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イーストソーホーの街並みを見て、そこで秘かに君臨してるのは壁に描かれたジョー・ストラマーの顔だったことを思い知ったのだ。公園の向こうに立っている木と鉄柵の向こうに見え隠れするようにして、ジョー・ストラマーのポップでカラフルな表情がこちらを見ているのに気づいた。アメリカの都市でも場所によってはああいう壁にアーティストによって描かれた落書きの類は、ゲバラの顔でもよいのだが、それがここではジョー・ストラマーだったのだ。まぁゲバラよりはストラマーのほうがお洒落というか、まだましというのはあるのだろう。

「若い頃のキューブリックもこの辺で遊んでいたのかな?」

暗闇のなかで大きなジョー・ストラマーの顔に見つめられているような中で、究極さんが言った。

キューブリックが若かった頃は、まだこの辺の地域は暗いか荒れてるかしてたんじゃないのかな。イーストソーホーがこんなに開発されていったのは最近でしょう。そもそもニューヨークの文化的な拠点、発信地というのも、時代によって移動を繰り返しているみたいだよ。例えば、ボブ・ディランがまだ若かった時代、デビューする頃のことだけど、あの時代に主な事件の舞台になっていた場所はグリニッチヴィレッジだった。それはもっとマンハッタンでも中央の商業地区に近いところにある。グリニッチヴィレッチは立地条件としてはニューヨーク大学の近所なんだけど、元々、マイルス・デイヴィスコルトレーンがジャズの拠点にしていたのがグリニッチヴィレッジだった。だからグリニッチヴィレッチの時代というのが、第二次大戦後に、いやその以前から、ニューヨークではずっと全盛だった時代が長かった。しかし、いつの間にか、グリニッチヴィレッジの文化的生産力はもう飽和し、文化的な前衛の拠点は、もっと周辺のほうにずれてきたわけだな。」

「なるほど。CBGBなんていうライブハウスがある場所も、そういう風にして移動してきた文化なんだな。CBGBはここイーストソーホーからそんなに離れていないけどさ。」

「そうだね。CBGBの文化が開花するのが70年代からだから。70年代にはもうグリニッチヴィレッジの文化は古いものになっていたんでしょう。」

「やっぱり強烈なのは、あの時計じかけのオレンジに出てきた団地の町のイメージだよ。時計じかけのオレンジも70年代の映画だけど、キューブリックがそれを題材にした頃は、この辺というのは本当にマンハッタンの中でも東側の下側で僻地に当たる、何も無いような貧しくて荒れた土地だったんじゃないのかな。」

キューブリック自身がその荒れて貧しいニューヨークの周辺地区と接しながら暮らして、あの映画のコンセプトを練ったということはありうるね。」

「さっき目撃した団地の町も相当年季が入ってる感じだったけど、ニューヨーク市で老朽した集合住宅で、もっと強烈な、半分廃墟になってるような巨大な集合住宅として有名なのは、コニーアイランドのほうに大きいのがあるみたいだよ。」

コニーアイランドか。そこまで行くと、ニューヨーク市でも湾岸の端で長いビーチに沿った地域だな。」
「そう。そっちのほうがずっと僻地だったんだよ。最初にゴーストタウン化したニューヨークの集合住宅地区とは、コニーアイランドのほうにあるらしいんだ。」

「そういえば、コニーアイランド・ベイビーというのがあったよね」
僕は笑いながら言った。
「それはルー・リードの昔のソロアルバムでしょう」
究極さんも笑った。
コニーアイランドの方には、大きな昔からある遊園地もあるんだよ。ルー・リードが歌っていたのはその遊園地のイメージだよ」

コニーアイランドではサーフィンもできるんでしょう。いいね。マンハッタンから近所でしかもサーフィンのできるビーチまでついてるなんて。」
「その辺もアメリカ人の生活の実質的な豊かさなのかな。日本人の狭くてせこせこした生活の意識に比べてさ。」
「日本だったら湘南でサーフィンやるのにも新宿からずいぶんと遠い電車に乗るよねえ」
「ニューヨークというこの歴史的な都市は単なる商売繁盛の都市だけではなくて、パラダイスとしても完成されているということかな?」
「それにしては恐いパラダイスでもあるけどね。特にあの地下鉄。地下鉄が要するにお化け屋敷の役割も兼ねている。実際あんなのに変な時間乗ってたらどんな事件に遭遇するかわからない。」
「恐怖と快楽が紙一重で共存しているという都市か。危険と快楽がリアルに隣り合わせになっているって、そういう構造について何ら隠し事もしてないよ」