鎌倉の海

1.
最近何度か鎌倉まで足を運んでいる。今までそんなに縁のある場所ではなかったが友人でひとり鎌倉好きがいるので何度か鎌倉に集合している。

気がつくと埼玉方面から鎌倉まで行くのがとても近くなっていた。JRだが、池袋から鎌倉まで今では乗り換えなしの一本で繋がっているのだ。このラインはそのまま大宮まで続きその先までいっているので首都圏が思い切り南北に貫通されている。国鉄がJRになって合理化されたというのなら、こういう合理化は喜ばしいことである。旧国鉄のラインとはやればこういう思い切った試み、改革が可能だったのだ。池袋から鎌倉まで実は電車で乗り換えなしの一本だったなんて考えるだけでわくわくするではないか。

車で鎌倉までいくとしたらどうなるだろうかと考えてみた。それでいくとしたらやはり高速はフルに使って気持ちよく行きたいものだから、うちならば北浦和インターチェンジあたりから首都高に入って世田谷方面まで抜けてから第三京浜に入るという道になるのだろうか。鎌倉というのは、古い町なので車で入るには不便な道であるらしい。確かにハイウェイで直接鎌倉に入るというルートは存在していないから、何処かで下の道に出てから古くて狭い道路を渋滞覚悟で通らなければならない。車で遠くから鎌倉というのはきっと不便なのだ。

2.
何故鎌倉かというと、あそこの仄々とした海岸がいい。寺も多いが鎌倉のあの地形が小世界のように纏まった完結性があっていいと思うのだ。由比ガ浜である。金曜日の昼に由比ガ浜で曇り空の下、サーフィンをする人達を眺めていた。

江ノ電長谷駅で12時に待ち合わせしていたが、肝心の主催者である友人はまだ来ていなかった。それでしょうがないので由比ガ浜まで歩いて海を眺めていたのだ。大きな曇り空だ。台風が太平洋上を通過している模様であるとは天気予報で言ってたから。サーファーの数は疎らである。しかしだからといって寒すぎもせず、暇なサーファー達は気持ちよさそうに向こうで浮かびながら波を待っている。

サーフィンでもちょいと遊びではじめようと思っているので、施設や値段や方法などを調べるのにざっと興味があった。海岸沿いには長く続く国道が一本貫通しており、砂浜の後ろには国道を隔ててコンビニのファミマの看板が出ている。湿っぽい風が緩やかに顔に吹き付けるのを感じながらぼおっと海を見ていたが、横に何人か同様に海を見ている人達が。隣には白い長袖シャツにジーンズを履いて草の上に座り、両手で足を抱えながらじっと海を見ている女性がいた。

面倒だな。もう帰ろうかなあ。ちょっとここで飯でも食ってから。電車乗って東京戻ろうか。そう思って歩きかけて隣の女性の前を通ったとき、女性の顔を覗くと、知り合いの西口さんだった。あーっ!と僕は声をあげ相手もあーっと声をあげ思わず二人でがっちりと握手した。

二人とも待っていて誰も来なかったので砂浜に一人で来ていたのだ。僕が長谷駅に到着したのがもう既に三十分位遅れだったから西口さんは時間通りにいたのだ。しかしいつものことだが主催者が遅れているのでどうしようかということだが、二人でしばらく携帯に連絡が入るのを頼りにして砂浜で待った。

3.
直売生しらすの旗が出ている。腹は少し減ってる気がしていたので生しらすの文字に僕の食指が動いた。裏のコンビニへいってATMで今日の資金を下ろしてから、生しらすを買いにいった。横にちょと入り込んだ小道に小さなしらすの販売店があった。

「生しらすください」
「えっと、おたくどちらから来てますか?」
おばさんが答えた。隣には娘さんが釜揚げのような作業をしている。
「いや、生しらすをすぐここでご飯にかけて食いたいと思ってるんですけど」
「一回水洗いしなけりゃだめよ」
「そのまま食えないの?」
「そのまんまじゃだめ!衛生上よくないから」

おばさんは隣の娘さんと顔をあわせて言った。仕事をしているおばさんも娘さんも、何かとても健康そうな気のする親子で、海沿いに住んで仕事していると本来人とはこんな健康な顔と身体を取り戻せるのかと思った。二人とも顔色の艶もよく、からだも細く引き締まっていて、よく見るとかっこよかった。かっこいいシラス屋の親子。母娘。

「そのまま食えるのはないの?」
「あとは釜揚げしたのがあるけど」
「いいや。生のが食いたいから」
僕は300円で一袋生のを分けて貰った。さっきのコンビニに戻り、ご飯を探したが白飯はないのでその代わりオニギリ数個を買って、飲み物に冷たいコーラをつけた。
「すごい組み合わせですね」
と西口さんが言った。
「しょっぱい物には冷たいコーラがよく合うんだよ」
と僕は言った。
「知らないの?」

砂浜に戻りオニギリを出して生しらすをつまみに食った。確かにそのまんまの生しらすは生臭かった。まず口に入れて一発目に、ドライアイスの塊が混じっていたのを吹き出した。目の前の砂と草に向けて口の中でうまく氷だけ選んで転がしてぷっと吹き出した。

確かにしらすとは生では食いにくかった。採れたものをその場で食っているというのはテレビでは見る。あれは船の上か水揚げした場所である。そうでなければやはりこれはすぐに生臭くなるものなのだ。あんまりこれをおかずに口に入れてしまうとお腹が痛くなるかもしれないので程々にしといた。西口さんには一口分だけ掌の中に分けてあげた。

海の中のサーファーを眺めながら、おにぎりを頬張っていた。海の色はどんよりと緑色が深く、空はどこまでも雲が立ち込め、しかし時折明るくなるような気配もあって、海はやっぱり羨ましかった。本日は御霊祭りというのが長谷の寺であるらしい。町はそれらしい祭りの賑わいの気配を示している。僕らは砂浜で人を待っていた。

4.
由比ガ浜をずっと眺めていると歴史を想像できるから面白いのだ。この砂浜でここ千年くらいの間に一体何が起きていたのだろうかとか。こんないい砂浜で小世界が出来上がっている海岸線だから、昔の日本人がここを中心にして国の幕府を建てたかった気持ちもよく分かる。すごくよく分かるなと思った。

この砂浜で過去に何があったのだろうか。今はもう目に見えない過去の事件である。思うにそれは決してよいことばかりではなかったはずだ。この砂浜でかつて日本人は裁判の儀式をして、人を処刑していたと考えることもできるのだ。いやきっとそうに違いない。実は昔の由比ガ浜とは、定期的に血の海になっていた。明け方に、砂浜では人の首が、日本刀ではねられ、処刑の儀式は公開制であって、処刑される時間にはいつも、往来から見物の人々が集まってくる。

・・・もちろん今の由比ガ浜微塵もそんな気配は感じられない。しかし後ろに迫る山の気配は、仏教的な諸行無常の境地を暗黙に語りかけているようにも見える。昔、多くこの砂浜で流された血の量について思いを馳せた。今はもう見えない記憶。でもきっとあったのだろう過去の日本人の歴史性。この砂浜は確かに人々が集まって霊的な儀式とかするにはもってこいの感じだ。

そこにかつて有り得たものとは儀礼に捧げられた生贄の血の大きさ。由比ガ浜に打ち付ける波の色は今もとてもいい色をしている。深い緑色を贅沢に湛えている。そんな豊かな波の色だった。空は時々、明るくなり、日が刺す。