サンフランシスコの高みで『ONE WORLD』と叫ぶことの意味

聖火ランナーを妨害する運動が各地で起きている。サンフランシスコを聖火ランナーが走る。ゴールデンブリッジの高架には、「FREE TIBET」の横断幕が活動家によって取り付けられていた。横には「ONE WORLD ONE DREAM」という大きな文字も入っている。海峡を跨ぎ、怖い突風の吹き荒ぶ、目が回るような高い場所に取り付けられたその幕はサンフランシスコ特有の風で揺らぎ、日の光の影として横断幕の文字が煌き、橋の道路上にそのまま映されて踊るようになっているのを見ることができた。ロンドンでもパリでも聖火ランナーを妨害する運動は盛り上がった。フリーチベットの問題は人権問題であり、中国による人権弾圧の問題としてヨーロッパでも広く喚起する伝統的な社会運動のスタイルに火をつけた。

「自由チベット」というテーマが必ずしも間違っているテーマではないにしろ、聖火ランナーへの妨害として世界的に連動して噴出しているこの動きと何なのだろうか。今の世に「マルチチュード」という言葉があるが、これはマルチチュードの出現と考えてよいのだろうか?ここはマルチチュードという言葉の意味を問われる、ある契機になっている局面だと思うのだ。昨今では、一躍時代的な流行語として定着したマルチチュードの概念である。自由チベットというテーマにおける内実とは、それが宗教の自由、特に多様な宗教における他者の肯定、寛容ということを意味しているのだから、この一連の動きが、「ONE WORLD」を意味するとしても、それは自分とは違う他者への寛容な肯定という意味での「ONE WORLD」であり、一つの理念、一義的な真理体系による「ONE WORLD、ONE DREAM」でないということになる。

多様な他者の寛容な肯定としての、「ONE WORLD」。理念としての「ONE WORLD」の起源とは大変に古いものである。サンフランシスコの橋に取り付けられた横断幕とは、それが長い間西洋的な社会運動の理念として機能してきた「ONE WORLD」であるわけで、この理念の意味を辿ってみれば、最初にこの積極的な理念が生まれた背景とは、キリスト教帝国の征服的伝播にあり、そこで付け加えられた大言壮語な意味づけはどうあれ、実質としてそれは、キリスト教徒による異教徒の征服と世界の一元化支配の運動の意味の傍らで、一方にある理想として作られた幻想であった。「ONE WORLD」という幻想の意味である。その理念の起源とはキリスト教である。もちろん、キリスト教的征服と、一つの世界という理想的理念の意味は、現実的結果はどうあれ、切り離された意味である理想として使うことも可能であった。大いなる幻想の意味である。「ONE WORLD」とは、その発生した最初から相反する意味を備えた言葉の構造であった。二律背反の構造であったのだ。

現在の自由チベットという問題には、ヨーロッパが過去から長い間テーマにしていた社会運動の理念を延長上に語れる、ある大枠の構造を実現しているのだろう。それは人権概念の社会的定立と異なる他者への尊重と寛容である。西洋的な社会運動の理念とは、最も単純化されうる凡庸な形、スローガンとして、自由チベットというスローガンに感情転移を果たすことができるのだ。パリやロンドンで聖火ランナーの妨害として現れた様々な活動家、あるいは有象無象とは、その感情転移の姿と、背景にある長いヨーロッパ的社会運動の理念の伝統を垣間見せるものがあるので、あの映像は面白いのだ。ヨーロッパの歴史とは、そのまま民衆的な社会運動の歴史にも大きな部分で重なる。ヨーロッパの人間が、かつてはキリスト教から社会主義コミュニズムにまで求めていた感情的な発露の正当な系譜とは、あれではないのか、と思わせる。

毛沢東の革命の意味ももちろん「ONE WORLD」であった。そして「一つの中国」である。しかしそれは異なる他者の存在を認めなかった。そのような意味としての共産主義革命だった。今の自然発生的に、おそらくその殆どはメディアを媒介として連携されている「ONE WORLD」の動きとは、異なる他者の人権という意味を梃子にして動かされた運動であるという意味において、かつての運動とは異なっている。「ONE WORLD」とは、それ自体起源は帝国の概念であるが、同時にそれを解体する理念的な契機を伴っているということになる。「自由チベット」の問題が現象として面白いのは、それを主張している人が、右翼的な人物にこそ多く、日本の石原都知事とか、フランスのサルコジとか、右派的で文学的な人々、つまり「スピリチュアル」な人々によって、以前からその運動は支持されていたということである。右派の方面からは、自由チベットの問題に乗ることは、共産主義批判、左翼批判の意味合いを兼ねている。しかし自由チベットとは、特に右派だけでなく、広く左派も巻き込んだ広汎な運動の拡がりを、どうやら見せている模様である。