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イーストソーホーの一角に開かれていた小さな日本人の居酒屋のカウンターテーブルには、僕らよりも先に飯塚くんが居て腰掛けていた。カウンターの中には三人ほど日本人の女性が店員で並び、飯塚くんは彼女らに声をかけ、おでんやらうどんやらの食事に、そして日本風の酒の種類を楽しんでいた。サワーとかホッピーとか一言でいって了解できるのは、日本人の店ならではのことだ。

「飯塚くん、専門の空想社会主義の話を聞かせてよ」

究極さんがビールのジョッキを口に含みながら語りかけた。疲労の表情が見える究極さんは、酒が入ると、随分とまたざっくばらんな地の性質が復活してきそうな感じだった。

「このニューヨークという街は、果たして革命できそうな街なのかい?」
「ニューヨークを革命か・・・それは難しそうですね」
飯塚くんもほろ酔いかげんの赤い顔をしていたが、顔を赤らめるような色合いの飯塚くんは、ふとそこで考え込んでしまった。

「ニューヨークは革命を施すべき街ではないよね」
カウンターの女の子が言った。

カウンターに立つその店員は、太めの女の子で、カジュアルな普段着のような服装で店に立ち、それで店員の中でも一番よく笑ってるような太った女の子だった。こういう女の子もやはりニューヨークへとふらりと日本から暮らしに来たりするものなのかと、僕は彼女の雰囲気を眺めながら妙に納得したものだった。

「ニューヨークとは、ただそれだけで純粋な運動体であって、ただその目の前で起きてくる運動を、ただただ眺めているしかないものである」

究極さんはビールのジョッキを飲み干すのに熱中するようなふりをしながなら、ふとそんなフレーズを僕達に向けて浴びせかけた。

「究極さん、それはなんか詩のフレーズみたいですね。詩人の霊感がこんな場所で降りてきたのか」
飯塚くんが究極さんに返して言った。僕はその光景を眺めながら、切り返した。

「それじゃあ、ニューヨークで人間の為している行為というのは、ただそれだけで正しくて予定調和に導くということなのかい?」

「ニューヨークシティにおいて、個々の細部において、個人の為している行為というのは、むしろ間違いが多い。個人の行為は間違いに満ちている。しかしそれが大量の総体となって、一個の巨大なデータの塊として、街の大きさに拮抗して現れてくるとき、そこで個々の間違いは修正され、全体としては一つの正しい運動として、街のエネルギーは認識されるであろう。」

究極さんは相変わらず、酔っ払っているのか神ががっているのか分からないような調子で、そんな風に返した。

「へー。そりゃすごいね。ニューヨークシティの上空には、神の御心がしっかり働いているということかい」

「ニューヨークを好きになれるか否かというのは、ここにある人間の多様性を愛せるか否か、ということですねえ」

飯塚くんが遠くを見るような目をして、自分の酒のコップを前に掲げ、そんな風に呟いた。

「なんでかって言うと、実際に目の前に人間の多様性というのが差し出されると、人間の多様性って、実は面倒くさいじゃないですか」

「そうそう。一々面倒みてやるのがもう疲れてくる。むしろ多様性とは面倒臭いよ」
僕はなんか自分の感情に即してそんな風に思ったことを言った。

「ニューヨークって、実は田舎者の集積でしょう?」

そう言うと、太った若い女の子の店員は、僕のことをまじまじと見つめた。

「ニューヨークとは、巨大な田舎者達の集合所のことだよ」