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1.
飯塚くんが言った。
「だから今では。。。アナーキスト系の社会学には、TAZという概念がありますよ。」
「タズ・・・なんだいそりゃ?」
「Temporaly Autonomie Zone、−−−という意味ですね。」
「なるほど。だから自律的に出来上がる自由の空間は、常に時間的だと自覚せよということか」
「なかなかそれはうまい言い方なんじゃないの?」
「まー、一つの場所から横にずれていくタイミングは、目に見えない合図を読み取るということでもあるなあ」
「空間にも生き死にがあるということだね。大抵の空間は一時期盛り上がった時期があるとしても、そこから死んでいく。再び無機的な状態に、あるいはもう気の抜けたような惰性的状態に、戻っていく。」
「それが普通でしょ。だからやっぱり問題は左翼ということに限らない。そこを訪れる主体の方の問題だよ。」
2.
そこからしばらく話は飛んで、革命書店でいささかシビアな議題というのは、微妙な痕跡を残しながらも薄れていった。その後何を話したかというと、日本人がアメリカで暮らすようになるためには、どのくらい法的な手続きが必要かという話だったと思う。村田さんはここ数年のうちで、自分がどんなことをやり繰りして今のブルックリン生活に至ったかということを僕らに話してくれた。
「もちろん普通のビザでアメリカに入国するとは違うから。生活することを目的にアメリカに来るのはそれなりにハードルがあるのよ」
村田さんは元気に、ちょっとした打ち明け話でも言うかのように自分の内側にあったことを自由に話してくれているようだった。最初に深夜のブルックリンのフライドチキンの店で連絡をとり迎えに来てもらったときからは、もうモードが全く逆転していた。一定根が楽観的な女性でないとアメリカに移住とか大胆な思いつきは実現しなかったのではないかと思わせた。
「永住権というのはどうなの?」
「それはグリーンカードでしょ」
3.
「グリーンカードは企業が身分を保障してくれるか先にアメリカに住んでる家族が保障してくれるかでないと出ないわね。それか本人によっぽど優秀な職能があると証明できる場合。ビザには、アメリカに在住できるランクとして幾つか区分けがあるのよ」
「まー、溢れ出る移民を制限したい国なんだから条件はいろいろあるだろうね」
「私はアメリカで労働して生活する権利のビザをまずもらったのよ。最初に移住の許可をもらうには貯金が300万円以上とか条件がちゃんとあってね」
「貯金が300万以上あったの?」
「それはすごいな。さすがだね」
「ははは。村田さんはまじめに日本で看護婦勤務の労働者やってたもんね」
究極さんが笑いながら彼女を弁護するように言った。
「なんだー、村田さんはやっぱ真面目なんだなー。」
「でもそれなりに、やっぱりアメリカの移住というのはハードル高いんだな。それだといい加減な気持ちでポンとアメリカに住みに来るというわけにはいかないからなあ」
「現実には、だから違法でアメリカに居着いちゃうという外国人がとても多いわけでしょう。」
「それはアメリカにとって建国以来昔からだね」
「いや。単に住む国を自分の意志で決めようというにも、生半可な覚悟でできないことはよくわかったよ」
「決断力がある女であることはわかったよ」
「でも決断の対象は何かというと。。。ずっと曖昧でもやもやしてるだけなんだけどね」
「いや。決断というのはそれでいいんだよ。むしろそっちのほうがいいかもしれない」
4.
そんなこんなを話しながら、革命書店のひと時を終えて、村田さんと飯塚くんとは別れたものだった。その後また翌日にも僕らは簡単に会えるだろうと思っていたのだが、結局あの革命書店が最後になってしまった。僕らがソファで飲み散らかしていたものをそそくさと片づけ、席をたち、店のドアを出て行くとき、村田さんは自分の大きな帽子を目深に被った。帽子を室内で脱いで話している時の村田さんと、外に出て冷たい風の中を切ってあるくためにコートと帽子を再び深く身につけた村田さんとでは、またイメージの濃淡に明らかに違いがあるようだった。しかし防寒のものを重く身に巻いた村田さんでも奥から元気のあるオーラが出ていて目が笑っているのはビームのようにこちら側まで伝わってくるようで、彼女の隣に立っていることはそれだけで暖かくなってくるようだった。外はまだ明るいが空気は真に冷たいことはわかっている。帽子を被った村田さんに、ドアを出る時にふりむき声をかけた。
「あっ。なんか村田さん。その感じ、スザンヌ・ヴェガに似ているよ」
村田さんはニコニコしながら立ち止まって答えた。
「えっ。スザンヌ・ヴェガに?」
僕らはそうしてチェルシーの一角の裏通りから抜けて、人が大量に流れ行き来している方向へと出て行った。