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ウェストリバーを見に行ったら夜景が素晴らしいですよと飯塚くんが教えてくれた。

それなら一回それを見に行ってからにしよう。マンハッタンの巨大な夜景を眺めたら、僕は薬を買ってホテルに帰って寝るし、後の三人はまた何処かへと夜の街に飲みに出て行く。それでよい。そういうことにしよう。大学のある通りから西側のハドソン川まで歩いてすぐだという。道端には昨日から残ってる雪の上にぱらぱらと新しい雪が落ち始めている。今夜も一荒れありそうな予感だが街の活気は特に収まる気配がない。賑やかな夢に溢れたニューヨークの夜がまた今夜もはじまろうとしている。道端には車が停車してずっと並んでいる。路上駐車にも見えるが路上をそのまま駐車用のスペースとして区画を決めているみたいで路上に引かれた区画の中に決まった車をみなが停めているみたいだ。こんな状況でもどうやら不法駐車というわけではない。ニューヨークという街の秩序である。駐車している多くの車の上にもずっと雪が積もったままだ。僕は、ウェストリバーに向かって歩きながら、リズムをつけて車のうえに積もった雪を、足を上げて蹴り散らしていた。

「ちょっとあんたやめなさいって」

そうしたら村田さんにおこられてしまった。究極さんは、ポパイのテーマを口笛吹きながら歩いていた。ポパイ・ザ・セーラーマーン・・・ポパイ・ザ・セーラーマーン・・・というテレビのアニメ番組で流れていたあの曲だ。本来茶色い壁の色をした背の高く古いアパートメントの群は道路から黒々とした壁のように立っていて、なんだか巨大な黒い壁を両側に挟む峡谷のようにして、川への道が続いていた。

「トムズダイナーの店だけど。あれは学生の店というよりもニューヨークの労働者臭が強い店だったな」
究極さんが言った。
「うん。あとは無職のおっさんだな。あの店に来てる客というのは。」
「だからいいんじゃないの?スザンヌヴェガにとっては。」
「変に小奇麗にまとまってる店よりも、スザンヌ・ヴェガにはあいいう店のほうが居心地がよかったというわけか」
スザンヌ・ヴェガはコロンビアを卒業してるの?」
「いや。80年代に彼女は、コロンビアの在学中にメジャーデビューして、そしてブッディストになってから大学は辞めてるはずだ」
スザンヌ・ヴェガ仏教徒だったのか」
「彼女の生い立ちはニューヨーク市でも労働者階級用の、問題の多い地域で育ったらしいよ」
「ふーん・・・でも彼女の作る曲にはなんかそういうイメージが含まれてるよね」

川の手前に辿り着くと、そこは川岸に沿ってずっと細長い公園になっていた。道から公園は下に見下ろす。そして公園の向こうには巨大な河の存在感が夜の暗闇の中に口を開いており、またその河の向こう岸にはずっと、対岸にジャージーシティの高層ビルディングが光り、どこまでも巨大な夜景が開いていた。ニューヨークらしい、自然でありながらどこまでも巨大なビルディングとその光が続いている壮大な夜景の眺めだった。脇に停まってる車の上の雪を取って雪球を作り、その辺の大きな樹の幹を標的にしてピッチングの練習をしてみた。夜になって温度は冷え切っているけれど、巨大な川面は湯気を立てるように白い靄を浮かべながら、周囲のビルディングや光の中で映えている。巨大な自然とコンクリートに覆われた大地と鉄筋のビルディングの狭間で大いなる調和したハーモニーが、白い蒸気となって漂っているという風景だ。

街の奏でる音は幾つも重なり合っていてとても聞き分けられない。車の音、川の流れる音、街自体が巻き上げている喧騒の全体、それらはすべて一緒になって、大きな街の共生感を遠くまで伝えているようだ。僕は雪球を丸めてピッチングする真似をしばらくやっていた。

「くりちゃん、胃の調子はどうなんだい?」

究極さんが言った。

「今日は胃の調子なら収まっている。でも体にはちょっと熱が出てきてますね。こうして体を少し動かしてみてもだるさが治らないし。それに、今夜はなんか体調の悪さが頭痛のほうに来そうな予感がしていて。それがちょっと不安だな。昨夜は胃痛でやられて、今晩は頭痛が来そうな体調だ。」
「じゃあやっぱりホテルで寝てたほうがいいな。僕らは飲みに行きたいけど」
「うん。行ってきてよ。僕は安静にしてるから。ただ体調の不良で一番怖いのは、頭痛と胃痛が一緒に来るような事態なんだ。そうしたらもう全然動けなくなっちゃうよ。今のところその二つの痛みが交互に現れながら来てるからなんとかなるけど。最悪の事態が来たらちょっと怖いな。」
僕の話を聞いて究極さんも村田さんも飯塚くんも頷いた。夜景をしばらく眺めたら、僕らは今来た道を引き返して動き出した。