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冬の終わり同時に春の始まりに当たるまだ寒い時期で、しかし時折先取りしたような陽気が訪れてはまたすぐ倍返しするように極端に寒くなるという日が繰り返すような季節だったが、三月中旬に究極Q太郎とニューヨークへ行ったときの話だ。

あれは2004年の出来事だった。まさに米国イラク戦争の侵攻開始から一周年に当たる日に、ちょうどその日はNY行き航空券が超格安で出ていたのでこの日は逆にチャンスだと往復3万円以下という航空券を買って僕らはNYの土地へと旅行で訪れたのだった。断続的に降る雪の少し積もるJFK空港に降り立った。もともと考えられる限りでの最も貧乏な旅を僕らは予定していたのでNYの地に降り立ったところで特に感慨もなかった。一番安上がりに済ませられそうなコースですべてにおいて行動を決めようと考えていたわけだ。寒い日の憂鬱な空港の通路を抜けていってマンハッタンに行く鉄道を鈍行でいいから乗っていこうということだ。

ブラックリムジンのつけるようなJFK空港の玄関口ならば、さーNYに遂に着きました的な豪華さを味わえるような眺めもあるのだろう。しかし寒い日の空港の人々が雪の着いた足で散々歩き回り濡れて滑りやすくなってる通路の硬い床を抜けていって僕らの辿り着いた出口は裏口のような小さな場所である。キヨスクのような売店が一軒あり明らかに白タクと思われる手配をする背の高い黒人男が忙しなく空港客に声をかけているような出口だった。暖房装置の効果はもうここでは切れていて小さな出口から外にある駅の佇まいが寒々しく伺えた。ドアの所では声をかけるのに同じ黒人男が落ち着きなく出たり入ったりを繰り返している。それが何かしつこく粘着するような悪循環のイメージを感じさせて早速僕らはアメリカのリアルな裏口を体験してるのかもしれないなと感じさせた。空港出口の近辺で既に空気は冷えている。まず出る前に横にあるトイレで小便を済ませておいた。外は思っていたより寒そうな気がしたから。売店の前に立つとNY案内のマップも並んでいたが大粒のグミで出来たギラギラした色のキャンディが目に付いたのでそれを袋ごと買った。究極さんと二人で空港の裏口のような小さな出口を出て道路数本分を歩いて隔てマンハッタンへ向かう鉄道駅に入った。これはマンハッタンでは地下鉄に入る路線だがマンハッタンにまで至る一時間程度の間は普通に郊外の地上を通り抜ける鉄道であるようだ。駅も何か寂れてる感じが拭えなかった。まず駅の改札口へ向かってもNY市では人員削減が徹底しているのだろうか駅員というのも殆ど見当たらなかった。自動販売機で券を買い改札の奥にある部屋には一応駅員が一人か二人くらい待機していたのを見た気もする。重たい鉄のガードが無人でかかっている自動改札にチケットを当てると丸い鉄棒を押して潜る感触を腿で感じながら入っていったのは薄暗い駅の構内でまるでそこは室内灯をともすことも昼間は節約しているといった風だった。

僕らは駅のホームに立った。雪はもうやんでいて空は明るくなっていた。やっと出てきたような薄い日差しが辺りに反射して白く一面に光っている。JFKの裏手にある鉄道駅はNYとはいえただの田舎駅で何もないような寒々しいホームだった。空港客もここからマンハッタンまで向かう客はよっぽど僅かだと見えて、ホームに立つ人の姿は少なかった。そんな閑散としたJFKの駅ホームにて僕と究極さんの横に立っているのは一人の黒人のおばさんだった。気さくでたくましい感じの女性で僕らに優しく話しかけてくれた。僕らは東京から今来たところなんだと話した。NYは初めてなんだと。しかしここは東京よりはずっと寒い。たぶん札幌と同じぐらいの気候だろう。



OH,First time? 

黒人らしい豊かな骨格の体形をしてるけど優しげな貫禄あるおばさんは答えてくれた。

Be carefull. People is not always good people.…



確かそんなような話をしてくれた気がする。気をつけないさいよ。町には悪い人もいるからね。でもきっと楽しいわよ。そんな感じのアドバイスをしてくれて、黒人のおばさんは逞しげに胸を張り微笑んだ。その時きっと笑いながら胸を張って僕らの幸運を願ってくれたおばさんの佇まいを見たとき、僕は何かこれがとてもアメリカの正しい市民の姿であり、良心的な黒人像なのだろうという気がした。それは映画の中にそのまま出てきてもよいようなアメリカ人のセンスに見えた。そして肯定的な黒人の庶民のイメージである。別に日本人でおばさんやお婆さんに会ったときとそんな違うわけはないのだが、僕らに肯定的な事を語りかけて元気付けようとしてくれるときの笑った彼女の姿において、胸をぴんと逸らして張るときの逞しい力感が、この感じは余り日本人には見ない感触だなと思ったのだ。アメリカ人特有のセンスであり、特に肯定的な黒人市民のイメージである。要するにこのセンスが、アメリカ人にとっての歴史的なプライドのセンスなのだろうと思ったのだ。予期していたようなアメリカ人のセンスであり、プライドのイメージを僕らは最初から体験することができた。

プライドというセンス及び概念によって物を考えることは、アメリカ人にとって多分日本人よりも浸透しているスタイルなのだ。白人社会もそうだが、黒人社会にとって、よりこの感触は軸として強くありうる。というのは、差別と戦うというスタイルを人間が持つとき、奴隷階級から自己を人間として承認させ解放しようとする形式において、自己意識は対抗を感じるとともに、プライドという形を意識する。それまで最初に抑圧されて背筋の辺りに滞留していた緊張を引き伸ばし、胸を張り対等な条件を共有し承認させようとするのだろうということである。そういう時、身体的なイメージの持ち方には分かりやすい型があって、プライドの感触を軸にもち、肯定的な道徳の感触を他者と共有し主張するものになる。これは一般的なスタイルであり、起源はヨーロッパのキリスト教社会から続くスタイルとはいえ、アメリカ人においては特に顕著になった性質である。何故ならアメリカは奴隷制度からの解放闘争という現実的に過激な人権闘争のプロセスを経てきた歴史をもつからである。主人と奴隷という階級差別がはっきりとしているところではプライドという意識形態の闘争を持ちやすいのだ。駅のホームで、黒人のおばさんの話と仕種の中に発見したものとは、何かプライドという意識形態にある起源のようなものだった。そしてこれは何かとてもアメリカ人的な意識の持ち方なのだろうと思ったのだ。自己意識が、主人と奴隷が闘争を始める弁証法の中で意識され芽生え、それが承認をめぐる闘争を経て、意識の対立が止揚されるとは、ヘーゲル精神現象学で示した図式である。自己意識と隆起の形、そして過程としての闘争とは、ヘーゲル的な世界モデルだが、このチャートが見事に当てはまって実現された国というのは、かつてフランス人哲学者のコジェーヴとその弟子筋でアメリカ国家の外務官僚となったフランシス・フクヤマが示した通りに、アメリカそのものにおける事態だったのだ。(ヘーゲル自身はナポレオンのヨーロッパ征服をモデルに考えていた。)

2008年にアメリカの大統領選挙は歴史的な転換を向かえ、黒人初の大統領としてオバマ大統領を生んだ。この大統領選で最後まで争った女性候補ヒラリー・クリントンが、オバマに向けて言った祝福の言葉とは「I'm proud of you」だった。ヒラリー・クリントン的な白人の意識も、アメリカ人一般の構造として、プライドと自己意識の弁証法的構造だったことは、報道されるテレビの画面から明らかに見て取れた。プライドの意識とは自己意識の運動であり本質的には弁証法的な心的葛藤の過程に根ざすものである。この反対にヒラリーが、ことあるごとに選挙戦でも連発していた癖のある台詞というのは「shame on you」だった。(ヒラリーはオバマと敵対する過程では、オバマに向けてこの台詞を連発していたのだ。)このようにShameとProudが同一の位相で翻る相反的な構造というのが、ヒラリーが示して見せた単純なアメリカ人の意識構造である。この単純な意識の運動形態は、そのままアメリカ人にとって国家的な全体意識の構造まで続き、支えているものである。そしてこれはヘーゲル的な社会構造のチャートである。そこには否定性が肯定性を支え裏打ちしている運動形態がある。ヘーゲルがチャートにして見せた主人と奴隷の弁証法を実現したのは、アメリカ人の歴史である。この弁証法的な歴史構造ゆえに、アメリカ人とは、白人も黒人も有色人種も含めて、ダイナミックな敵対性から止揚するための高揚感を運動形態として、常に天然に、無意識的に抱えている。

素晴らしき弁証法、素晴らしきヘーゲル主義の現実態とでもそれは言おうか。




国家的規模で見せた全体性における弁証法止揚の運動とは、オバマの大統領選以前のアメリカに、既に幾つかの文化的脈絡では予感され表出していた。ヒップホップの世界で言えば、それはBlack Eyed Peasのスタイルにある。黒人のラッパーを中心にしてそこに白人女性とネイティブアメリカンが合流して成立したこのヒップホップユニットは、一言でいえば弁証法的な止揚と統合によって、アメリカ人の音楽を示すものである。それはブラック・アイド・ピーズアナーキズム的な運動形態である。彼らの絶え間なく呟き語って見せるラップによって媒介された運動形態が、立派な弁証法になっており、闘争的な過程と相互承認の過程によって何か次のビジョンへと到達しようとするものであることは理解できるはずだ。