映画とネットの垣根が崩れるとき

クローバーフィールド』という映画が今月全米で公開されてヒットしているらしい。どんな映画かというと、日本のゴジラを下敷きにした怪獣映画であるみたいだ。しかしこの映画は仕掛が少々凝っている。まず肝心の怪獣の姿について、物体xとして、あるいは対象aとして、そこの部分を徹底的に謎にしている。それで予告編でも情報としても、謎の周辺に起きるセンセーショナルな事件のイメージばかり強調して流している。その情報操作は主にインターネットにも及ばせている。youtubeにはあらかじめ仕掛けられたように、映画の筋に当たる周辺の出来事を巡る映像が、あたかも実在の出来事であるかのように、埋め込まれていた。映画の前兆となる事件の映像がニュースとして、youtubeを探すと出てくるようになっている。日本語で語られたニュースもあれば、ロシア語や韓国語で流された同様のニュースが、いかにも本物っぽく入っている。相当手の凝った仕掛である。あらかじめインターネットと情報の流出を競い合うようにして、映画の宣伝が、人々の好奇心を強くひくように操作されているのだ。

クローバーフィールドという映画の構造は単純である。NYマンハッタンに突然怪獣が現れて襲撃する。謎の怪獣である。怪獣の姿が映画に現れるのも、最後の一瞬だけである。それが何だったのかは殆どわからない。ただマンハッタンの全体が一夜にして突然のパニックに陥る。その映像は映画の予告編としてネットに出ているが、相当に際どくセンセーショナルなものである。要するに、あの911の時と酷似した惨禍が、突如マンハッタンの夜に襲い掛かるのだ。近くの海で突然大爆発が起きる。何事かと人々は戸惑う。ニュースでは突然の地震と言っている。外へ出てみたら、夜空を突っ切って、自由の女神の顔がもぎ取られた物が落ちてくる。向うは炎に包まれている。大きな呻き声、即ち怪獣らしき呻き声が響いている。巨大ビルが倒壊する。ストリートは一挙に火砕流に包まれて迫ってくる。この光景にはもちろん皆見覚えがある。911事件の時と同じものの再現である。

あらかじめ仕掛としての情報操作がネットを含めてなされた後で、全米で1月の公開映画となり、予想通りの大ヒットを取ったようだ。この映画の構造は何かというと、要するに日本のゴジラのパロディなのである。これがゴジラの構造をNYマンハッタンを舞台にして再現した映画と云う事は簡単にわかるようにできている。しかもエンドクレジットで流れる音楽は、まさに伊福部昭ゴジラであるらしい。予告編で撮られた映像と、情報操作で小出しにされた情報が余りに興味をそそる故に、ネットでもこの映画の話題は盛り上がった。ゴジラは核実験で突然変異した巨大モンスターだったが、クローバーフィールドの怪獣も似たような条件で出現してるようだ。ネットでこういう仕掛をすれば当然の如く、反作用になって、この映画の情報をネットに流出させようという動きも起きてくる。映像がどこそこのサイトに出たという情報が流れたかと思うと、すぐさまそれは削除になっている。そのイタチゴッコを繰り返しているが、そういった削除合戦も、制作者側の計算のうちであることも明らかだ。謎の怪獣といわれてるものも、結局ネットを探せばどこかで見つけることができる。全米で一月公開のこの映画は日本では四月公開に予定されている。このタイムラグはどのような配給の考えで設定されたのかはわからないが、果たして遅すぎるのか、そうではないのか。ネットを色々調べてるうちに、僕は全編映像が出ているものをダウンロードできた。80分程度の映画である。

クローバーフィールドとは、最も抽象的な映画であるとも言える。何か事件が起きる。マンハッタンの夜に、この映画の中心人物たちはパーティをしてる最中に。それで爆発とか、ビルの倒壊とか炎上とか、音だけ怪物の叫び声とか遠くから聞こえてくるんだけど、主人公達にも、一体ここで今何が起こっているのか、さっぱりわからないわけである。ただ街が壊れ始めたので、逃げ出す。逃げるだけ。音は聞こえる。軍隊は出てくる。街は燃えてる。銃撃戦も起きてる。しかしその正体が何なのかは、登場人物にもさっぱりわからない。それで逃げる。なんだかわからないけど逃げる。それだけである。僕は一応、全編と思われる映像を入手して見たが、怪獣の姿が現れるのも、最後のほんの少しだけである。怪獣を前にカメラを持つ人も最後に食いちぎられてしまった模様だが、それでもそれが何だったのかはわからない。わからないまま、どうやら全部崩壊に巻き込まれて終わってしまうのだ。単純な映画といえばそうだし、変な映画といえば変な映画だ。ゴジラだったら、映画の中でもよく説明が為されたが、そのような説明過程が殆ど省略されている、ただ逃げ惑う人々、パニックに陥る人々の情動だけが、無媒介に飛び交い、移動していく、逃走しているというだけの映画である。

そしてこの映画の中心である、災厄の原因の物体とは、ずっと対象aであるのだ。怪獣の全身は最後に垣間見れるというものの、その意味については、ほぼ不明なaであり続ける。どうやらこの映画は続編を作ることも最初から考慮されているようで、続編はこの事件の解明なり意味なりに向かうというパターンになるのだろうが。対象aを巡って、マンハッタンの土地で911的な大惨事のイメージが再現されている。イメージの再現において、それはとてもリアルである。人々が恐慌に陥り、街が戦場と化している。映画の構造と映画的時間のプロセスにおいて、最もシンプルに抽象させただけのダイナミズムを、そこで実現させたかのような映画である。映画の原因や説明にあたる部分は、むしろ殆ど映画の外の部分、即ちインターネット上の情報流出として、それが補完されるようにできている。映画の意味を明らかにするものとは、映画外の情報であるようになっている。そう計画的に仕組まれているといえるものだ。映画にとって情動を隆起させるとは、如何なる事かという、最もシンプルな構造自体を摘出させるために抽象化された、映画の姿として、この映画の示して見せた手付きとは、相当納得のいくものだと思った。対象aとは、映画的構造において、いかにして出会われるべきなのか?様々な遠方から接近する無意識の兆候を経て、最も効果的なその出遭い方とは、如何なるものに。僕はそのダイナミックな単純さの抽出において感心したのだ。

日本公開は四月みたいである。この映画のポスターは、自由の女神の首がもぎ取られている絵である。思えば怪獣映画の起源とは、やっぱりキングコングなのだろうか。最後に逃げていた人間が怪獣に襲われる様は、キングコングの緊迫した近接映像のアップに同じものだった。やっぱり最後に回帰してきたのはキングコングという原点だった。キングコングの感化を受けて、1950年代に日本ではゴジラが誕生した。ゴジラの影響関係はその後紆余曲折を経たにしても、こういう形でもう一回、ニューヨークの舞台にまで戻ってきたのだ。そのプロセス、歴史の円環に思いを馳せると、気の遠くなるような道程が重なる。怪獣とパニックと恐怖といった、弁証法的上向のプロセスとして。ネットの仕掛と情報操作が、本作品の一部となっているような仕掛け方というのは、映画ではクローバーフィールドによって、完全に明らかになったものかもしれないが、他には例えば、ガンズアンドローゼズのまだ発売されていないニューアルバムの『Chinese Democracy』のような仕掛け方が、それに当たっている。ネットの仕掛との弁証法的効果として本作品が提示されるようなスタイルというのは、今回のクローバーフィールドの成功を始めとして、これからはもっとあらゆる分野で登場し、明らかになって常套化していくことになるものだろう。