MiChi。の『PROMiSE』

音楽的に日本で去年の特徴を彩るヒット曲とはPerfumeの『ポリリズム』だった。パフュームの表徴した構造について考えてみる。パフュームのイメージとはある種コミュニケーションのスタイルを指標していた。彼女たちの振り付けを見ていると、踊り、歌いながら相手の目を見ていないという気がする。歌っているのだから個々が何かのメッセージを送っているはずなのだが、しかし隣の相手と視線を限りなく重ねないようにしてそれをやっているように見えるのだ。この視線を合わせてしまうことへの怯えの感性というのはかつての日本のアイドルユニットと比べたときその差異が際立つだろう。それは直接目を合わせない人達のコミュニケーションである。

ピンクレディが歌うときは互いに相手の目を見つめ合うことから歌がスタートしたのだ。キャンディーズの時も燐とした目配せでお互いに合図をするというのは前提だったように見える。ずっと上ってモーニング娘だったら皆メンバーが元気のよいことが条件なので目も身体も活動的に複雑な交叉を為しながら、それは明るい体育の授業を演出しているようなもので女の子達の健康さが売り物である。ここの娘たちだったらどんな所に嫁に出してもよく働きますよとかいう日本の文化的健全さを改めて彼女たちの中に確認することが存在理由であるとかいう感じ。それが「ニッポンの未来は、世界がうらやむ、恋をしようじゃないか、明るい未来に就職希望だわ・・・」といったスローガンであったことは記憶に新しい。『LOVEマシーン』という曲のヒットが99年ならばそれから約十年後の日本のポップシーンにおける音楽的表象がポリリズムに来たとしてそれはどのような変化を示しているのかということである。

パフューム的な演技や仕種の発達によってある種コミュニケーションのレベルはまず高度化したのだろうということ。以前よりももっと空気を読むことの機敏さをそこでは要求されるのだろうし、かといってそれは別の不器用さを前提にしたコミュニケーションの方法論で、ぎこちないような素振りを演出し、踊りながら個々の身体は互いに触れ合ってしまうことに限りなく怯え、避けているといった風情でありながら、互いの距離に敏感である分は、個人の自由度の裁量も大きいことには強情にも拘り続けているスタイルとでもいおうか。か細い神経、繊細な震えといったものを捉えながらコミュニケーションの不器用なぎこちなさの頭上に、またメタレベルでは新しいハーモニーを奏でるポリリズムの実現する世界像をそれは表現するのだろうし。

もちろんこの感性はコンピューター文化の円熟が前提になっている。それはコンピューターによる機械的なコミュニケーションの発達であり、そういった現代的事情に対応する正確な音楽的表象である。テクノとデジタルの分解の果てにコミュニケーションの形式が無機質なほうへと流れていく。外面の表情の無機質化の進行とは逆に内面の繊細な襞の多重化と同時に起きている現象である。このまま時代的な人間のスタイルが機械的な無機質化として進行していけば、もうそこに生きる個体の形象とは虫のようになってしまって、人間の痕跡もセクシャリティの輝きも消滅し、識別不可能なところまでいってしまうという限界がそこには見え隠れしている。パフュームによってポップシーンは限界的なところまでデジタル化が進行している。だから同じスタイルの音楽をベースに取り入れたとしても−つまりここではテクノとデジタル化のことであるが、何処かで人間的な揺り戻しをかけずにはおれない反作用が必ず発生するのだ。時代の趣味判断におけるパフューム化進行の波に対して、そこに人間的な揺り戻しをかけるものとして去年の後期に頭角を現してきたのが、イギリス帰りでハーフの女性歌手だという「MiChi。」の登場であったと捉えることができるだろう。

Michi(1985年神戸生まれ)はテクノやハウスの時代的なビートの構造を幅広く取り入れて楽曲を構成している。よく研究されているアレンジである。パフューム型の静的生成に対してテクノに動的な息吹を与えてもっていこうとするものであるが、ここで世界のパフューム化によって拡散してしまった人間の断片に再び焦点と目的の方向付けをリズムとして与え直すものになる。完成度の高い綜合性を持ったMichiのスタイルである。しかし再び振り向き直したMichiの示したベクトルだが、それだと同時に再び凡庸な歌謡曲の構造に収まってしまうということも否めないのだ。ポップシーンはその本性上、人間の形は解体することができない。パフューム的なデジタル化の冒険を経た後は、隣で保守的な揺り戻しのベクトルで再び取り戻すという円環の全体によって、ポップシーンのバランスが保たれている。パフュームによる人間性のデジタル化的拡散の先にあるものとは、保守本流的な揺り戻しをかけるものになるはずだが、現状ではその全体によってポップシーンというバランスが形成されているのだ。