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ここは古いホテルだった。キューブリックのシャイニングに出てくるような古いアメリカのホテルとでもいおうか。決して外観ではなくて内観のことだが。マンハッタンにあるビルとは古いものがそのまま残っている。ブルックリンの村田さんのアパートもそうだったが、基本石造りなので昔に作ったものがそのまんま残ってしまうのだ。19世紀に建てられたような古典的な石と鉄筋のビルがずっと改造を重ねながら今でも現役でマンハッタンの街中で機能している。僕らが泊まったホテルもそんな風なビルだった。

部屋には石を重ねて穴を四角く作ったような窓の為の穴が、ひとつ開いている。それは普通にウィンドウというよりも石で重ねて作った四角い穴とでも言うのが相応しかった。四角い頑丈そうで逞しい穴には木枠の重たい窓ガラスがついていてそれは上にあげることができる。窓を上げると外気の冷たい空気がそのまま流れ込んでくるが、この室内のギャップがまた心地良いではないか。木枠の古びて重たい窓枠だ。木の節々は乾燥してささくれだっているかあるいは腐って湿っている。そしてこの窓枠がどうも窓枠の四角い穴とぴったりと合致していないのだ。だから窓を閉めた状態でも薄く外気が通じてしまうのがわかる。古びて貫禄もあるがガタが来ているような木製の窓枠が四角い石の穴にかかっている。その窓枠を重たげにどっこいしょと持ち上げてやるとマンハッタンの外の世界はそのままこの室内と無防備にも繋がってしまう。この明け透けの感じが何か気持よかった。

廊下は絨毯で続き他の部屋のそれぞれも古びていて、ある部屋のドアは閉まりある部屋のドアは開いたままだ。奥にあるバスルームにまで至る道が、シャイニングの映画の中でカメラが孤立した古い山荘のホテルの廊下を移動している時のような緊迫感を感じてしまう。そして音もない。僕らの他にはどんな客が泊っているのかも知れないし、そもそも僕らの他にこのフロアに人なんかいるのかどうかも定かでない。

窓から眺めるひんやりとした夜の世界が気持ちよかったので、成田の税関でカートンごと買っておいたラッキーストライクを取り出して、一本火をつけた。

しかし頭痛がするときに煙草を吸うのはよくない。逆効果だ。煙草を吸うためには余りにもよく出来上がったシチュエーションに風景だが、一本吸っただけで異様に目眩がしてしまったのでやめた。買ってきた風邪薬の箱を開けオレンジ色のグミ状のようなカプセルを取り出しペットボトルの水で飲んだ。用心深く数個のカプセルを必要以上に飲んでしまった。はやく体の熱を下したい。ベッドで横になるとぐるぐる部屋の中が回り始めた。今まで必要以上に無理をして歩きまわってきたことがわかった。ベッドの上で意識が崩れ落ちていくようだ。殺風景な部屋の天井を見上げながら、飛行機の中で死ぬほど痛んだ胃の辺りを見てみようと、シャツを上げた。

胃に穴があくという言い方がある。あんまり酷い胃の痛みに我慢してると胃に穴があくとは、一つの諺のようにも使われる日本語の言い回しであろうか。しかし胃に穴があくなんて、具体的にはどういう状態のことを指すのだろう。胃の壁に穴があいて内蔵の内側と外側で通じてしまうとか、そういう状態のことを指していうのだろうか。まさか胃に穴があくといっても、腹の皮膚の外側にまで穴が開くなんていうことは、ちょっとありえないだろうとも考えた。昨日痛かった辺りをさすってみて、シャツを捲って見ると、痛かった辺りにシミのようなものができているではないか。皮膚に痣のような小さな染みが浮き出ている。こんな染みが出てくるなんて、やっぱりあれは身体にとって相当きつい状況だったのだと、改めて考えた。よく我慢したな。自分は。しかしやっぱり、胃に穴があくという言い方の慣用句は、腹の皮膚の外側まで穴があくということは、まず意味しない。もし本当に皮膚の外まで穴があいてしまう人がいたら、それは大変なことだ。胃酸といっても通常の胃酸ではないのだ。もしそんな人がいたらの話だが。どんなにすごい胃酸が出ていたとしても、腹の皮膚の内側の内蔵だけの世界だとしても、胃袋の袋自体に穴があくというのは、余りに酷い事態でそれは滅多に考えられず、たぶん胃酸の力で胃袋の内部の壁がへこむ程度の話で、通常、穴があくという比喩、言い方が当てはまると考えるのが妥当だ。考えていたらそんな考えに落ち着く。本当に、向こう側がすけて見えてしまうほど穴があくという事態は、まずない。あったら大変なことである。言葉の微妙な話だが、言葉を真に受けたらきっと間違いになる話なのだ。眠りに落ちる前に、そんなことを確認していた。日本語の言い回しで古い慣用句だが、それは言葉一般の問題でもあるはずだと。ものは言い様だし、その言い様を弁えているから、人は面白い表現に正確に身体との関係を知ることができるのだし。