C調言葉に御用心

80年代のはじめぐらいに、サザンオールスターズの『C調言葉に御用心』という曲が流行った。C調という言葉の意味だが、これはAがまず男女交際の関係においてキスを意味するなら、B、C、という段階によって何かエッチな事の階梯を意味するとか、学校の噂話では罷り通っていて、僕もそのように納得してしまったものだった。もちろん歌詞を書いてるのは桑田佳祐である。しかし「C調」という言葉の由来は、植木等が無責任シリーズで使っている言葉であって、要するに、調子がいい、というのを、シー調といっているのである。Cメジャー=ハ長調の明快な音階の事にもかけているのだが、元はいわゆる業界用語的に広まっていた言葉であるそうだ。サザンの曲が流行った80年代でも既にこの言葉を使うのは珍しかっただろうが、今ではもう全然聞かれない隠語ではある。

このように植木等クレイジーキャッツの映画『無責任』シリーズから、現在にまで至る風俗的な変遷の模様をいろいろ読み取ることはできる。まず映画の中の定番として演じられるハナ肇植木等の関係性であるが、これの基本はボケとツッコミの関係で成立している。植木等はどこへいっても常にボケ役を演じているのだが、時に谷啓がツッコミ役で機能していることもある。ハナ肇と植木の関係は、後にドリフターズの場合の、いかりや長介加藤茶の関係性として反復されることになるだろう。クレイジーキャッツに限りなく影響を受け、コピーして出てきたドリフターズにとって、メンバーの役割とは、ほぼ構成が同じものであった。ドリフターズ谷啓役を演じたのは、仲本工事荒井注であったといえる。それでは植木等的なボケ役の更にそのまた元祖は誰に当たっているのだろうか。そこまで僕は調べられていないが、コメディを演出するにあたっての人物構成図が、クレイジーキャッツの構成によって出来上がっていたのを見ることができる。

いわゆるコミックバンドというスタイルがこの時出来上がっているのだが、一つのバンドが同時にバンドのメンバーを総動員しながら喜劇の舞台も演じることのできるスタイルというのは、欧米にもあったのだろうか。当時から最も影響が強かったはずのアメリカのバンドのスタイルだが、どうもやはり日本のコミックバンドに相当するようなもの、クレイジーキャッツより前に当たるそのような存在が見当たらない。あえていえば、アメリカではモンキーズが、バンドでありながら同時にドラマの役者もメンバーが兼ねるというスタイルを持ったが、しかしそれはクレイジーキャッツの後に出てきたものである。モンキーズが意識していたアイドル的演出はビートルズを模倣したもので、ビートルズも揃ってコメディを作ったりもしたが、日本のクレイジーキャッツの方がやはり時間的に先である。あえて言えば、もともとサーカスなど、旅芸人のバンドは、同時に喜劇も上演しながら旅回りをしていたものであって、その古くからの慣習がクレイジーキャッツのスタイルに繋がったといえるのかもしれない。*1しかしこのファミリーバンド的な編成のコメディスタイルも、基本的にドリフターズの段階で終わることになる。要するにそれは、お笑いとバンドがカップルになって、興行としてよく売れるという時代の傾向だったのだ。

植木等の演技の付け方というのは、あらゆる意味で後々の基準になっている。植木等が最初に作ったジェスチャー、スタイル(例えば、スイスイスーダラダッタと言いながら首を引いて腰を突き出し、手で泳ぐ真似をしながら立ち去るポーズとか)は、今でもお笑い芸人がよく使っているボケ用のジェスチャーとして、スタイルの原型を見ることができるはずだ。ギャグの出し方、頓知の効いた台詞の捻り方など、既にこの時の植木等のスタイルが、今あるギャグのスタイルにとって殆どの原型になっている。(バーでホステスのからだを触ろうとしてバチッと手を叩かれる。「あちちっ、血行よくなったよ」と植木がノタマウ。)無責任シリーズの脇役で重要なポイントにつけてるのは、特に由利徹の役回りである。由利徹の演技のスタイルも、後に重要な影響をコメディアンとして与えているはずだからだ。(由利徹は1999年に他界している。)加藤茶の演技の付け方というのは、基本は由利徹から受け継ぎ、コピーしたものだといえるだろうし、無責任シリーズで演じたバカ社長のイメージは、そのまま志村ケンの演じるバカ殿のスタイルにまで繋がっているだろう。

由利徹風演技でわかりやすいのは、首を神経質な感じで小まめに振るという仕草である。そして肩が凝ってるのかどうかわからないがしきりに肩を回す。そこに、ウィッス、と酔っ払ったゲップの真似でも入れれば、立派に由利スタイルである。この神経質に細かく首を振り肩を回すというのが後に、ビートたけしのやる工事現場のおっさん酔っ払い芸に展開している。そして松村邦洋が、たけしの物真似をやる時の基本が、この首振り・肩回しになっている。日本の演技史の様なものが振り返られるなら、由利徹という日本映画にとって定番的な脇役の果たした役割というのは相当大きいものであるはずだ。由利徹の芸の付け方の起源とは、それでは誰なのだろうか?わかりやすく考えれば、やはりあれはチャップリンなのかなという気もする。ビートたけしに見られる芸の基本、ジェスチャーの基本もチャップリンから遡行して見たときに理解するのが最もわかりやすいと思っていたのだが、しかし改めてクレイジーキャッツの映画を見てみるに、チャップリンの演技からビートたけしの演技にまで至る過程でも、その間幾つかの媒介項と進化的過程が、日本映画の中にあったのだなということが分かる。

*1:要するに、キャバレーの営業でやる演奏が、お笑いを交えながらバンド演奏というスタイルをとるのが、当時一番受けがよかったということだと思うのだが。キャバレーで演奏することは当時のミュージシャンにとって数少ない金銭の受け口に違いないということはあるわけであって。しかし今時のキャバレーでは、もうバンドは演奏に専念することが主であって、余計なお笑いショーを加えることの方が珍しいものに段々なったのだろう。