『自由チベット』という問題−宗教における消極的自由とは何か?

昨今のチベット問題について、敢えて斜めから見てみるべきだと思うのだが。どうだろうか?チベット問題でどうも今一つ、あそこで起きてる問題の重力圏から距離を置き身を引き剥がざるえないポイントというのがあって、チベットを地域的に、独立国家として解放せざるえないのは時代の流れで引き返せない動きであり、直にそうなるというのも目に見えている展開なのだが、チベット仏教を巡る歴史的な経緯を考えてみたとき、今後の解放の動きが必ずしも良い方向にいくとは限らないのではないだろうか。チベットで問題になっている事柄の焦点とは「宗教の自由」ということにある。「宗教の自由」とは、しかしそんなに自明な事柄ではない。

今回の事件で思い起こされるのは、実は80年代のソビエトによるアフガニスタン侵攻の時の問題である。ソビエトはアフガンという地域、そこに根付く宗教的慣習性から、抵抗性を押さえつけようとして、軍事的な弾圧侵攻した。アフガニスタンは当時から主権国家だったが、ソビエトはこの地域におけるイスラム勢力の武装化の動きとアメリカによる操縦工作に警戒していた。ソビエトの行動は国際的に批難され抵抗運動をよんだ。アメリカ、CIAも、現地の抵抗運動に援助をし、戦闘状態の末に、ソビエトは撤退した。シルヴェスター・スタローンランボーのように、この抵抗運動を題材にとった映画もある。『怒りのアフガン』という日本タイトルで公開された。CIAがこのとき抵抗運動として援助していたのが、ビン・ラディンのグループである。

ソビエトによる軍事抑圧は、アフガン地域における宗教の自由の弾圧として、国際的にも受け止められた。イスラム教の過激な地域に対する弾圧である。宗教の自由の支持のもとに、この地域の抵抗勢力レジスタンスにはアメリカの援助も与えられた。ソビエトの軍事的抑圧が悪いのも当然の事なのだろうが、しかしこの地域が、80年代の抵抗戦争を経て、その後どのような地域に変貌していったのかは、その後の歴史の知る通りである。共産勢力の抑圧を撥ね退けたアフガニスタンは、イスラム原理主義者たちの過激な巣窟となった。

アフガニスタンで国家的な統治を担うようになったのは、タリバンという神学徒達に基礎付いた過激なグループである。イスラム原理主義の過激なグループは、外国からも多勢でアフガンに入ってくるようになった。アフガンでは、地域的に、反資本主義を標榜する、イスラム原理主義者たちの過激な巣になってしまったのだ。80年代にCIAから援助を受け、育てられたはずのビン・ラディンのグループは、反ソ反共の目的を達した後は、矛先を反資本主義に切り替え、以後標的はアメリカ国家そのものとなった。

宗教の自由というイデーを前提に解放した地域の行先とは、過激な宗教原理主義とテロリスト達の巣になってしまったのだ。かの地域からの反資本主義攻撃が、世界的な舞台として明るみに出たのは、01年の911事件である。このように、「宗教の自由」というイデーは、必ずしも地域的な政治解放にとって、よい結果、幸福な結果を生むとも限らないものであることを、まず今のチベット問題に同乗しようとする人々は、見るべきだと思うのだ。

チベット仏教の場合はどうなのだろうか?チベットという歴史的な地域の問題としても。チベット仏教とは、かつての過激な要素の残る痕跡を持つ宗教の一つである。修行も身体的な過激さを伴うものとして有名でドラッグを使うケースも多い。今のチベット仏教は「平和的」なものとして公式にはマニフェストされているみたいだが、かつては最も過激な性向、求心力を持ち、暴力革命的な抵抗性にしても強かったはずだ。だからそれは毛沢東の革命と最も過激に対立した。今のダライラマ14世のもとでは、かつての過激さから、温和で他者と妥協的な、常識的な性質の宗教に変わったのだということになっている。

日本のオウム真理教チベット仏教の影響を直接的に受けていて、それを真似て作られたものだった。オウム的な過激さとは、チベット仏教の過激さに通底するものを持つものとして生まれたのだ。毛沢東文化大革命によって、以後中国によってチベット仏教は抑圧される状態にあったのだが、ここの問題とは、もし正当に見積もれば、オカルト仏教対唯物論の問題であったのだ。

チベット仏教の持つオカルト的な教義ゆえに、西洋人には一部、チベット仏教への熱狂的なファンもいる。リチャード・ギアやブラッド・ピッドのように。しかしこの信仰を巡る強情なオカルト性こそが、マルクス主義の革命、共産主義の革命には対立するものとして、毛沢東主義によって弾圧を受けたのだ。チベット仏教の持つオカルト的な信憑性を振り払うものとして、共産党による強権的な抑圧は、一定の近代知的な理はあったとしても、地域的な長い抑圧の期間を生んでしまったものだ。

共産党的なテーゼとしては、『宗教とは阿片』である。しかしチベット仏教の教義とは、文字通り修行に「阿片」を使ってきた。今では公式のダライラマの見解として、チベット仏教も一般的な近代宗教に近づき、過去の要素は退けつつあっても、歴史的に、チベット仏教の修行がそのようなものであったという事実はある。

僕の友人で、子供時代を北京で過ごしたという人がいるのだが、文革によって寺院仏閣を破壊したことの影響とは、中国では地域に対する差別意識として機能していたようで、その名残は残っていたという。旅行などに行くと、中央の人、共産党の側の人の口から出る、田舎の習俗への差別意識として、文革の影響は残っていたらしい。今の国際世論の盛り上がりによって、必然的な流れとしても、このまま行けば中国はチベットから撤退することになるだろう。

ダライラマの亡命政府はチベットに戻り、チベットは地域的に独立する方向に向かうだろう。しかしかつて日本のオウム真理教が読み取ったような、過激な反資本主義、宗教原理主義的な流れが、独立したチベットに流れ込むことはあるのだろうか?国際的な監視がきちっとしていれば、チベットは仏教信仰への回帰とともに、平和的に地域の未来を作ることはできるのだろうとは思う。何も、宗教原理主義への回帰として、チベットがアフガンのような、反資本主義的なテロリズム勢力の二の舞になるということも、国際的な監視によってのみ防げる。

結果として与えられた歴史の光景を目の前にして、この歴史の逆説、そして社会体のアイロニーとは、近代国家の原則として、宗教の自由という構造のほうが、優位に立ってしまったということにある。しかし、あらゆる宗教の平等な自由とは、自由としては消極的なものの次元にあたっている。宗教の自由とは、一方では、自由自体に対立する集団性、一元的支配の欲望、そして過激なグループ、原理主義、妄想的な反体制集団を生んだが、どのような意味で、それが最低限確保されなければならない近代国家の一般原則なのかという定義が、ここでは求められる。一元的真理による世界支配の欲望とは、そして結局、宗教それ自体によってというよりも、共産主義思想のほうで実現されてしまった。これもまた宗教のアイロニーである。

だからそれは、全体としての自由に対立しないものしての、個人の思想信条の自由であるということになる。宗教の自由とは、宗教の自由の限界を見ることによって、その定義が把握されなければならないものであり、相手に、他者に対して、妄想の自由も許容するということは、社会体全体の限界を見据えた上での、ニヒリズム的な自由の許容であり、享受である。これは、社会体を正常に=健康に維持する為の、消極的自由の確保ということにあたる。

宗教の自由とは、決して積極的なもの足り得ないのだ。何故ならそれが積極的なものになれば、必ず他者の自由を否定するに至るからだ。毛沢東文革攻勢というのが、かつては積極的自由の行使の現実化した姿であったのだから。(宗教なんて虚妄であるのだから、未開人としての他者を目覚めさせなければならない。)

積極的自由の謳歌とは、しばしば自由の自己破壊をもたらす。消極的自由とは、歴史の成熟の、時間的な厚みをもって見出される次元であるが故に、それは現実的である。