宿無し

さて。季節も変わりつつある。もうちょっと暖かくなると活動しやすくなるのだが。自転車でうちから吉祥寺までいけるくらいの余裕のある気温になればよいのだが。うちから吉祥寺まで距離は18キロほどである。好みのサイクリングは、自転車でいって、牛鉄の吉祥寺店で焼肉食って、また自転車乗って帰ってくることである。牛鉄は素晴らしい。あんなに良い焼肉屋はちょっと他にありえなだろう。安くて旨いという形容詞はまさに牛鉄のためにあるようなもんである。実は今日近所の有名チェーン牛角で、せこく一人焼肉をして安く済ませたのだが全然満足できなかった。やっぱりあの感動は吉祥寺まで出て行って、それで牛鉄でなければありえないのだ。

ふとがね金太の映像が急激に懐かしくなってYoutubeを検索かけたのだが、ふとがね金太ではまだ入っていない。ツイストと世良公則の映像だけが出てくるが、それで久しぶりにツイストのマイブームにはまってしまった。これで、ふとがね金太の映像が発見されればもう申し分ないだろう。金太はツイストのドラマーだったが、日本人のロックバンドでドラマーというと何故だか金太のイメージが強固なのだ。個人的で時代的に固有の体験なのだろうか。世良はまだ現役だろうし、ベースだかギターだかの鮫島は、たしかハウンドドッグでやってるのではなかったろうか。ふとがね金太が今どうしてるのかは不明である。ハウンドドッグといえば大友康平だが、大友は映画の役者として随分と定着している。井筒監督の映画ではいつもはまり役であり、「のど自慢」という群馬県桐生市のNHKのど自慢大会をテーマにしたあの映画はよかった。父親役がはまっていた。大友康平が実は僕の近所の出身だったということを知ったのは、ハウンドドッグが仙台のバンドとして出てきた頃からずっと経ってからだったのだが、実は大友は埼玉県人で東上線の近辺だったのだ。高校は川越工業だったらしい。ハウンドドッグが仙台からデビューしたのは大学でそっちのほうにいったということ。

それでツイストの話に戻るが、ツイストといえばやっぱこれだろう。「宿無し」。世良のスタイルに表象され滲み出ているのは単にマチズモというのではなく、やはり時代的なジェンダーの意識が反映されているのだ。70年代とは同一性の強化に走った時代であり、その外部は見失われていたのだが、これは近代システムの一時期に特徴的な段階の傾向だったのであり、このような同一性の中にある関係性の単位が、家族から共同体、生産のシステムを効率的によく働かせる機能を担っていたのであり、ジェンダーが強固に突出してシンボル化されてあることは、生産共同体のある種の形態として、必然的で効率的な形態であり、70年代とはそのような経済効率性のよく機能した時代だと、単に回顧しうるまでなのだ。それ以上に世良のスタイルにも過剰な意味はない。映画でも音楽でもテレビドラマでも、それらは効率性をよく反映しながら回転した。懐かしい70年代のテレビドラマ。それが大衆的な文学性、コードの水準である。ムー一族。時間ですよ。寺内貫太郎一家。・・・春には最も相応しい、この曲を。