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大きな食べ応えのあるハンバーガーにポテトの添え物を、テーブルに備え付けられていたハインズのケチャップをかけて食べた。しかしこのカフェテリアだと、どうも周囲の騒ぐ声が大きすぎるのと、前にいる究極さんを見るとそろそろ彼も疲れが出始めているのが見て取れた。奥のフロアで女性コメディアンが漫談を演じてるのを見ていられるような悠長な余裕もなく、僕らは店を出た。そしてまたイーストソーホーの目抜き通りを歩いた。究極さんは、村田さんの働いている日本人居酒屋の場所を書いた紙のメモを睨みながら、手持ちのニューヨークの歩き方マップと確かめ合わせてみて、場所をつきとめようと努力していた。しかし中々目当ての場所が発見出来ないので、僕らは何度もここに来て道に迷い、ここの周辺の住宅地にまで迷い込んだりしながら、いったりきたりを繰り返していたのだ。しかしあんまり判断力も冴えなくなっているので、僕らは惰性的にそのいつまでも埒のあかない飲み屋探しを続けていたといった風だ。僕には、はっきりいってこういう状態は苦手である。しかし究極さんの場合は、一回悪循環にはまってしまっても、なかなか最初の目的から機械的に従うことをやめることができない性分のようだった。そういうところは彼にとって、真面目というか、忠実な性格の一部でもあったのだが。

少々広々とした公園が、メインストリートの傍らにあって、夜の中に存在していた。でもそんなに大きく派手な公園ではなく、それは地味で静まり返った公園だった。子どもが遊びそうなジャングルジムとかブランコが幾つか並んでいる。僕らはその公園に入って、とりあえずベンチに腰を下ろし、一服して休むことにした。夜のこの時間になってもう公園の中には人影はなかった。寒い空気の覆ってる夜だし、僕らの口からはく息も白く見える。寒くて凍えそうな夜が迫っているには違いなのだが、しかしイーストソーホーという街の活気はそれに打ち勝つほどに強いようだった。それもこの公園に来ると、喧騒の空気からはもう外れている。ひっそりとし一応暗い街灯は照らしてるものの、そこには静まり返った空気が充ちていた。

「究極さん、アイリッシュの祭はどうだったの?なんか面白かったのかい?」
「うーん、まぁ普通の祭には違いないなんだけどね。日常的によく定期的にある儀式的な。ただアイリッシュの人々というのはビールをがぶ飲みするみたいで、ビールや食い物にも興味あったのさ」
アイリッシュか。アメリカではアイリッシュ系の移民は大きなグループを作ってるでしょう。彼らはカトリックだけど。カトリックの体質をもった強いコネクションを、アメリカの至る場所で続けてるはずだ」
アメリカみたいな国に生きるには、そういう自分の出自で繋がったコミュニティに依存しないと、自らのアイデンテティや経済活動を保証できる基盤がないんじゃないかな。移民国家ならではの、出自を確認するイベントだな。それは」
「そういえば、クリント・イーストウッドアイリッシュ系の移民でしょう」
「うん。マイケル・ムーアアイリッシュ系なんだよ。彼らはカトリックということで言えば、精神的に強固で頑固な倫理観を携えているんじゃないのかな。」
「中国系だって、ベトナム系だって日系人だって、アメリカに来たら同じようなもんだよ。そういう出自のコネクションを確認しなかったら、生きる上での道標が持てないでしょう」
「まー、そうなんだろうねー」

僕はベンチの上で、タバコを一本取り出して火をつけた。こういう寒い公園で長話でもするときは、タバコがどうしても必要な気分になるものだ。

「究極さんも、一本どう?」
究極さんに向けてタバコの箱を差し出した。
「サンキュー」
究極さんは、一本口にはさみ、その口元に向けて僕がライターをさし出して火を入れた。

寒い夜の公園の中で、暗いオレンジの街灯に照らされながら、僕らは白い息と白い煙を吐き出していた。
「あっ、あの絵をちょっと見てよ」
僕は、公園の向こう側に、建物の壁に大きく浮き上がっている、アーティストによって描かれた大きな顔の肖像画を見つけて、究極さんに教えた。
「あの壁に描かれた顔。あそこは何かのカフェの横の壁なのかな。あの顔はジョー・ストラマーですよ」
「本当だ。ジョー・ストラマーの顔が描いてあるね」
究極さんは笑いながら頷いた。
「ニューヨークで、ジョー・ストラマーの人気は凄いんですねえ」
ジョー・ストラマーとは、いわずと知れたクラッシュの中心メンバーだったロッカーだが、ちょうど僕らがここニューヨークを訪れた時期の少し前に、ジョー・ストラマーは死んだ後だったのだ。癌で死んだ。まだ五十代だったが、元祖にあたる列に入っているパンクロッカーの死だった。

「ストラマーは、イギリス人だけどさ。やっぱりニューヨークで最初にヒーローになれる人の条件というのは、それがイギリス出身のアーティストということなんじゃないの?」
ジョン・レノンも、デヴィッド・ボウイも、ストーンズもみんなイギリス人だね」
「ニューヨーカーにとって、最も理解しやすい対象で、理解しやすい他者というのは、最初にイギリス人だった。もっともそれも70年代ぐらいまでの話だけどさ。今のニューヨーカーの現状とは異なるでしょう」

「もともとクラッシュは反米的な左翼の楽曲を作ってるからね。イギリス人だけど露骨にアンチヤンキーを宣言していた。しかしそのクラッシュでも、最初にアメリカの市場で成功したパンクバンドだったわけだ。アメリカ人でも、それなりの時間と手間暇をかければ、やっぱり他者を受け入れるんだよ」

「ストラマーがある種ヒーローとして強いなんて、でもニューヨークならではの都会的な現象でしょう?アメリカなら田舎へ下るほど、ヒーローのイメージはブルース・スプリングスティーンに収まるんだよ」
「ははは。そうだな。あとはニール・ヤングかな。アメリカにおける田舎的なヒーロー像とは」
「だからクラッシュが好きだなんて、アメリカでもまだましなほうなんだよ」
そう言って、僕と究極Q太郎は、夜の寒い人気のない公園で、白い息を吐きながら笑った。