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1.
どこの国のどこの都市にいっても人間の行動様式というのは大体同じものだろうか。

ニューヨークにいながらにして客も店員も日本人しかいないという居酒屋あるいはバーの中を見渡してみて、そういう既視的な法則を感触として改めて納得しうるものだった。

「このニューヨークを革命ねぇ。・・・どうやったらそんな大胆なことイメージできるのさ?」

隣の半分酔ってるような究極さんに僕は聞いてみたのだ。

「そういえば、ニューヨーク革命計画という本があったよね。」

究極さんが呟いた。

「それはロブ=グリエの小説でしょう」

「しかも昔日本でも出ていた小説だな。今は絶版で手に入らないというか、とてもそんな小説読むような人がいない。」

横の飯塚くんが、我に返ったようにしっかりした突っ込みを入れた。しかし彼のほうも結構酔ってはいるみたいだ。

「つまりそんな小説だよ」

飯塚くんはそう押し付けるように加えて言った。そしてまた酒をぐいと煽った。

「ニューヨークに渡っていった日本人の連中というのは、結局こういう場所で日本人だけでまた集まって、だらだらしてるのかい?」

僕はカウンターに立つ村田さんに聞いた。

「別にそんなことないと思うよ」

村田さんは素っ気無く言った。

「でもこういう場所は必要でしょ」



2.
「必要というか、必然的に出来上がるな。こういう場所が。物の成り行きとして」

「そう。どこの国から渡ってきた人々だろうと、見知らぬ国の土地で結びつく方法として、こういう場所が成立することは一般的だよ。どう考えてみても理に適ってる。」

「日本だって、在日の外国人が集まるこういうコネクションは、幾らでも見つけることができるでしょう」

「そうだね。いつの時代でも人口のマイナーな何割かが、ぶらぶらしてる人達だというのは、自然なことだ。何も不思議はないよ」

飯塚くんはそう達観してるように酒のグラス片手にして言った。

「特にニューヨークだから、そういうぶらぶらする人々が目立っているということはある。むしろそういうブラブラ族が主体となって都市を作るとこういう街になるということだな。」

「それで田舎者がわんさかと一個の目標としての都市に集まってくると、ある種の強固な幻想が象徴のように聳え立つわけねぇ。」

「その街にはどこまでめくっても中味はないんじゃないの?」

カウンターの中にある熱い容器の中では、おでんがぐつぐつとうまい具合に煮え上がり湯気をたてている。ニューヨークの地にあってあのおでんはとても旨そうに見えるものだった。

「そう中味はないさ。所詮、掘れば掘るほど出てくるのは、何かの間違いでここにやって来た田舎者の群れだ」

僕は、田舎者というちょっと刺のあるフレーズを繰り返し使っていた。



3.
「東京だって、イランから来た人々とか、中国から人々とか、アフリカから来た人々とか、専門に集まる独自のスポットが、探せば至る所に見つかるはずだ。池袋とか、六本木とか、それらしい場所は大体見当がつくよ。」

「その通り。東京にもあるしニューヨークにもあるわ」

村田さんがカウンター越しに頷いた。

「埼玉のうちの近所でも最近イラン人のような顔した日本語をよく喋れない人達が店を出した。昼間にカレーを出してるエスニック料理店だな。最初はなんとなくイラン人の店だと漠然と思っていた。」

「差別的な思い込みかもしれないけど、浅黒い顔した外人が店をやっていると、なんでもイラン人というイメージに結びつけてしまうよね」

「漠然と。悪い癖なんだろうけどさ」

「それで最初は近所に出来た珍しい店だと思って見ていた。店を開いた最初の時期は、まだお客もいないし内装も整ってないし、屋台のようなものを出して、それで浅黒い人が一人店番に立ち、横にラジカセで、言葉のわからない向こうのヒップホップをかけていた。埼玉あたりの平和な住宅地でそういう店が商店街にできると、相当違和感がある。しかし店番に立つ浅黒い外人の若い男は、いつもそんな空気は読まないようで、一人で屋台の横に立ち、暇そうにしながらいつも客を待っていたさ。」

店員の女の子が、僕らの方に向かって、おでんを取り分けた皿を出してくれた。よっぽど物欲しそうにおでんの容器を見つめていた僕らに気づいていたのだろうか。僕は地元の話を続けた。

「しかし時間が経つうち、その屋台の店も段々店の体裁が整ってきた。ちゃんと普通の飲食店の店構えを内装工事して作り、昼から夜まで決まった時間に営業を継続するようになった。その物珍しい店にそのうち僕も何度か通うようになった。最初はランチのカレーを利用したんだけど、夕刻になると店の前に屋台を出して、ケバブのようなものを焼き始めた。羊の肉を串刺しにしてよくタレに漬けたものを、日本の焼き鳥のようにして焼いて売っている。」

「それを買って食ったらこれがすごく旨かったんだな。羊の肉をエスニックな香辛料で漬けているんだけど、夕方のその屋台に何度か通ってるうちに、僕は、店員に、このタレはどうやって作ってるかって聞いたんだ。そしたら、日本語もたどたどしい浅黒い顔の痩せ型の男は、企業秘密です、と言って笑っていたよ。それで、僕はそれまでこの店が、イラン人かあるいはそれに類するような中東系のコネクションが出店した店だろうと漠然と思っていたんだけど、店員と話していたら、彼等はバングラディッシュから来た人々だということがわかったんだ。その店で働く何人かの浅黒い外国人とは、町の中で近所を散歩してる時、こっちが自転車乗ってる時とか、時々すれ違うこともあるんだ。彼等は、そのうちファミリーも連れてきて、そうして埼玉県に住むようになっている。」

「でもね。そういう移民が町の中に住んでいるというのは、普通の国では当然のことでしょう。」

「日本はつい最近までそういう人々が珍しかったか、いても日本人と余り見分けがつかないアジア系の顔した人種ばかりだった。しかし国の成り立ちにおいて、黒人だろうと白人だろうと、移民が町の中にいるというのは、そっちのほうが常識的な事態でしょう。本来。」

「二十世紀以来の国際常識というレベルで考えたらそうだね。日本はその辺先進国にしては遅れていたはずだ。」

「そうだよねー。日本も変わったんだよね。でもニューヨークはずっと昔からこうなんだ。ずっと昔からニューヨークは進歩的だし、かつ変わっていない。」

「ネバーチェインジ、ニューヨークシティねっ!」

究極さんが駄洒落のようにそう言い放った。
僕らは、街の中を一日中ずっと歩いてきて、疲れていて、そして酔っ払っていた。


●(何故だか僕は、アメリカ的な大都会で、例えばニューヨークやロサンゼルスのような都市でそこを行き交う人々について思いを馳せる時、こんな曲のことが頭に浮かんでしまうのだ。アメリカの90年代のヒット曲だが、見事な一発屋で終わった、「4 Non Blond」というバンドの曲である。強烈な女性ボーカルを中心に措いたバンドであった。アメリカでもやっぱり一番ヒットするタイプの曲とは、ある種の演歌にあたるものなのであるということで、この現象は普遍的なのだ。)