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大学のある広い通りまで出てきてから、夜の暗がりがもうすっかりと降臨している街角でみんなと別れて、僕だけ逆方向へと歩き出した。夜の買い物でこの町の人達はよく動いている。店先からは明るい灯が通りに漏れていて、大型のスーパーマーケットのような店舗も並ぶ。

教えてもらった大きなドラッグストアは歩いたすぐ先にあった。入口には元気漲るような体をした黒人のガードマンの男が一人だけ、しかししっかりと立つ。何かその立ち方、守り方がとても厳重な感じがするのだ。何を彼は守っているのだろうか。そんなに厳重に立つほど普段から他人を警戒する量が多いのだろう。中に入るとそこは広いドラッグストアだったがこの時間に客の姿は少なかった。よく節約されたような暗めの橙色の照明の下で、薬が並んでる棚を見て回った。風邪薬であるがどれが効くだろうかとまだよく慣れない専門的な英語を読み比べて手に取った。熱を下すようなものか、あるいは頭痛を鎮められるような鎮静剤がいいのか。なんか読んでいても何が何だかよく分からなくなってきたが、とりあえずメジャーな雰囲気で売れていそうな商品を選べば間違えないだろうと思って、沢山積んである箱のカプセルの薬を選んだ。一人になってからさっきよりも尚更頭が朦朧としてきて考えるだけで苦痛になりそうだ。

店の端にはずらりとガラス棚の冷蔵室が壁一面に広く並んでいて、ドリンク類が保存されている。その中から薬を飲むためのミネラルウォーターのペットボトルを一本取って出した。やはり体格の良さげな黒人女性が一人でレジの前で待っていた。僕は品物と料金を交換した。ドルの札を出してお釣りのコインを数枚もらう。静かな店内で特に言葉は交わさなかったが、黒い制服を着た黒人女性の手は大きくて厚い手で指先だった。

ドラッグストアを出た。ストリートは通り過ぎる車が降ってる雪を跳ね上げる湿った音を繰り返し上げている。寒い夜だがストリートには夕方の買い物をする人通りは絶えないので別に寂しさはない。大きなスーパーマーケットの光が煌々と灯っているので、火に引きつけられる虫のような状態でついついそのニューヨークの山の手住宅用的なスーパーにも足が自動的に入ってしまった。

こちらのスーパーマーケットをざっと物色してみる。こちらの店のほうは買い物の住人たちで人は多かった。こんなに寒い夜でも決して寂しくはないほどに。肉や魚が、大雑把で剥き出しの様な形で並んでいる。日本の売られ方よりも大胆に切り分けられ剥き出しで並んでいるので、見ていてもこちらの方がわくわくする気持ちは強く点滅する。そしてフルーツは溢れんばかりに盛られたものが並んでいて、こちらのものは色が派手派手しく、やはり妙に欲望を直接的に駆り立てんばかりなのだ。体調が元気な時ならかぶりつきたくなるような瑞々しいフルーツの山が所狭しと並んでいた。並んでいる野菜も色が原色で派手なものが多かった。横のほうに寿司が並んでいる棚があって、なんかニューヨークで食われている寿司というのがどんなものか興味が沸いたので、カッパ巻きと干瓢巻きのようにとりあえず見える、その実何だか正体の分からないような寿司のパックを買ってホテルに帰った。

夜の道をホテルに近づくにつれ、体が寒さを感じる実感も極度に増してきた。気温は氷点下を軽く超えているはずだ。北海道で暮らして普段から慣れてる日本人ならいいが、首都圏育ちに慣れた体にはなかなかギャップが激しい。ニューヨークの寒さの感覚に慣れるにはまだ時間がかかりそうなのだ。ホテルの二階に僕らの部屋はあった。エレベーターはやけに重そうでノロノロした感じなので、乗る前に一瞥しただけで嫌気がさし、階段で歩いて上がった。特に何もない部屋でベッドが二つの他には、壊れてるのか映るのかよく分からない、定かでないようなかなり旧式のコイン投入式テレビが一台置いてある。室内の白い蛍光灯の下で、自分のカバンをあけた。日本からここまで僕は二冊の文庫本を持ってきていたのだ。それは大塚英志の「彼女たちの連合赤軍」とハンナ・アーレントの「革命について」だった。ベッドに横になり、反射が強い白い光の下で「彼女たちの連合赤軍」のページをぺらぺらめくってみた。壊れている可能性のあるテレビにコインを入れてまでテレビを見たいとは思わなかった。