伊勢神宮の黒と白

日曜日の夜に僕らはもう大分暗くなってから車で伊勢に着いた。来る途中奈良の盆地で見た吉野の月は異様な輝きを放っていた。何故だかあの盆地で見上げる月は普通に我々がいつも見ている月よりも大きく、そして普通よりも低くて手の届きそうなところにあるように見えた。それがどういう現象なのかは分からないが、月の存在感があの山に囲まれた場所においてだけは異様に大きかったのだ。

伊勢へと入る道は国道23号線である。国道20号線といえば、新宿を貫通する東京の生活では馴染みの深いあの道路で甲州街道のことであるが、伊勢へ続くための道路というのは23号というように、比較的早い段階で国によって着手された、最初から国家にとって主要な道路の一つと見なされていたことが、その番号の若さから窺い知れるだろう。伊勢神宮という場所が、国家にとって意味のある場所だと、そこには産業に該当するものは殆どないに関わらず、昔から見なされていたのだ。いつからここに神宮があるのかという史実的な詳細については不明であるみたいだが、神話によると紀元前70年くらいの垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとたけるのみこ)が天照大神の神託を受けて開いたのだと記述されている。日本書紀に書かれている。伊勢神宮といっても正式名称は、神宮であり、ここは別格だとされているのだ。明治政府が国家神道の頂点として位置づけた場所である。だから戦争中には、この場所が国威掲揚の為に利用されたという経緯がある。

昼過ぎに大阪を出て夜の八時くらいに伊勢に入った。ぐるりと大きく市内を流しながら伊勢の町並みを眺め、もう暗くなってからそこに映る町の姿は、よくある海に近い田舎町といった感で、だだっ広い空間の敷地に間隔をあけて建物が散立しているといった夜の景色だった。神宮には内宮と外宮とに別れ、駅の近くには外宮の繁った木々の森が大きく道路のほうに迫り出して来ていた。

田舎の狭い山道の運転を経てきたのでくたくたに疲れていた。休むためにネット喫茶を探した。はじめはスーパー銭湯で一回疲れを癒してからにしようかと思っていたが、コンビニで聞いたところ、伊勢にはスーパー銭湯というのはなく、あるのは普通の銭湯だけだという。旅のどこかでスーパー銭湯を使おうとずっと思っていたので、風呂は後回しにした。一軒、道路沿いに大きなネットカフェを見つけた。ネットカフェに入ったのは8時半である。ナイトパックは6時間しか使えないので朝の2時過ぎで追い出されることになるのだが、疲れていたのでとにかくそこに入った。設備は最新式でよいネットカフェだったので結構リラックスは出来た。1時間ほど、鶴橋から持ってきたキムチなどを突きながらネットを見ていた後に、熟睡が訪れた。

それは強烈に密度の濃い睡眠で寝ている間に何か一杯いろんな事象が体内を横切ったような気がするが全く覚えていなかった。あっという間に寝ていて時間が過ぎたみたいで二時に起きたときは、あれもう終りかよと思った。超凝縮されて終わった睡眠だが起きたときはそれなりに疲労も取れてリフレッシュしていた。目が覚めてから数分でからだには元気が出てきた。朝の二時半でとりあえずネットカフェを出る。さあ超早朝の伊勢の市内である。田舎の観光町、しかも普通の観光町と違って随分と神がかった特殊な田舎町だが、ネオンや繁華街の類に属するものは何もなく、ただコンビニだけが町の中で明かりを灯していた。朝一発目の目覚めには、百円の紙パックの日本酒を選んだ。これがなかなか気分いい。たった百円でこんなに気分がよくなれるとは、コンビニで売ってる百円の酒とは最もお手軽なドラッグなのだろうという話を咲かせた。

伊勢の朝が早いとは噂には聞いていた。伊勢といえば赤福の本店があるがそこは開店時間が五時だという話である。朝の三時をすぎたがこれは伊勢においては必ずしも人々の動いていない時間帯ではないのだろう。僕らは内宮へと向かった。内宮の周辺はまだ暗闇の中にあったが既にそこには観光バスが動いていた。朝の三時からもう一部の参拝がはじまっているのだ。そして何か特殊に見えるその早すぎる来訪者たちのために、内宮の周辺ではもう店が数軒開いていて灯りをともし営業していたのだ。もちろん気温は冷え込んでいて寒い。吐く息は白くなる、神宮内宮の周辺である。バスに乗り何件かの団体客が忙しなくそこには行き来している。見ているとそれは宗教団体の参拝なのだ。そこには女の人達、みな黒い服を着た婦人たちが大半で、僕らも車から降り、店で買い物するのに混じってみたが、彼女たちの胸には名札がついていた。そこには団体の名前が入っている。後でネットで調べて見たところ、それは兵庫の加古川のほうにある宗教団体みたいだが、ネットの情報ではどうやらカルト扱いを受けている団体名であった。

しかしそこで異様な姿を目撃した。本殿の方にいく鳥居の前、参拝用の入り口に当たるが、黒い服を着た女の人達が長方形のように列を為して並び、肩から一様に白いタスキをかけている。その女達の一団が、順々に、肩のタスキを光らせながら、みな一様に俯き加減で、長い髪の中に顔の表情を隠し、鳥居の中にぞろぞろ歩いて消えていくのだ。
規則的に列をなし、彼女たちは統率されて、黒い服に身を包み、入り口の白い外灯によって肩のタスキを光らせながら、足音をたてて中に消えていく。鳥居は参宮橋の丸い木造のアーチに続き、小さな川を挟んで女達が集団を為してそこに消えていく。僕がその光景を驚いたように見ていたら、冷たい空気の中で重たそうな制服を来た受付の男性が近づいてきた。両肩に嵩高のパッドが入った何か軍服にも似たようなアレンジの制服である。「一般客ですか?」そういう男の口から白い息が見える。「一般客の参拝は五時からです」「ええ」頭をさげる。「わかってますから」

あのタスキをかけた女達の列が何に見えたかというと、それは戦時中の学徒動員など、戦争に男達を送り出す女の姿に、まさに重なって見えたのだ。女達みなが髪の中に顔を埋め俯き鳥居の中の丸い木橋を上っていく姿とは、そのまま亡霊的な光景に見えた。鳥居の入り口に翳された、月明かりにも似た白い外灯の光を受けて、それは集団で上昇していく女達の亡霊のようだった。学徒動員から日本の特攻隊までのイメージが蘇った。男たちも当時白いタスキをかけて集団で列を為し召集されていったのだろうが、一方で女たちはこうして集団で神宮でお参りをするのだ。そのようにして男達の戦争を応援し補完していた。この集団的なる亡霊風の光景が、日本の近代史における断層に潜む記憶なのだ。朝はやく来すぎたと思っていたがその替わりに、すごいものが見れたと思った。

五時になるまで車で周辺を何度も回り時間を潰した。まだ暗闇の中にある神宮周辺の景色である。参道は古い日本の木造建築で立ち並ぶ。小さな川が流れていて丸いアーチ状の木橋がかかってる。小川の岸はコンクリートで固められ木製のベンチが置かれ、休むには気持ちよさそうな按配で出来上がっている。

日本の宗教性においてはここが総本山にあたる。日本の宗教性といっても所詮はマイナーなものである。だからここ以外の地域、都市などで生きていて、日本の国家的な宗教性について意識することは、日本人にとっても稀である。しかし日本の国家的体制とは、近代の一時期において、それは特有の宗教的強制力によって支えられていたという事実はある。敗戦し終戦した後はその記憶ももはや忘れられた。忌まわしい国家的な過去として封印された。今これに気づくことは、封印されている記憶の古層を発見することに他ならない。

しかしどの国家であっても勿論、国家を神話的に根拠付けるイデーにあたる宗教が戦争に加担しているという過去はある。それらは歴史的に必ず見出される。だからそれは伊勢神宮靖国神社に限った話ではないし(他の国家の成り立ちと比べて)、戦争責任を考えるならば、日本だけどうだったかのケースを見ているのでなく、同時に横の時代的な連関において、他の国家では戦争と殉死を意味づける宗教的儀式性がどんなものであったかという事情も見なければならない。そうでなければ世界史的に正確に物を見てるわけには到底ならないだろう。他国においても、やはり戦争と殉死の観念とそれを基礎付ける宗教性というのは何か必ずおぞましいものがあるはずだ。それはキリスト教の国家でもそうだし共産主義の国家的イデアであっても同じことだ。歴史を突けば相当にオゾマシイ事柄にぶつかる。穿り返せば出てくる。

ただここで目撃された白いタスキ黒い服の女たちの行列する光景というのは、とても亡霊的なものに思われたのだ。それが人知れぬ時間帯に行われている特に亡霊的な儀式そのものに見えたので強烈なオーラを帯びていた。しかし参拝から戻ってきたかの女たちとは、大きな売店の中で普通の楽天的な主婦そのものの姿であり、無邪気な買い物に熱心にのめりこみ他愛のないお喋りに興じていた。ただの騒々しい女たちだった。この同じ凡人たちの風景が、鳥居を通っている瞬間だけは全体主義的亡霊の姿を帯びて、白い光の中で密かに異様な輝きを帯びていた。遠くから見るとそれは同じ人間たちの集団には見えない。しかしまごうことなき、それは事実同じ人たちの群れだったのだ。帰ってくれば女たちは全く普通である。謎の匂いも消滅した。

僕は伊勢に流れる小川に向かって、寒くて冷えるので三回立ちションをした。みなからバチ当りと言われたが僕は逆にこれでウンがついたのではないかと思ってる。五時を回り僕らも参拝に入った。そこは大きな自然公園にもなれる。広々とした砂利の敷き詰められた通り道で、車の中からサッカーボールをもってくればよかったかと思ったが、もしそこで僕らが早朝サッカーをやっていたら誰かにド突かれたことだろう。ここ天照大神がいるんだってよすげえよ・・・とかいう奴がいたので、石段の上から、ワレこそがアマテラスオオノカミなり・・・と言ってやった。薄ら明るい暗さの中で、祭壇に至る長い砂利道の参道を往復した。引き返してきて外へ出て続く石畳の参道に出た。赤福の本店だという小さな古い木造の気合入った店舗へといった。開店したばかりの赤福本店の前で、買いに来てる人はまばらにいた。宗教団体の黒い服きたおばさんも、そうでない人たちも、若いギャルとか連れの背の高い外人の男とか手を繋いで。

奥に畳の座敷があり、火鉢が並んでいる。金メッキの火鉢にはまだ火が入ってなかったのでいれてもらった。そこで出来立ての赤福を、僕らはお茶をすすりながら食べた。火鉢に手をかざし炭火の威力を確認する。炭火の優秀さである。静かな神宮の朝だった。物音もしない。しかし人々はもう既に起きている。生きて活動しているはずだ。物音はしないが気配は感じる。気が周辺には漂い出している。畳敷きの隣には、マスクをかけた女たちが狭い所で、忙しなく皆一様に一途に俯き、赤福を手で作ってるのがガラス越しに見えるようになっている。「赤福ギャルだ」南尚が言った。「おまえもここで働いてみたらどうだ?」「赤福づくりに就職」「これ女しか作れないんですかね?」「赤福ギャルねえ・・・」「処女限定とか?」

伊勢神宮の空はそろそろ明けてきた。上空は白んできた。小川には何も人気なく静まり返った中に水がとうとうと流れている。透き通る。きれいな水だ。僕らは車で伊勢を後にした。名古屋へと向けて大きな幹線道路を悠々と飛ばしていった。