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そういえば、広島や長崎の都市に原爆が投下されたとき、炎で焼かれた人間の影が、鉄筋コンクリートでできた建物の壁に焼きついていたという話を聞いたことがあった。それが本当か嘘かはよく確かめなかった。しかしそういうことというのは有り得る話だ。別に怨念とかいうオカルト的なものではないが、本当に焼かれた人間の姿が影となってそのまま建物の壁に張りついてしまう。それで建物のほうだけはかろうじて焼け残ったとすればだ、焼きついた人影だけが後で何らかの形で発見されることになる。本当にそれがあったのかどうかまで確かめなかったが、論理的にはあってもおかしくない話であるはずだ。

911で巨大な貿易センターのビルが倒壊したとき、結果的に倒壊したビルは二つであって、中心の貿易センタービルは大きな二つのビルを繋ぐものであったから、もう一つ傍らにあった小さなビルが、巻き込まれて倒壊したという、事件の話だったと思う。その二年半ほど後に、僕らが事件の地を訪れたときに、ニュースでここから世界中に散り撒かれたあの映像をテレビの中で見ていたイメージより、実際現場の地というのは、ちょっと小さすぎるぐらいに感じるほどだ。巨大な高層ビルが建築されるときというのは、見た目の巨大イメージの実感からすれば、それを立てる為の土地の量について、基盤とはそれほど大きくなくても、イメージとしての巨大さをそこから建隆し立ち上げることは可能なのだということを理解したのだ。

金網で仕切られた工事現場の四角い陥没地帯の周囲には、今は特に人影も少なく、どちらかといえば静かな佇まいを醸し出している。周囲に人の動く姿は疎らで、周りのビルは幾つか残っているものの、特に背の高いようなビルディングはなく、新しい鉄とガラス窓で光るビルと古いコンクリートの壁のビルなどが、工事中の区画を取り囲んでいた。僕らは、トレードセンターの駅出口から歩いて離れだし、周囲の今や閑散とした昼下がりの寂しい区画をぐるっと回って歩いていた。この区域ではきっと一番古くから建っていたのだろうと思われる土色の壁をした年季の入った少し背の低い横長のビルディングの、大きな壁の面にかけて、まるで人間の顔に出来た大きな火傷のケロイド痕の如く、炎の焼きついた跡が、そのまま大きな叫びのように黒く焦げて残っているのを発見した。僕らが立っているところから見上げるとそれは、中途半端な大きさの巨人が泣いて叫んでるような形だった。ゴジラほどの巨大さもないが、それは中途半端な高さの巨人のような焼け跡だった。

行き交う人の影は、昼下がりの旧ワールドトレードセンター跡地において、ぱらぱらとして少なかった。ただ工事現場の裏手には、そこには昔からあったのだろうバス停留所のターミナルがあって、昼の暇な時間帯には、バスが何台か、特にそこからは乗る人も疎らであって、バスは暇そうに止っていたり、または思い出したようにのろのろとした発着を、どっこいしょという声でも上げるような低い音を出しながら繰り返していた。

このバスに乗って、次の宿を探しにいったらよいと、僕と究極Q太郎は話した。

トレードセンター跡地の周囲にある今では閑散としたビル群の裏には、すぐハドソン川の河口が迫っていて、ちょうどそれは大きなハドソン川が海に注ぎ込むところの最下流で河口の場所になっているのを見つけた。橙色の鈍い午後の光が差し込んでいるここマンハッタン最南端の土地において、海のほうからは強い風も吹いていた。ちょうどその海から吹きつける直接的な強い風を、トレードセンターを取り囲むように今でも残っている背のそんなに高くないビル群が、遮る形で、この広場のような土地を守っている。

そのままビルの隙間から差してくる光の方に向かっていった。ビルの壁で遮られた広場の裏手にあるハドソン川河口のほうまで歩み出て行った。ハドソン川の河口とマンハッタンの南端が接する部分は、川岸がそのまま小さな公園になっていた。