小室哲哉の『WOW WAR TONIGHT』

1. 
小室哲哉の曲だったらこの曲が一番いいと思っていた。趣味判断の観点からいって小室哲哉は受けつけないという人は多いのだろうしそれはそれで正しい選択であるとは思う。しかし音楽をヒット曲の生産として売る立場と自己のイメージを資本主義に匹敵するように増殖させる野心において割り切り、そこから的確な計算式をその都度算出していくようにして立場を据えていた小室哲哉のスタイルとは、そのキャピタリズムの成功の内容において計算された数式を後から検証するとき、やはりそれはそれで濃密で緻密で体系的なものが見出されると思われる。

ポップミュージックにとって音楽的表象のフローとは、そのまま資本主義の流れに連動して重なる。資本主義の敏感な動きに触発されて厳密な計算式が導き出されるものだ。そこでは成功者は相応の富と名誉を獲得する。生産事業の起業によって社会の全体性に通じるか、流通体系を音楽によって支配することによって食い込むかは、経済構造の現実性を抽象する立場において同じ計算式が持ちうる。音楽も消費の財であり商品として流通構造にこそその生き死にがかかっている。それは怜悧な開き直りにも見えるが、現実的で正直な物の捉え方である。人が聴いて快を覚える音楽の構造には一定の法則性がある。特に私的で内省的で芸術的な音楽の消費に的を作らず、徹底的に大衆的でヒットと金銭と華やかさの流れに焦点を絞って、その計算式を確実に当てていく。小室哲哉がこの方法を見出し実際結果を出していたのは90年代を中心とした一時期に過ぎなかったとはいえ、この公式を発見した当時の彼にとってゲームを生み出し続けることとは途轍もない充実した明晰さをもたらした。

ところが、資本主義的なゲームのルールは経済構造の変動に伴い刻々とそれ自体変化するのが宿命であり、一時期のゲームの公式がもう数年後には使い物にならなくなっていた。市場と流通の表層が流れ行く儚さを体験した彼であったが、彼にとって悲劇的な展開とは、実際の経済的実体の遊離から来たる亀裂が発覚した時期から十年単位で遅れて到来したということなのだ。しかし資本主義の徹底的な表層性と、それのもつ残酷さとは裏腹に同一な性質をもつ健忘性によって、大きな失敗を経験したとはいえ、また再び彼が市場で復活できないということもないのだ。徹底的に表層的で軽薄で残酷なフローであるがゆえに、彼は一定の条件をクリアすればまた市場に接続することはできる。これも資本主義のルールである。

ダウンタウン浜田雅功を据えたユニットを組んで作った曲は、日本のフォークソングの仄々とした牧歌的心情をベースに歌い根ざしたとはいえ、この曲のコード進行表を見れば、いかに綿密な計算によって完成された楽曲として出来ているのかを確認することができる。フォークソングのようだが、ギターの弾き語りベースのような感触でレゲエの裏打ちをしながら開始するこの曲である。歌の内容も一昔前の時代のもの、アナクロニックな心情性を日本人的な風靡に載せているものであるが、曲の進行によって段々ピッチが早くなり音の背景が現代的にテクノチックにシフトする。テクノというよりもそれはレゲエとテクノの中間を取った性急なリズムビートとしてジャングルビートへと暫時的にシフトしていくのだが、曲が盛り上がり頂点を迎えるとき、コード進行自体がピッチをワンサイクル上げて、キーの上がった場所から最初のメロディを反復し、この曲の正体にあたるメロディはそこで二倍に明るくされた照明を受けるように出来ている。この仕掛けはもうポップの楽曲にとっては絶妙なもので、経験に裏打ちされた意味でも数学的な意味でも、プログラムの段階で計算され尽くしているのだ。それがこの楽曲を多重に面白くしている構造的で数学的な理由なのだ。

単なるヒット曲の仕掛人を超えたこの技術は、果たして天才のものなのだろうか秀才のものだったのだろうか。この技術もまた小室にとってオーソドックスな学習能力の賜物という意味では小室は努力型の地道な秀才であった。たぶん資本主義の組織する市場から大衆的連動性の流れを読み取るという意味では、そういう音楽にとって天才とは全く必要ではない。ちょっとコンプレックスを持った感じの秀才が最も相応しく、資本主義的大衆の流れに迎合する空気を読み取れるのだ。小室の目指していたものとは、それでも資本主義と音楽の関係において自分が天才になることを目指そうとするものだった。しかし資本主義とはその本性からいって天才を必要としないのだ。資本主義の必要とする原動力とは、常に秀才型の努力家なのだ。(結局そこで要求されてるのは労働家であり労働力であるから。)資本主義とは天才と対立している。このように小室哲哉は、天才の要求と秀才の要求を読み誤った。資本主義においての天才を目指そうとした途端に、彼は自分の酔いを冷まされる羽目に陥ったのだ。

2. 
しかしそもそも小室哲哉のデビューであるがそれは80年代の前半のこと、高校で僕の一個下にアミちゃんという女の子がいて、彼女は器楽部でドラムを叩いていた。アミちゃんの両親がいわゆる業界人だという話は聞いていた。アミちゃんのお父さんはあの『黒猫のタンゴ』をつくった作者であって、お母さんのほうは六本木でプロダクションを経営してるという話は、在学中に、一緒にバンドをやったりする折にも聞かされていた。そのアミちゃんのお母さんが拾ってきたのが要するにまだ売れる前で無名の小室哲哉だったわけである。小室哲哉の伝記的なプロフィールで確認するところ、最初に彼が下積みしていた頃は裕也さん(内田)や力也さん(安岡)の周りで仕事をしていた模様であるのだが、その辺で小さなプロダクションにスカウトされたのだろう。そこで結成されたのがあのTMネットワークの前身であったことは言うまでもないが、ボーカルの宇都宮さんやベースの木根さんとバンドを組んだのだ。もちろん最初は売れなかった。練習してはファミレスでいつまでもミーティングしていたこともあって、小室さんは大金持ちになってからもファミレス好きが抜けないというのは彼の逸話だったけれども。80年代の中期にあたるが当時の海外トレンドに合わせて日本のデュラン・デュランみたいな乗りがバンドのコンセプトだった。最初あれはTAMAネットワークという名前のバンドだったのだ。多摩地区で結成された縁のあるバンドだからという至極単純な理由である。その名前を語っていた過去は売れた後にはすぐ絶対的な企業秘密にされたみたいだけど僕は知っている。そこからTMネットワークという名前ができて後にこのTMとは「transcendental meditation=超越瞑想」という意味だという話になった。

それでアミちゃんのお母さんが経営していた小さなプロダクションは一躍大ヒットを飛ばし大儲けをし大スターを抱えたわけだ。このプロダクションでマネージャーとして雇われたのがやっぱり高校の人で同級生だったけどノザキが大学時代に一緒に暮らしてた女の子のOさんだった。当時はICUの大学生で専攻が哲学でハイデガーだったんだけれど、大学時代からアルバイトでマネージャーをやって卒業してもそのままそこに就職してしまった。楽天的で明るいノリのいい女の子だったけど、この女性の名前が圭子というのね。TMが後にTMNと改名して成功したロックバンドになった後に小室さんはさっさとプロダクションを抜けて独立したけど、その後グローブというユニットをオーディションでボーカルを募って結成した。その新しい女性ボーカリストが、KEIKOという名前の人だった。彼女はオーディションの時に気張りすぎて歌い始めた直後にステージから転落したんだな。それでも全くめげずに気を取り直して最後まで歌ったKEIKOは、小室さんの目に留まってglobeのメンバーに抜擢された。最近、KEIKOさんが小室氏の逮捕される直前に離婚していたのではないかとの報道が流されたときに、それを打ち消して彼女は声明文をマスコミに出したけど、そこに署名されてる彼女の本名は、小室桂子だった。この桂子とあの圭子ちゃんが何か因縁があるのかなあ?・・・しかしなんかありそうだね。験を担ぐ癖ってミュージシャンにはよくありがちでしょ。その験がよく出ればglobeの成功にもなったわけだけど同じ癖が悪く出ると事業の失敗とか悪い人達の金融に引っ掛かるとか、これもよくありがちなこと。要するに小室さんってすっごく普通の人なんですよね。

験を担ぐ(げんをかつぐ)
げんを担ぐとは、以前に良い結果が出た行為と同じことをして、前途の吉兆をおしはかること。げんかつぎ。げんを担ぐは本来「縁起をかつぐ」で、「縁起」が反転し音韻変化したとする説が有力とされる。この「げん」は、「げんがいい」「げんなおし」などとも使われる。また、「験」には「仏道修行を積んだ効果」の意味や、「効き目」「効果」などの意味があり、「縁起」を意味する「げん」と関係があるとも考えられている。ただし、「効果」などを意味する「げん」は平安期、「縁起」を意味する「げん」は近世以降で、やくざ用語による用法とされる。