ニコラス・レイの撮った古典的イエス像

昨夜はずっとニコラス・レイ監督の『キング・オブ・キングズ』を見ていた。数日前にはやはり同監督の『北京の55日』を見ていた。ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』を撮ったニコラスレイであるが、『理由なき反抗』が1955年の映画で、『キング・オブ・キングズ』は61年、『北京の55日』は63年である。後者の2本は大作を狙って製作した映画だったが、『北京の55日』については大いなる失敗作と呼ばれているように、それは見事に退屈な締め括りで終わるものだった。20世紀初頭の義和団の事件とイギリス軍人の戦いを描いた映画だったが、はじめて僕は見たが、なるほど失敗といわれて止む得ない映画だろうとは思った。チャールトン・ヘストンが軍人役で出ている。『キング・オブ・キングズ』のほうは、イエスキリストの伝記を描いた、やはり当時の超大作といえるものである。ニコラスレイといえば、『北京の55日』で失敗した後にはもう映画は作っておらず、晩年はヴェンダースからオマージュを捧げられ、彼の『アメリカの友人』に出演し、『ニックス・ムービー』というニコラス・レイ自身の映画が撮られている。ニコラスレイが何故イエスの伝記を撮るのか。イエスの映画とは数多くあれど、それをあの『理由なき反抗』のニコラス・レイが撮った意味とは何だったのだろうか。

ニコラス・レイは、ハリウッドで40年代末の赤狩りを逃れた監督で、最後の2本はもうハリウッドから離れ、スペインのスタジオで撮っている。当時ハリウッドを追放された人脈をヨーロッパでレイが迎え入れ映画を撮っていた。イエスを描いた映画の系譜で言えば、『キング・オブ・キングズ』とは標準的なイエス像、イエスの解釈で分かりやすく説明的に撮られているもので、イエスにまつわる大衆的な理解を引き付けようとした映画といえるだろう。特に奇を衒った様な解釈はそこにはない。あくまでも、民衆的なヒーローとしての、イエス・キリスト像が、淡々と説明的に述べられている。パゾリーニの『奇跡の丘』に見られる強烈な感銘を引き出せるようなイエスの事件性や、後にメルギブソンによって製作されることになる『パッション』のような偏執的イエスの像もそこにはない。大衆的で説明的、そして最も凡庸な意味で啓蒙的なイエスの伝記として仕上がっていた。

ニコラス・レイという人物は、しかし本来こんなにノーマルに物語るための監督だったのだろうか。世界と人間の歴史を語る上で、そこには変態的なイメージの偏向というのが消え去っていき、ノーマルで直線的な人間の反映、織り成す人物造形の重なり合いを、あくまでも形式的なタッチで、人間主義的に説明するといった手合いのものになっていた。特にそこには衒いもない。思えば、ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』に見られた反逆性というのも、特に陰影に根ざした病的な偏向というよりも、何処までもストレートに純粋主義的に引き伸ばされた、新しい世代の旧価値観との葛藤というのを示したのみで、そこには人間性の存在自体を根源から疑える、斜に構えて見る懐疑的視線とは、うまくはじめから排除されていたものだったのかもしれない。だからこそそれは悲劇であり続けつつもハッピーな讃歌だった。

しかし、ニコラスレイの提示した世界視線によって、『理由なき反抗』という一つの傑作映画を媒介に、世代的な反抗のイメージ、自己主張のイメージが、広く定着したのだという系譜は歴然としてある。例えば日本の尾崎豊的な反抗というのなら、その形式は忠実にニコラスレイの示した構造になぞるものであるのだし、尾崎豊よりはまだその一世代前にあたるジェームス・ディーンの影響者でコピーを演じた水谷豊の示したイメージの方が、若い世代の内向と屈折というのを、もっと意味自体が不可能になるまで散らしてしまおうとするラディカルな衝動を備えていたはずだろう。ニコラスレイの反逆とは、本質的に純粋主義−ピューリタニズムにこそ基づいており、そのキリスト教的系譜を特に疑ったこともない単純さこそがベースを引いており、だからこそ彼の映画の分かりやすさとして、それは広くヒットし共感を時代的に形成したのだといえるものだ。

実際、ニコラスレイによって提示されたイエス・キリスト像も、可もなく不可もなくといったものであった。それは平均的な解釈にすぎないものである。ハリウッドで活路を開くことになる60年代的大作主義の基本形として、セットの配置から人物模写の形態まで、すべてレイの終盤期の映画は忠実になぞっている。そこではイエスとは、決して変態的な人間としては出てこないだろう。余りに凡庸な意味での大衆的ヒーローとして、どんな社会においても、ヒーローとは承認される為にはこういうイメージでなければならないという、大衆的分かりやすさの退屈さを身にもって引き受けさせられている。ヒーローとは承認によって存在させられている。しかしヒーロー=超越性の存在とは、善性を巡る虚構のイメージによって取り囲まれている。この虚構を社会の建前として切り崩せるラディカリズムには、ニコラス・レイは別に近寄ろうとしない。そこに立ち入ることの意味さえ気付かれていない、或いは無視されている。たとえニコラス・レイ的なものが、何かの社会革命の根拠として立てられたとしても、その社会運動の運命自身も、その程度のものであったということだ。

しかし、ニコラス・レイの所有していた可能性、潜在性とは、この程度のものだったのだろうか?そこには一抹の疑問も芽生える。イエス伝から義和団事件にかけて、見れば疑って食って掛かりたくなるような、大作映画製作の為に、平面的に引き伸ばされてしまった、時代的反抗のイメージの、飼い慣らされた死体のような平面が出現している。それは『北京の55日』におけるイギリス軍人と中国的権力と中国的平民の野蛮さとの葛藤とその折り合いの付け方にも、解決としての平板な詰まらなさが、映画的結論として最終部に投げ槍に付けられているといった風情である。

分かるのは、ニコラスレイの描き出そうとして捻出し努力していたイメージとは、何らかのヒーローの像であるということ。若き日のジェームスディーンによってそれが示されたとき、切なく特異的な点に晒された若い才能の遣り切れない身を焦がす素振りが、哀愁の色を持ってスクリーンを見事な色合いに染め上げることに成功した。しかしそれが、イエスの像や、チャールトンヘストン演じるイギリス軍人には、ヒーローとしては余りにも冴えが乏しすぎ、鈍感すぎる凡庸な手合いを発揮してしまい、本来描き出されるべきだった超越性−超人性としての、神的な人間の生き様というのは、もう抹消されてしまっている。神性を発見するためには、余りにもイメージの了解可能性が通俗的である。イエス使徒として登場するヨハネ像やペテロ像、ユダ像においても同様である。

映画に表現されたような新約聖書に基づく物語、イエスの伝記というのが、二千年に渡るヨーロッパの歴史を吊り支えていたものである。映画にとって、この物語構造の骨格を透かして見せうるとは、ヨーロッパの成立と限界を俯瞰しうる格好の分かりやすいモデルを提示することができたはずである。ニコラスレイの最後の手腕が試されていたのは、そこの局面であった。しかし、出来上がった映画の中に見たものは、余りにありがちなヒーローのイメージであった。もはや退屈なヒーロー。

ハリウッドのアメリカから追われてスペインでそれを作り直しているという時代的な構造の意味をこそ、ニコラスレイは自ら問わなければならなかった。しかし彼が果たすべき、その本来の使命とは、中途で挫折したのだ。レイの背負っていた使命を、そのしばらく後に発掘しなおし、もう一度問い直そうとした試みこそが、アメリカの友人としてのヴェンダースとの関係であり、ニコラスレイ的な反抗をもう一度美学的に、修復し直そうとしたものこそが、後にレイに変わって、人類史的なヒーローの記憶と立ち会うことになる、映画的検証者ヴェンダースの運命そのものだったといえよう。