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夜の気温はまた氷点下にまで極端に冷え込もうとはしているものの、この繁華街の発する活気の熱は、単なる数値的な気温の指標の怖さを、温暖な国から訪れた旅行者に忘れさせてしまうに十分なほどだった。

ストリートは、派手に明るく、そして冷え込みの中にあっても熱い。しかしいささか古びて老朽化も目立つビルディングの、地下の方へと小さな階段を使って降りていこうとするとき、瞬間、ストリートの喧騒の音は消えて、ただそこに冷たいコンクリートと鉄と積もっている端の雪とに直面しながら、熱い街の隙間にあるふとそこに生じている、現実的な醒めとしての冷たさに、一瞬触れてしまったような気がした。ビルの階段をこびりついた雪で滑らないように下に降りながら。並んでいる店舗のうちに、日本人用と見做されるカタカナで看板の出たバーのドアを開くと、そこには古いような照明の中に、ひとつ世界が出来上がっていた。再び僕らは暖房の空気に安全に包まれた。そしてもう一つの安心を超えた既視感というのは、そこにはバーのカウンターがあり椅子が並び、客と店員の会話で既に賑わった空気が満ちているものの、その部屋の中にいるものがみな日本人ばかりだということだった。ここはニューヨークのカジュアルな街の一角である。しかし地下室の階段を降りていったその先には、しっかりと日本人達の世界が出来上がっていた。古いにおいもするバーである。きっと昔からそこはニューヨークに集う日本人達の利用するスポットになっていたのだろう。アメリカにあるような普通のバーのようでもあるが微妙に日本人的にそこは改造されている。カウンターと席の関係は、寿司屋かおでん屋に入ったときのようで、そこは日本人の為の居酒屋というコンセプトに相応しかった。しかし特に金をかけたようなカウンターというのではなく、日本人達が日本人達の為に長年使っているうちに自ずからそこは日本人の居酒屋的な作りとオーラが染み付いてしまったという様だった。