関西という地勢

金曜の夜から友人たちと車で東京を出て関西方面へドライブに行った。深夜の東名高速を突っ切る。麻生さんが高速どこまでも乗り放題千円にする、休日につきという発表をした。しかしいつになったらそれがはじまるのかさっぱりわからない。それ以外にちょっと異常にも見える日本の高すぎる道路使用料金には破壊の兆しは少しずつ見えてきていて、今のところETC搭載という条件において深夜は半額になっている。高すぎる高速料金。感覚が余りになれてしまっている為に本来高速道路とはどれだけ自由に使いうるのかという想像力さえも奪われているんだなきっと。

京都に朝入る。雪の降ってきた朝だ。山に雪がかかっている。木々の梢に薄く化粧でも施したように。京都がきれいだというとき、果たしてこういう景色のことを指していうのだろうか。しかし山に雪が積もること自体は別に何処でもある話でここに限った話ではない。ちょっと小ぶりな山が折り重なるように囲まれた盆地の世界の中からこの薄い雪のふりかけのようにかかった景色が独特ということなのだろうか。古寺や古い木造建築物の裏に背景としてこの景色が被ると美しさが映えるのだろうか。人が冬の京都というとき何のことを指して言ってるのだろうかと色々考えを車のハンドルを操りながら侍らした。

雪は早朝すぎですぐやんで太陽の光が休日の京都の街に輝き反射していた。イノダコーヒーという老舗のコーヒーショップを探して午前中の京都をぐるぐる回った。谷崎の通った縁の日本の元祖喫茶店だという。何軒か京都市内にあるみたいだがよく分からないのでそれを目指して何度も同じ道をぐるぐる回った。見当たらないので結局京都駅地下にある店舗に入る。一番妥協案であるが風情とかそういった意味とは逆の意味での京都らしさが駅地下で見れた。ナポリタンとコーヒーを頼むが昔の古臭い元祖ナポリタンという感じのナポリタン。これが食ってみたかったのだ。コーヒーは、昔最初に日本で喫茶店がはじまりコーヒーが飲まれ始めた頃のコーヒーでコーヒー牛乳と似たような甘いコーヒーだと聞いていたがまあそんな感じか。そういえばジョージアの缶コーヒーでも最近は甘いのが流行ってるが甘いコーヒーというのも、もしかしたら日本的なのかもしれない。ラーメンやカレーライスが日本食であるように。

狭い道が多い京都の町。夜は小雪の降る中の祇園に新京極。寿司を食う。安いが気合の入った寿司屋だった。街は華やかだが間違いなく寒い夜だ。冷えは人混みで詰まって一杯一杯になった繁華街の空から取り巻くこの盆地一体にこの夜降りている。寒さが刺すのを感じながら狭い場所に異様に人々で沸き溢れている中を歩き続けた。狭い壺に人々が一杯押し込まれて騒ぎ楽しんでいるという景色に見えてこういうのが日本的かもとはまた見える。

深夜を待って名神高速で大阪へ。これはどでかい、迫力ある真直ぐにずっと貫通する高速道で、すいた道をぶっ飛ばしていたらすぐ大阪に入った。尼崎で降りてそこから大阪に下の道で戻っていった。深夜の大阪の町並み。過ぎて道が郊外へ向かう途上、守口の辺りでネット喫茶に入り休む。こっちのネット喫茶で違うところとは、まずドリンクが有料である。関東のほうであれば普通はフリードリンクである。それが当然と思っていたがどうやら違ったのだ。この旅で休みと睡眠はすべてネット喫茶あるいはマンガ喫茶と呼ばれる場所を使った。はじめてこういう形態で旅してみたがこれはすごい、使えると思った。ネット喫茶の文化とはお気軽な文化である。気軽でありすぎて充分問題も含んでるというのも承知してるが、しかしこの形態はすごい、合理的である。これによって宿泊にかかる料金は大体千円から二千円の間だと計算できる。そしてネットがあれば何処にいてもいつもと同じ時間を取り戻せる。旅はいくらでも広がる。これはすごい。ネットジプシーの気持ちもよく分かる。

早朝ネット喫茶を出て鶴橋へ。基本は夜に面白い町のはずだが、謂わずと知れた在日系文化で有名な泣く子も黙るあの鶴橋である。朝でも開いてる店はキムチの販売店ぐらいだ。本場のキムチを何種類か買い込み隣のコンビニでビールを買って公園へ。冬の公園でささやかなキムチの小宴会状態に。安い割には余りに旨すぎるキムチの数々だった。公園に吹いてくる風は気になるがビールには最高であった。道頓堀へ向かいたこ焼きを食う。東京で食うたこ焼きと何か違うだろうか?と思ったが特に違いはないだろう。僕らの食べたたこ焼きは行列ができていた店のを並んで買ったのだが敢えて特徴と言えば蛸が大きいということ位。

さてそこから今回の旅のヤマである。僕らは車で伊勢へ向かう。しかし大阪から伊勢へ向かうというときどうやら道がないのだ。高速道では一回京都に上ってから伊勢へと降りていくという道が定番になってるのだろうが、しかし地理を見れば場所の位置とは、紀伊半島の西側と東側である。この半島を横に突っ切れば単純に大阪から伊勢へ出れるはずだがそこには山地が控えている。特に標高の高い山地ではないが、そこで大阪からお伊勢参りで直通できる道が存在していないということは何かの理由があるのだろう。要するに山の存在であるが、僕らはそこをあえて大阪の南側から伊勢へとなるべく最短の方向で突っ切ってみることにしたのだ。

峠道を越えることになるだろうと思ったがまさにそうなった。まず大阪の南に向かい、堺の辺りから大阪府の奥深く、山間の部分の連なりへと入っていった。特に分かりやすい道などない。幾つかの細い道の国道が張り巡らされてあり、それらを継ぎながら単純に、東の方向へと向かう。しばらく走れば案の定後悔がはじまった。やばい道に入ってきたと。紀伊半島を乗り越えるためには吉野の山々を越えるのだ。金剛山のあたりの細い山道を走っていた。日本の金剛山といえば、修験道で有名な土地である。要するにそのぐらい凄い場所である。修験道における修験者のことを指して山伏というのだ。この一帯の記述は古くは古事記にも登場してるらしい。そんな場所だ。景色はやっぱり壮観である。山の峠から見下ろす奈良県の盆地。初期に日本の王朝が開かれ権力の基盤として固まっていったのはこの土地なのだ。何故この土地で日本にとって最初の統一的な権力が発達したのか。海に面した開かれた土地ではなく、日本の国家的な権力の体制とは、奈良にしても京都にしても、こういった盆地に当たる場所によって形成されているのだ。外敵が侵入することへの怯えというのが、まず盆地の防衛的地勢としてあげられる。海に面し外部に開かれているということによって、貿易と外部の戦争も含む存在によって都市が発達するのではなく(例えば地中海の都市のように)、山間に囲まれた盆地の防衛的体勢として権力と文化が発達した。これはまさに日本的の特徴を決定付けている性質の条件にあたる。

奈良県の風景とはその何もなさ故に強烈な風景に思われた。しかしこの斜めに刺しかかった鈍くて弱い日の光におおわれた土地こそが、日本人にとってある性質を決めていったのだと考えていた。盆地の田園風景。そして盆地特有の日の光り方である。奈良県の道に大きな道路は少なかった。小さな道でどこも伸びている。片側一車線の道で国道でもずっと続くことが多かった。夕方はてきとうに渋滞していたが、あんまり道路を広くしたいとかいう要求も他県と比べれればこの土地では低いのかもしれない。暗くなってからやっと伊勢湾側の松坂へ抜け、伊勢へと国道23号線を向かった。