということなのかねえ。・・・」

納得するように首をふり俯くというしかないふりをする村田さんに見えた。


3.
「まー、左翼にロマンを求めてもそれは決して幻想にすぎないということだね」

究極さんが答えた。

「左翼がどういう理由でなくならないのかは、わかったよ。それじゃあその社会の中の一部を埋めるという左翼は、結局どういう在り方に収斂していくんだい?」

僕は首をひねり訊いた。

「まー左翼の実際の在り方、というのも、煎じ詰めればそれは特に魅力あるとはいえないな。ある種疎外されてやってきた人々の身の寄せ合いというのは、結局最も惰性的なポイントを均衡点として落ち着くからさ」

「その最も現実化された在り方というのが、一晩中やってるような左翼とダメな人達の為の交流居酒屋ということよね」

「そう。それが社会化された現実の形態。目的は、ただダラダラのんべんたらりと、朝まで誰かと一緒にいられるということ。それ以上の目的はない。それは個人の居場所探し。それぞれ居場所を模索する中で、他者との共存を求めていく」

「結局、左翼とは最終的には、人間の惰性そのものを引き受けて、受け入れるようになるということ」

「それが結局、人が肯定されうる、という解決になっているということね」

「だったら何も積極的な意味はないよな」

「そうよ。積極的な意味なんてない。ただありのまま人間の姿を肯定し、受け入れるようになるということ。それ以上左翼が求めるのは、傲慢ということ。」

「結局そういう低いラインでの安定と均衡を可能にすることによって、心の安静を求めるのか。左翼の本能というのはそういう所に落ち着くのかな」


4.
「それでは社会の中でそのように居場所の承認された、左翼的共同体の内部ではどのようにして集団自身を確保すると思う?」

究極さんは空間の中で問うように言った。

「これはぼくらの共同居酒屋みたいな場所を作る人々の共通の問題でもあるな」

「けっきょくね。ダメな人、そして心を病んだ人の共同体というのは、自ら社会で受けたことのあるはずの疎外の形態を、もう一回そこで繰り返すことによって、集団の安定を得るんだよ」

「えっ。それってどういうこと?」

「つまりさ。彼らは最後に、集団の内部で、力学の安定点としてイジメの構造を見出して自ら安定するということだよ」

「これは精神障害者の介助や互助サークルの実例を見ていてもよくわかるんだけどさ。他人を否定したり、排除したり、それで集団の中にグループができれば立派にイジメの現象が成り立つんだけど。最後に、集団が集団としての安定を見いだすポイントというのは、必ずそういう暗黙の排除の形態、もっとはっきりいえばそれがイジメだけど、そういうネガティブなラインが、メンバーに暗黙に共有されることによって、安定し、持続的な関係を持つようになるんだよ。」

このとき究極さんの言葉には説得力があった。

「だから集団性が、集団内部の力学でその安定性を模索してる段階は、いわゆる内ゲバ期みたいなもんでさ。とにかく喧嘩は起こるわトラブルは耐えないわ、皆がわんさか問題を作り出し報告し合い、ちくりあうような段階がある。もしそのまま集団が解体しないで安定した状態を獲得して続くことになるというのなら、それは何らかの形でイジメの体制を、その集団が暗黙に学習したからなんだな。。。」

「つまり、最後の最後には、左翼こそがイジメの方法を、自らの集団が生き延びる為に必要としているということ?」

「そう。人間の攻撃性は消滅できないと、左翼の連中が自ら主張してるようにさ。結局その攻撃性を最も下世話なやり方で晴らすことによって、安定を勝ち取るというのが、左翼集団の法則だろうね」

「それじゃあ、左翼が暴力をなくすなんていうことは、ありえないじゃないの?」

「そうだよ」

究極さんは、悲しそうだが同時に冷徹そうにも見える顔をして言った。

「左翼から暴力を取り上げたら、もう何も残らないよ」