Joy Divisionの『Dead Souls』

1.

またナイン・インチ・ネイルズが興味深い曲をカバーしているものだ。それは、ジョイ・ディヴィジョンの『Dead Souls』である。ジョイ・ディヴィジョンの影響関係とは広く深いが、ここでは80年代前半にイギリスの前衛的バンドとして活躍したバウハウスのヴォーカル、ピーター・マーフィーをゲストに迎え演じている。

Joy Divisionとは、70年代後半にマンチェスターで始まったバンドだった。セックスピストルズがまだイギリスの地方都市を巡業のように回っていた時代に、マンチェスターのホールで行われたピストルズのライブとは客が42人しかいなかった。しかしその僅かな数の観客の中には、ここから後にイギリスの音楽業界を変えていくことになる重要な人々が何人も参加していた。その中にジョイ・ディヴィジョンの前提になるメンバーたちも混じっていたのだ。

初期のまだ無名で野蛮なセックスピストルズのライブを見て影響を受け、ジョイディヴィジョンの前提となるバンドが結成されることになった。そこにヴォーカルで合流することになった男がイアン・カーティスである。ここから数年に渡る短い時間の間に、イアン・カーティスの生とともに、ジョイディヴィジョンの密度の濃い音楽的実験とは生成し、そして燃焼し尽くした。



2.
イアンカーティスとジョイディヴィジョンの示した方向とは、セックスピストルズによって解釈されたパンクロックとは、違う方向を示すものとなった。ジョイディヴィジョンによって編み出されたロックの新しい傾向性とは、ロックにマイナーな精神を注ぎ込む形式として、イアンカーティスが80年に死んだ後に、じわじわとした浸透を、ロックを聴く人々の精神的深部へと染み込み続け、伝染していった。

一見すると小さな発明のようにも見えるジョイディヴィジョンによる80年前後の、ロックの形式における方向転換が、何故にこうもじわじわと、しかし本質的な重要性を帯びているのかに気付くのは、ちょっと見逃しやすいポイントかもしれない。しかし確実に、そのイアンカーティスというマイナーなイギリス人は存在したのであり、ロックの形式が究める可能性として、彼が発見し加工した方向転換が、マイナーでグレイに差し込むマンチェスターの慢性的な曇り空の光のような、精神的陰部のリアルな色合いを形式に注ぎ込むことを可能にし、以後はじわじわとした遅い伝染のスピードを、ずっと普遍化の運動として拡げていったのだ。



3.
イアン・カーティスは1980年に何故だかよく分からない状況下で、首吊り自殺しているのが発見された。これはアメリカのシアトル出身だったカート・コバーンが拳銃自殺することの十年以上前であり、イアンカーティスの自殺からカートコバーンの自殺にいたる14年程度の時間の間に、ロックとはその形式性の史的展開として、それが終焉し消滅に至る目的の境地へと密度の濃い燃焼の過程を、最終的にはその単純な形式化の自壊の欲動として、進んでいったのだといえる。

この十数年間には、イアンカーティスの影響の過程として、それに感染したヨーロッパ文化の裏側の果てから、オーストラリアの地においてバースデイパーティからニック・ケイブの音楽の出現も生じた。最終的な暗闇と自壊へと向かうロックの運動的傾向は、もうその先に行くと、単なる無と倦怠と退屈だけしかないような、形式自体の自己言及的な退行を、限界まで続けたのだ。

ロック史の体系性が、そういう意味ではカートコバーンの死によって終るというなら、形式自体が燃焼し灰になっていく過程として、音楽がその内的な自己必然性として音楽自体の終焉と死を目指していく運動として、正しい終焉の過程と、そこで音楽史的な円環が遂に閉じてしまうことの論理的な必然性が示しうるはずだ。



4.
この音楽史的に必然的な終わりを準備した人物こそが、イアンカーティスだということになる。それでは、そのイアン・カーティスの精神性の起源とは何処に求められるものだろうか。それはやはり、60年代後半に、バンドとして、ドアーズの運動を作ったジム・モリスンのスタイルに、その形式的な類似性とはあるのだろう。

ドアーズ的な『The End』から、ジョイディヴィジョン的な『Dead Souls』、そしてニルヴァーナ的な『All Apologies』まで、ロックの形式的な展開の進行とは、何度も類似する終わりを迎えているものである。

人間的な音楽の形が、もうその先には行くところがないところまで、行ってしまうこと。その最終的な地点に立てば、もう音楽の歴史とはそこから引き返すしか他ないのであり、自己の内的必然性の展開として、西洋音楽史の体系が終わりの地を見据え確認した上で、音楽とは自己の全体性を確定し確認されたものとして意識的に持ち直すのだろう。

音楽がその最終的な無意味さと無力さを確認した上で、音楽は社会的な機能の存在として、自らの持ち前を改めて確認し直す。



5.
ジム・モリスンイアン・カーティスカート・コバーンといった優れた才能の死によって確認された音楽の限界とは、音楽の過ぎ越された熱を冷ますのと同時に、音楽がシステムの中でそれ自体も一つのシステムとして、生き延びるための鎮静剤に過ぎないことを、改めて悟りとして、人々に認識を示すことだろう。

音楽自体が決して生にはなりえなかったことを、優れた犠牲者の記録によって人々は知り、生と音楽を区別することの慎みを人々は確認することになるのだ。そうすることによってかろうじて人は自分の個体的な生を守ることができるようになるのだろう。音楽はそこで人間の限界を先取りすることによって、まだ残っている人間たちの生を、システマティックな機能として守護し、保善するものだ。

ジョイ・ディヴィジョンは、偉大なる犠牲者の記録として残ったが、イアン・カーティスの死後にメンバーたちによって再結成されたバンドがニュー・オーダーである。バンドのジョイディヴィジョンとはイアンカーティスの死によって終った。そしてニューオーダーという新しいバンドの意味とは、システムの中で個人が生き残ることの鎮静剤となったのだ。

この厳密な精神の防護壁を築くことのできる前提となった実験的な前衛音楽こそが、ジョイディヴィジョンである。それはニューオーダー以外にも多くのSOUL SURVIVERと見做される重要なバンドの作る音楽の数々についていえることで、共有されている構造である。