(X=)JAPAN精神分析Ⅱ

1.

5月3日の夕暮れに東京ドームの中に入り、エックスのステージの巨大セットを眺めながら会場の全体を見渡し考えた。しかし彼らもよく、千葉の館山から出てきてここまで大きくなって出世したのだなと。デビューになる以前に、ヨシキは元気が出るテレビで紹介されていてその映像が残っている。若い頃のヨシキの姿が面白い。

2.
僕が高校の時に、クラスに中森明菜清瀬の中学で一緒だったという女の子がいた。それで、中森明菜が地元中学のツッパリ系不良グループとどんな関係だったかという話を聞いたことがある。ヨシキも中学と高校で不良になったらしいが、彼の場合もきっと中森明菜と同じような不良の関わり方をしたのではないかと思ったのだ。

ヨシキとトシの進学した高校は、館山の安房高校というところで、県立で偏差値こそさほど高いとはいえないが地元では伝統的な高校であって、卒業生には、戦後左翼思想として、戦後主体性論を著した梅本克己がいるような高校である。ヨシキは高校生になって単車を買い、乗り回して暴走族の集会にも出掛けていたようだが、集会には試験勉強のための英単語帳をもっていき集会の最中にも読んでいたという。ヨシキは呉服屋の息子だったが、母親からはやることちゃんとやっていれば何やってもいいと教わっていたので、中学の試験で学年2番を取ったときに勢いをつけて髪の毛を赤く染めて登校していったら、教師に捕まり坊主頭にされたという。

80年代の終りからエックスは盛んにテレビに出てくる。初期の頃地方のローカル局で喋っている若い時代のエックスの発言も興味深いものだった。メジャーレーベルからデビューアルバムが出せた頃に、エックスが新潟の番組に出演して喋っている映像があった。若い頃の、まだあどけなさが残る顔の青年の、ヨシキとヒデとトシの姿が映っている。彼らが自分の希望を純粋に告白している。ヨシキの発言にトシが涙している。こういった友情の存在というのがバンド活動をプロの世界でも支えているのが分かる。ヨシキが、俺は実は超能力が使えるんだと、本気になって語っている。

3.
千葉の館山から野心を抱いて上京してきて何もない所からバンドを立ち上げた。といっても彼らの場合、一応ヨシキの母親からの金銭的な援助があった模様である。ただ野心だけでギラギラしてる若者が、試行錯誤を繰り返しながら他者と出会い、付いたり離れたりしながら、大きくなっていった過程がそこには見られる。エックスのメンバーとは、残ったものも消えていったものも含めて、アナーキーでアーティストとしての生き様には凄まじいものも見られる。

特に初期のベーシストだったTAIJIのケースがすごい。エンドレスレインのビデオで印象的なベースを弾いてるのがタイジである。初期のエックスが成功するまでの過程を担ったベーシストがタイジであったが、91年で彼はエックスを脱退している。その後タイジはラウドネスに加入して活動していたが、やがてタイジは生活として破綻してしまう。上野のホームレスとしてしばらく暮らしたともいうが、98年にhideの葬儀に訪れ、久しぶりにエックスのメンバーと合流したとき、ヨシキに口の中に歯が欠けているのを見られた。歯は路上の喧嘩で折ったものだったが、やつれたタイジをヨシキは見かねて、その場で現金300万を渡したという。

その後タイジは音楽活動に復帰するが2005年にバイク事故で足に致命的な傷を負う。タイジは、国会議員になったプロレスラーの大仁田厚とも友達で、大仁田のテーマ曲を作ったりしている。体をボロボロにしているものの今でも音楽活動は続けている。hideのパーソナリティというのも面白かったが、彼は横須賀で高校を卒業してから美容師になって仕事をしていた。美容師としてサラリーマン的な生活をしながらバンド活動を続けており、結果エックスで成功したものだった。

4.
80年代において、ロックとはまだアートの崇高な対象として捉えうるような空気は残っていた。例えば、80年代以前にとって、芸術の神学的対象とは、日本では文学が担っていた。また一部の人にとってはそれが映画だったのだろうし、一方では左翼、新左翼の運動が神学的対象性を担っていた。文学と左翼の価値というのは日本の社会で急速に薄れていった。それらは身を捨つる程のものではあるはずがない。

70年代まではまだ文学と左翼に対して献身的な価値観とはありえた。それは要するに中上健次的な意味での文学の時代である。しかし中上健次もまた70年代と80年代という時代に固有な現象である。文学の崇高なイデオロギーのイメージを追って、結果やはり空虚さに片足を踏み入れながら強引に乗り切っていた存在である。

5.
80年代とは思えば、まだ社会の中に神話的な価値というのが辛うじて残っていた時代だった。文学と左翼が失って白けてしまった空白の、イデオロギーの崇高な対象というのが、ロックというジャンルにはまだ辛うじて生き残っていた。

エックスの音楽に対する態度とは至極真摯なものであった。ヨシキの強力なリーダーシップも含めて彼らが音楽に未知の対象を込めようとして語っている姿とは感動的な程に真面目なものだった。そこから彼らの起源にある精神性とは純粋なものであったことが分かる。その思いの丈をロックという対象に全力でぶつけて来た結果が実ったのだ。ファンの女の子達はそんなエックスの姿を見ているから熱狂的に彼らに応援を投じるようになった。

ヨシキの過剰な礼儀正さ、対話しているときに見せる他者への気遣い、そして優しい仕種。そういった映像記録を調べていくと、ヨシキというのがその心の根底でいかに優しい人物であるのかが窺える。しかし彼の優しさは壊れやすさとして、常に微妙な不安定性の中で晒されもがいてきた。ヨシキの多重人格的な攻撃性とはそのヴァルネラビリティから来ている。

彼にとって内面の中にある絶対的な不均衡とは、飽くなき上昇への野望をずっと駆り立ててきた。珍しい人物かもしれないが80年代の精神的土壌ならば、まだ日本人としてこういう人物も有りえたのだということは理解できる。神話の欠片が切れ端として断片になって空気に散り浮かんでいるような、過渡的な時代に、彼らの生き様が成立した。

6.
エックスは90年代において、過剰な程に、バブル経済の流れも身に受けながら成功を手にすることになった。90年代にエックスのツアーのテレビコマーシャルとは、デビッド・リンチが撮影したものである。しかしエックスにとってこの後明らかになるのは、成功のイメージにおける空虚さである。

エックスがビッグになる過程で背負ってきた無理の数々とは、後になって症状として表出した。バンドを97年に解散した後に、トシが宗教団体でトラブルを起こした事件とか、hideの自殺だが事故死だか分からぬ謎の死に方とか。極度のツッパリによって自分達を過剰に演出してきたエックスとは、後になってその内面の脆さを明らかにするところとなった。

今、トシが歌う姿を見ていて、彼は華やかなステージを演じつつも、何かふとした瞬間に、この人はとても疲れているのではないかと思わせるような節がある。いまだに栄光のステージの上に立てるとしても、どうも幸せそうではないような感じが漂ってる。二十代の数年で一生遊んで暮らせる程の金を稼ぎ出せた彼らであっても、何故こう幸せではないような感じが付き纏っているのだろうかと思わせる。

エックスの感性とは、派手さと力の隆起において最も直接的で分かりやすい部分に吸いつけられて行く。しかし彼らが求める直接的な顕示性とは、内面の苦渋の屈折の結果に、生の輝きを希求する人一倍強い渇望のもとで生じている。

7.
エックスの音楽とは、80年代にそれまでのヘヴィメタルシーンを凝縮させるエッセンスとして出てきた。しかし英米圏にとってはヘヴィメタルを成立させる前提としての音の系譜と風土というのがあったわけだが、日本においてはそれがないので、ヘヴィな音を出すときどうしてもそこに空虚さというのが生じてしまう。メタルの巨大音量の空虚さを埋めるときに、エックスにおいて取られた手段とは、ヨシキの培っていたクラシック音楽の技術であった。

ヨシキは小学生だったときに、キッスの来日公演があり、母親と一緒に見に行ったという。原体験としてはキッスの来日公演が日本に与えたインパクトがエックスの起源にあったのである。別にエックスのメンバーに限らず、キッスの来日が日本の文化的風土に与ええたインパクトの総量とは当時巨大なものだったのだ。そうして改めてエックスの音楽を聴くとき、成る程、この音楽の基底には、キッスとクイーンというハードロックの基本形が原理的に生きている。

多くの日本人にとって、キッスの来日公演とはロックの登竜門として原体験を為している。その記憶を所有している日本人はとても多いはずだ。ハードロックという形が一定の進化を始めた段階で、日本にそれが紹介され、特にヘヴィメタルという現象が開始される直前に、キッスとクィーンが日本のサブカルチャーに与えたインパクトが、最も忠実な形で持続して生きているのが、エックスの音楽である。もはやエックスの演奏力とはキッスのそれよりも遥かに上手いことは一目瞭然である。キッスのインパクトを日本人は超えた。そこでクィーンの感動を見事に昇華したのだ。

キッスの音楽の派手派手しさと、衝撃的な自己顕示的主張の貫きについて、我々の中に眠るそのインパクトの記憶から、現在の音楽形態を見やる。そこでは、懐かしい意味でも、胸を締め付けるような切ない意味でも、ロックに纏わる硬い実体について、我々は再び思い起こし、把持する仕方を思い出せるのではなかろうか。かつてロックとは確実に、このように感動的な実体であったのだと。