真夏の時間性

1.
ここ最近どうも季節感がない。気がついたら八月に突入してる模様である。突入とかいうと何かがはっきり、区っきりとした徴候でもあったかというと、本当はそんなものはない。

愚図愚図した天気が続いていて時に異様に暑い日も来たりして気がつくとカレンダーは八月のページに、ネットの中では自動的にめくれていたということだろうか。時間の進行というのが実際には何処で起きているものなのか気がつくのは難しい。時間の進行とは個人にとって、主体として見たときの意識にとって、具体的感触としては訪れにくいものだから。

2.
時間の認識とは何か必ず抽象的なものが伴う。時間の進行を実感する体験とは大抵後から気付くというものだ。ああもう気がついたらこんなに時間とは、立っていたのだねという感じで。それは経つと言うか立っているのを改めて確認するといった風だ。しかし実際に時間が進行している瞬間に、同時進行的にそれを捉えられている体験というのは珍しい。そういうことができるのはよっぽどの瞬間の事である。時間とは事後的に気付くもの。後から確認されるもの。反省の感触としてのみ、正確には測られるもの。時間における客観性のことだが。

夏休みというと子供達にとっては時間の区切りとして実感を喜びとともに分かつものかもしれないが、夏休みというものの正体だって実際にはただ時間の延長にすぎない。ただ夏というのは時間の進行が普段よりも増して熱さとともに鈍くなるような緩慢なモードに進入する時間性だということはあるのだろう。それは子供が信じやすいような時間の昂揚的な高まりというのでは決してない。感覚としての時間性としてはダウナーの方へ入るものであり、時間の遅さというのがむしろ際立ってくるような少々日常的には特殊な時間性だということ。

3.
僕はといえば、先週新しいキーボードを川越のソフマップに買いにいってから、まだこのキーボードの感触に慣れていないといったところ。パソコンの使用の習慣にとってキーボードとは微妙なところにあると思う。本当にいいキーボードというのは結構高いのだ。長年使ったキーボードはもう見るも無惨な姿になっていたので気分を刷新する意味でも、キーボードは洗うより買い換えてしまったほうがすっきりするだろうと思っていた。

パソコンで使っているキーボードとは実は便器の便座より汚くなるとか言う、説というか風説があるが、便座というのはちょっと汚さを測定する基準が違うのではないかと思う。キーボードは日常的に多用していて生活にとっても無意識的にもたれかかっている部分が大きいので気付いたときには何か異様に手垢に塗れたくすんだ姿に成り下がっているかもしれないが、別にそんなに健康を害するほどの状態にそれがなってしまうというのは、滅多にない話ではなかろうか。年季の入ってるキーボードはそれなりに逞しい感じもするし。手馴れた何とかというが、まさにそれは手馴れなのである。

中途半端な値段のキーボードを買ったがそれは少々小柄な代物でなかなか手に馴染んでくれない。ノートPC用の配列になっているがキーボードとは別に小さくてもよいということではないみたいだ。最近は数字を打つのにテンキーをよく使うようになったので、テンキーとキーボードの分離した体制でパソコンの設定を作りたかったのだ。

ということは反省して見た結果、一番安いほうの値段で売られているタイプの汎用キーボードというのが、コストパフォーマンスからみても一番使える、使い勝手があるのではないかという気がする。具体的には980円ぐらいで出ているメーカー大手のキーボードが最も標準的に出来上がっているということ。高級な代物ならよいというわけでもないし逆にそれ以上値段が崩れていても怪しいということだ。

4.
物の値段とは高くても本当にいいもの、おいしいものが売られているわけでは決してない。人間の嗜好の習慣的レベルにおいて、最もおいしいもの、よいものとは、最も汎用的に並べられている商品の種類だったりするわけだ。鯵の開きとかさんまとか商店で買うときも、鯵やさんまのような一般的魚が結局一番おいしくて安定的に食事を満足させてくれる。僕の見方ではどうもそんな気がするのだが、何故だろう。

おいしい魚とは珍しくて高価な魚ではなくて実際には普通の標準的に多く売られている魚であることのほうが多い。もっとも売れて値段が低く安定しているものとは、人間一般の嗜好にとってもっとも安定して実際に満足させているものだから。システムとしてもそういう必需品のレベルだけは安定して供給しようという、無意識の調整弁は常に機能している。

結局おいしいもの、満足度の高いものとは、普通の商店で売られている鯵やさんまやいわしや鮭であり、コンピューター機材についてもそれが広く普及して使われるようになる段階になったとき、既に同じ法則があてはまっている。

だからやっぱり近所のヤマダで売ってる980円のキーボードにもう一回乗り換えるかもしれない。パソコン用の液晶モニターも、五年ぶりくらいに買い換えた。今の液晶は安い割には画像が綺麗で鮮明でびっくり。横長のワイド画面というやつだが。本当に最近ではパソコンとテレビの境界はなくなっているという感じだ。

5.
日焼用オイルというのも安くて何かよいものがないか調べてみた。普通にドラッグストアで探しているとそれなりに出ているものが売られているが、実は百円ショップでも日焼用オイルが出ているのを見つけた。ここしばらくの間室内中心の生活だったので皮膚の感じというのが何か冴えないツヤの落ちた感じになっていた。そんな気がしていた。気分的に。皮膚におけるような身体の表面に活性を与えるためには、暇なときに日焼けで刺激を与えてやることによって内側から脱皮させてやったらよいのではと考えたのだ。

からだの内部にとって燃焼作用とはどこで起きやすいのかということだが、単純に日焼けのようなものでもそれなりの効果はあるのではないかと仮説を立ててみた。ガングロとかファッションとしてそういう方向もあるみたいだが、単純に日焼けというのは、何か意識には気付きにくい部分で、自然に身体の代謝作用を促進させるものがあるのではないかという気がする。ただオイル塗ってその辺で寝るか遊んでるかしてればよいだけの、これも一つの治療法にはきっとなるだろうから、ちょっと実験的に自分で試してみようかということだ。