受験の歴史

1.
日本の受験制度とはなんと奇妙なものだろうかとは、日本で生きている人々であっても皆がずうっと長い間、薄々感じている事態であるのだろうが。この奇妙な学習と選別の体制とは何故出来上がったのだろうかと。そしてそこを経験したことのある殆どの人が、この受験制度の下らなさと無意味さを認識してはいながらも、何故この制度とはそれ自体で今でもずっと存続しているのだろうか?

日本の発明した最も肝要で本質的な社会制度の在り方とは、恐らくこの受験システムを形成する奇妙さの中にあるといっても決して過言ではない。受験システムの起源とは何なのか。そして受験システムとは、日本の社会にとって日々何を生産し、再生産し続けているのか。そしてこの受験システムの行き先とは何処なのか。この受験システムが遂には死に絶え、社会は受験から解放され、もっと合理的で意味のあるシステムに変わることができるのだろうかと。

2.
日本の受験制度と学校制度の特殊性について考えてみよう。日本の受験制度とは、日本人の無意識を形成している。日本の受験制度とは、日本社会のルールにとってとてもドメステッィクなものとして機能する、日本の特徴的な学歴システムの為に存在している。学歴と労働力の生産、再生産の為に、この受験制度とは、日本の近現代史において、もう100年以上に渡って機能してきたのだ。それは労働力の価値を学歴の値によって基礎付けてきた。日本人の労働力としての勤勉さとは、これら学校制度への忠誠と信用として根拠付けられてきた。

日本に資本主義が明治の時代に勃興してからずっと、日本の資本主義を基礎付けてきた労働力の信用とは、根拠として学校制度に基礎をもっている。そして日本の学校制度をずっと支えてきた信仰とは、学歴の価値に対する信仰である。学歴という価値を根拠付けるためには、日本では特殊に発達した受験という制度が、学生の価値を支配してきたのだ。

これは近代以降日本人の価値観というのを、無意識的な意味でも深く支配している。最も日本人を深く支配してきた独特の価値観といえるものだ。それでは学歴の亡霊から自由になるとはどういうことなのか。そのようなことは日本の社会にとって如何にして可能なことになるのか。学歴意識とは日本人にとって無意識的に蔓延する、特徴的なある種のニヒリズムである。

3.
この学歴を基礎付けている根拠としての受験制度の歴史を遡ってみよう。明治維新による学校制度の近代化政策として、大学制度と大学の全国統一的な序列化は現れたが、そもそも大学の入学資格を受験の形で制度化するものとは、中国の歴史にあった科挙制のシステムに起源をもっている。日本型受験の起源とは、中国の科挙制度にある。科挙制度とは前近代の中国社会が持っていた官僚育成のシステムである。国家官僚の育成と登用の為にそのシステムは最初に中国で発明された。

科挙制とは、隋から唐代の頃には始まっていた。それは古くからあったとはいえ統一的な制度として出来上がり、全国制度として一般化したのは、中国でも宋代と明代の時代である。中国の社会で官僚となって出世するにあたって必要とされた能力の開発がそこでは研究され究められた。

これら前近代の中国にあって、官僚の条件とは、読み書きの能力から、教養力、道徳的な認識の能力というのが試されるものになった。科挙制度の基準と為ったものは儒学である。儒学の教典を基礎にした教養力とリテラシーが、試験による選考の条件となって規範化されたのだ。科挙で試験範囲とされたのは、論語孟子、大学、中庸といった儒学の教典であり、それらは「四書五経」と呼ばれている原典的なテキストである。

日本では江戸時代において、儒学徳川幕府御用達の官学として取り入れらているが、まだ全国的な統一的な制度としての官僚登用制度は存在しなかった。各藩において地方でそれぞれの官僚育成が為されており、官僚的な学問と道徳の基礎として、儒学は江戸時代に日本でも採用された。江戸時代における各地域の学校とは、それぞれの藩で受け持たれていた塾の存在であり、私塾としてそれは、日本の各地域で教育をもち、武家から商家、庶民の教育機関として始まった。私塾としての学校の段階にあって、教育のスタイルとは、各地域、各師範によって任意に試みられた。

4.
そして明治維新である。日本は西洋の列強国と関係をもち、そこにある競争に参加するために、統一的な近代化政策を施行することとなった。そこで教育機関、学校制度の国家的で統一的な確立が施されたのだ。日本国家の学校制度は、西洋的な規範にならい、大学を頂点にする制度を中心にして、そこから下へとピラミッドの底辺が伸びる形で、一般市民、庶民への統一的で平等な教育機関の創設がなされた。

大学の前提として高等学校の制度があり、高等学校の前提として中等教育があり、その前提としての小学校の制度が全国に普及された。小中学校では、全国民に共通と見なされる、基礎教育の機関が持たれた。また小中学校に通わされることは、国民にとっての義務教育だとされて強制的なものとされたのだ。小中学校については義務教育であり強制的な機関とされるが、そこには受験に該当するような選抜制度はない。誰もが平等な資格で、小中学校の教育は無償で受けられるものとした。

受験という選抜のシステムをもったのは、上位の教育機関であり、しかしそこの教育を経て卒業が認定されれば、日本の社会の中で、官僚的な人材として承認され、就職することができるものとなり、重要な点は、この上位機関への選抜において、家柄、階級に関係なく、誰もが国民として平等に、試験を受けられる条件を所有することとなる。

すなわち、明治以降の官僚的人材制度とは、そこに難しい試験の選抜制度をもつことになったが、その代わり上位機関への登用が、身分制度や金銭的な格差から解放され、国民において平等に、上を目指せるチャンスを持てるものとなったことを意味する。身分においてチャンスの機会が平等であることになったと同時に、そこには複雑怪奇な受験制度というのが持たれるようになったのだ。