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古びたような年季の入ったようなコンクリートの壁にやはり古びたような光の中に、イーストソーホーでその居酒屋は存在していた。カウンターに座っている客もカウンターの中に立つ店員もみなそこでは日本人のようだったが、そのカウンターに腰掛けている一人に、既に飯塚くんがいた。村田さんもカウンターの中に立っていた。他には二人ほど女性の店員が店を動かしていた。作りは全く日本らしくなく、コンクリートの打ち付けの地下室に軽く地味な塗装をぬっただけのバーだったが、そこだけ日本の空間がそのまま海を超えて移動してきたかのような擬似空間が出来上がっていた。下手すると見間違えてもいいような寛容な空気の中でそのバーが佇んでいるのがわかった。

「どうも」

声をかけ飯塚くんの隣の空いている所に僕らは腰掛けた。どうもというとき、寿司屋のカウンターのように手前に生物の食物がガラスをかけて並べられているその先に立つ村田さんと、他並んでいる二人の女性店員にも声をかけ軽く頭を下げた。

「この店すぐにわかんなかったよ」
「ちょっとわかりにくいかもね。ごめんね」
そのようにして僕らにとっても目の前にすべてが日本語で動く空間が起動したのだ。

カウンターについていたメニューを開くと、おでんとか焼き鳥とか、それに日本酒に日本のビールに、塩辛やお新香まで出ていた。
「あっ。蛸わさびなんかある」
僕は言った。
「蛸わさび注文しようっと。究極さんもたこわさびどうよ?。おれ最近たこわさび、はまってるんだよ」
「あんまり食べないよね。たこわさびって」
セブンイレブンいくと最近たこわさびが売ってるんだよね。もちろん日本のセブンイレブンのことだけど。それで食べていたら最近たこわさびが病みつきになってしまっていたんだな」

それで僕らは、たこわさびにビールを注文した。他には、おでんも焼き鳥もお新香も、全くいつもの要領で自然に注文した。この店の構造を見ると、奥にはもう一つ暗いスペースが続いているようであって、そっちのほうは個別のお座敷になっているようだった。店内には何故だか、アース・ウィンド・ファイアーのセプテンバーが大音量で流れていた。居酒屋というかバーというかディスコというか、わからないような雑多で煩い空間がそこには出来上がっていた。しかし何故だかその場所は日本居酒屋なのだった。セプテンバーの曲を聞きながら村田さんはそこで上機嫌であり、ノリノリの様子で、座敷とカウンターの間を何度も往復していた、なかば踊っているような足取りで。ニューヨークに来ると日本人の性格まできっと妙に楽観的になってしまうのだ。出てきたのはビールに蛸わさびだった。蛸わさびを啜りながらビールを喉に注ぎこみ、このディスコのような低音を響かせても平気な頑丈な地下室のバーと、出来上がっている妙に喧騒した空気の居酒屋を前にして、何か安心したような気分に近づいていた。究極さんも店が見つかってから、ほっとしているようだった。ここにいる日本人は若い人ばかりでそして楽観的な様子だった。店員でカウンターに立つ女の子は、普通の日本人の女の子で、普通に日本語を使って話していたが、彼女たちもやっぱり何気にニューヨークにやってきて、そして住み着いている人々なのだろう。そういう日本人はニューヨークには多いのだ。そしてそういう外国人が繋がる在り方も、ここニューヨークという街では古くからマニュアルが確立しているに違いないのだ。外国人には異国の地で外国人の流儀があり生き方がある。その生き方のマニュアルにおいて、抽象的に、どこの国から来た民族であっても、生き延びていく方法が同じものとして、客観的に保証されているのだろうて。