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「あっ。自由の女神が見えますよ」

僕は遠くのほうを指差して横の究極Q太郎に教えた。小さな公園の川岸は低い鉄の柵が続いており、そこからすぐ先はもう海と河口が繋がっている場所だった。海から風が吹いてくる。しかしこんなに海に近いのに不思議に潮の匂いというのは感じなかった。川の匂いと相殺されてしまうのか、それか都市のコンクリートの方が潮の力よりもここでは、はるかに存在感が強いのか。究極さんは目を細め、太陽の光が眩しく水面に反射してこちらに攻めて来るのに抵抗するようにして、向こうの方角を見やった。午後の日差しはもう明らかに低く傾いている。あと少し時間が経てばもう周囲はこの春先の短い昼の時間を終えて長い夜の時間へと繋がっていくことが分っている。はっきりとした夕刻が来る前に、昼の日差しは最後の暖かさを地上の公園に伝え、ハドソン川からもっと大きな海原へと連続する海面は、夕刻の水位を増してきている。ちゃぷちゃぷと波打ち際に打ち付ける音が続いているが、公園のすぐ真下に来るその水面とは、もういっぱいいっぱいの付近まで昇ってきており、こんななんでもないような昼下がりでもこんなに水位が高いのなら、雨や嵐の日にはこの公園は一体どうなってるのかと訝しくなるくらいに、マンハッタン南端の小さな公園とハドソン川河口と海の距離はぎりぎりまで接近していたのだ。河口の先に、対岸のジャージーシティの都市が控え、そして東の方向にはずっと果てし無く海が拡がるわけだが、水平線にとってみればずっと手前に当たる位置に、小さな島が存在し、そこにはここから小さなミニチュアのように見える自由の女神が存在していた。あの青銅色して片手を天に持ち上げた自由の女神像は、マンハッタンの岸から見るとプラモデルの模型のように小さな存在感を示していた。それでも究極Q太郎は、その自由の女神像を嬉しそうに見詰めていた。僕らは遠くから拍子抜けしたようにちっぽけなニューヨークの象徴を体験していた。

さて、究極Q太郎という人物についてどう説明したらよいのだろうか。詩人を名乗る彼と僕が初めて遭遇したのは、新宿駅の西口地下だった。アナーキスト詩人とでも彼の属性を説明することは可能だろうか。今時の御時世で詩人を名乗る人物というのは珍しいなと最初は思った。しかし彼のことを段々知るにつれて、それは詩人というしかないような、不思議な生き方を運命として背負っている貴重な人物なのだということが分かってきた。その自称の仕方について、ちょっと胡散臭い気もしたが、最初に抱いたその奇妙さの感覚というのが、後に彼と複数回会うようになるにつれて、独特の快楽となっていった。詩人という、一見時代遅れで鈍臭いような自分のプロフィールについての説明が、意味を持ち、そうとでも説明するしか他ないのだという、複雑な運命を強いられて背負っていても、シンプルな形の生き方を選択することによって、自分の人生をチャラにするような、そんな自己主張の在り方が、彼独特の特性となったのだろう。詩人というシンプルで鈍臭い言い方に、彼にとってその生き方のユーモアが凝縮されていたのだ。90年代がそろそろ後半部に差し掛かろうと、それまでの時代の閉塞した空気が、別の方角に向けて傾きかけていた頃に、僕は新宿駅の西口地下で彼と出遭った。冬から春へと、寒さが薄らいでいきながらもまたしつこくぶり返してくる季節、それは油断を人に強いるが故に逆に最も寒さを実感させる季節でもあるのだが、当時の青島幸男都政が、新宿駅のホームレス排除を決行し、そしてその反対闘争が駅の中で盛り上がっていた頃のことだった。時代の中では久しぶりに左翼闘争が大きくなり、テレビの中でもその映像は流され、いよいよ20世紀は幕を閉じていく準備が整った90年代の後半へ差し掛かり、平成という日本の時代はその曖昧な幕の開け方からしばらく進むにつれ、どうにも出口のない時代の閉塞感は顕在化し、そろそろこの宙吊り状態の倦怠から時代が抜け道を求めて再び動き出そうとする感触が始まっていた。何かがきっとちょうどその頃動き出し、時代的なサイクルにおいて再開されたのだ。新宿駅西口地下の模様は連日テレビでも中継されており、いつ行政の完全排除が実行されてこの紛争に一回幕が閉じるか、そして新宿駅の後はここで溜められたエネルギーが何処にどういう方向で出て行くのか、興味の湧くことの多かった場所へ、車に乗って新宿駅まで訪ねていった。地下の構内で騒ぎに紛れてセキュリティが薄くなっているような車道上に車を止めて、西口地下へと入った。こういう時は駐車禁止への警戒感が薄くなるだろうと見込んでの特権的な路上駐車だった。知り合いの活動家の姿は、西口地下ですぐに見つかり何人か見かけ、太い柱の横に立っている究極さんを紹介された。詩人の究極Q太郎さんですということだった。新宿駅地下の太い柱の横に佇む究極Q太郎は、眼鏡をかけていて何か反応が慎重そうな目つきを眼鏡の奥から窺わせているが、話しかけるのは気軽にできそうな人物だった。初対面のときに、一つ一つの反応は慎重そうでフィードバックが遅く、硬い感じもしたものだが、しかし打解けるには気安く、ガードは外してくれそうな雰囲気だった。慎重に疑い深く喋る感じもあるが、喋る言葉の一つ一つははっきりしていて聞き取りやすかった。彼は詩人であり、そしてアナーキストだったのだ。詩人というのは彼にとって決して取ってつけたような自称ではなく、彼は高校を卒業する間際のこと、現代詩手帖の新人賞も取っていたのだ。それは付き合いはじめてしばらくしてから知ったことだ。そして彼がアナーキストであったということは、いろいろ因縁のある過去からの経緯があった。その辺の話も付き合ってるうちに僕は理解したものだ。