25-1

1.
42番街で買ったアメフトのボールを枕にして床の上に寝ていた。JFK空港の待合ロビーである。室内は特に寒すぎるということもない。しかし夜の間に外は激しく吹雪であったことは知っている。その痕跡は今でも伺われる。着ていた黒い革ジャンは下の床に熱が奪われていくのを防ぎ、ニューヨーク市立大アートン校に向かう途中の道すがら中東系の浅黒い男が経営してる小さな店で買った褐色のコートを毛布のようにかけていた。それでなんとか短い夜のうちを過ごせたようだ。

目をあけると室内はさっきよりも何か慌ただしい。人が雑談する声も響いている。それは他者たちの世界からたしかに声が聞こえてくる。そこには確かに他者がいる証拠だ。疲労と覚醒の合間に朦朧としながら意識が形を取ってくるのを待っていた。

意識が人間の形をして再び戻ってくるのを、ぼおっとした気持ちで待ちながら、僕の頭の中に、反復し、響いていたのは、何故だかスザンヌ・ヴェガの歌だった。思えばそれは不思議な曲だった。不思議な意味の歌だったかもしれない。僕はずっとこの歌の意味がわからなかったのだ。



2.
ぼくの名前はルカ
ぼくは二階に住んでいる
ぼくはきみの上に住んでいる
そうきみはぼくの事を見た事あるはずだ


きみが夜遅くに何か聞いたら
何かのトラブルか何かの諍いか
それが何なのかぼくに訊いてはいけないよ
それが何なのかぼくに訊いたらいけない
それが何かぼくに訊いたらだめだ


それはぼくが不器用だからか?
ぼくは大きな声で語らないようにしている
それはきっとぼくが気違いだからだろう
ぼくはプライドを見せないように用心して行動するのだ


奴等はきみが泣くまで殴り続けることだろう
そして後できみは何故かと問う
でもきみはもうこれ以上議論しなくていい
きみはこれ以上言わなくていい
きみはこれ以上言い争わなくていい


そうぼくならOKさ
ぼくはもう一度ドアを抜けていくよ
きみがぼくに何を訊こうと
もうきみが関ずりあう問題ではないと
ぼくはきっと独りでいたいのだろうと思う
何も壊されず何も投げつけられずに


でもぼくがどんなだったのかは 訊かないで
ぼくがどんな風にいたのかは 訊かないで
ぼくがどうしていたのかは 訊かないで


ぼくの名前はルカ
ぼくは二階に住んでいる
ぼくはきみの上に住んでいる
そうきっときみはぼくの事を見ているはず


深夜にきみは物音を聞く
何か災いか何か争い事か
でもそれが何か ぼくに訊いたらだめだ
何だったのか 訊いたらだめだ
何があったのかは ぼくに訊かないで


そして彼等はきみが泣くまで殴りつけることだろう
その後にきみは何故だか問わない
きみはもう言い争いしなくてよい
きみはもう争わなくてよいから
もう言い争いしないでよい



3.
歌は時折反復する。全く無意味に無根拠に突然反復するものだ。気がついたらもうそれは反復している。音楽が、あるいは歌が何故反復するのか。きっとその意味も問うてはいけない。というかそれは問うたら何かが壊れるといった類の経験だろうか。そんな気がする。

半身を起き上がると、横には掃除のおじさんがモップをかけている。イタリア系かスペイン系かといった感じのおじさんだった。

大きく外に面しているウインドウからは灰色の光が入り込んでいた。そこは分厚く頑丈なガラスによって外の冷気と中の室温は安全に隔てられているのがわかる。空港の朝なのである。胃の辺りを触ってみると、かすかに昨夜ももたれていた感触はあるみたいだ。でもそれほどでもない。昨夜最後に食べていたものは売店で焼いていたNY名物のベーグルである。事態は決して酷くはならなかった。硬く弱冠は緩くしかしひんやりともした空港の朝を体感した。