足のツボ

数日前テレビを見ていたら石田純一は靴下をはかないという話をやっていた。いや今までは靴下をはかないことが多かったが最近ははくようになったという話だったか。なぜ石田純一は靴下をはくようになったのだろうか?年を食ったから履かないでいるポリシーをキープできなくなったからだろうか。しかし靴下を履かない気持ちはよくわかる。

僕も極力靴下ははなかないで過ごしたい心情の持ち主だ。いや心情というか体質だろうか。他にも靴下を履くのが嫌いな男性像を見たことはある。ラモスも殆ど履かないみたいだ。靴下を履かないから靴を裸足で直接はいている。

一つは、裸足の感触がやっぱりどこまでも好きだということと、靴下は面倒くさいということがある。しかし裸足で靴をはくわけだから、靴の傷みは当然早く来る。傷みよりも前にまず靴がくさくなるという恐れがある。臭くなってきたときが靴の捨て時になるから、裸足で履いてれば結果、靴の寿命は短く靴は早く捨てなければならなくなる。結局靴下を履かない方が金は多くかかってしまうということになる。一々靴下を用意することを毎回けちっていると結果的には金銭的な喪失には繋がる。しかしそういった条件を見積もっても、やはり裸足主義的なライフスタイルの解放感はやめられないということなら、裸足の気軽さをいつまでも楽しむという選択もある。

僕も、裸足好きなので、家にいるとき、靴下はどっか面倒くさい所に出掛けるときか運動するとき以外には履かないのだが、僕の場合はサンダルを使うのが多いので、靴はそんなに持っていない。冬でも裸足にサンダルで相当我慢できる。雪が降ったときはサンダルも裸足もつらいが、それでも近所の買い物なんかだと足の冷たさを弱冠楽しみながらもスリリングに雪道の裸足サンダルを楽しむような時もある。近所の公園でサッカーボールを蹴るくらいの運動ならばサンダルでもできてしまう。サンダル履きでボールを蹴るのもテクの問題で楽しめるから。そもそもブラジル人などによく見るビーチサッカーで、砂の上でボールを蹴るものでは、最初から裸足でけってるではないか。あるいは南米の町のストリートサッカーの風景では子供達が裸足でボールを蹴っている。子供なら裸足でも回復が早くて大丈夫だが大人だと結構きついのかもしれないが。

しかしここ数年のことだが、どうも足裏に凝りのようなものを感じるようになってそれが抜けなくなった。昔は簡単に回復していた足裏の疲労もなかなか今では抜けなくなってきたということだ。足の裏に露骨なコリがあってそれが簡単に消えない。足裏の手入れといえば、そういえば今では足裏マッサージなるものが流行っていて、街なんか歩いていてもそういう看板はよく見かけるようになった。足裏マッサージ30分で3千円くらいというのが相場なんだろうか。結構高いと思うしやってもらったことはないのだが、流行ってるということはプロの人に診てもらったらやっぱりそれなりに気持ちよいのだろうしストレスは解消されるしリラックスできるのだろう。きっと。

それで僕は、だったら自分で足裏を研究してみようと、ここ数日ネットで調べたりしながら足裏のツボの構造というのがどうなっているのか調べていた。足裏の図というのがあって、頭のてっぺんから身体の各部位まで、すべてが理論的には足裏或いは足表のどこかの部分と連動してるようだ。しかし自分でいろいろ押してみてもどういう押し方をしたら感触として効くと思えるような刺激が得られるのかはなかなかまだ分からない。

凝っている部分は確かにあって、それが内臓の問題なのかあるいは歩き方や履き方の問題なのかもまだ分からない。ツボというのは、押していって、痛い所があったら、それがツボなのだそうだ。だから痛い所があったら、そこが痛くなくなるまで揉んでやったり、或いは強く数倍痛いほどに突き込んでやったら、それが治す方法であるということになる。ツボの在り処というのは、それが痛いか否かによって判別される。これが他人にやってあげるプロの腕なら、そこが腫れていたり固くなっている度合いにおいて判別するのだろう。

原則としては、痛いところがツボなのだ。治療というのは、痛い所を突くことによって揉み解す、血行をよくしてやるということである。果たして、この原理は他のあらゆる意味でも適応できるのだろうか?