パープル・ヘイズ音頭

そういえばこんなプロジェクト、大昔にテレビで見掛けたことあるなと思い出した。細野晴臣と忌野清志朗と坂本冬実のプロジェクトである。91年頃に組まれたもの。しかしこれは面白い。学生服とジミヘンのイメージ。セーラー服と黒髪が真似てみるジミヘンの歌。うーむ、これは何かを象徴している。細野や清志朗の学生時代ということでもあるのだろうけれど。彼らはともに1950年近辺の生まれだろうか。本当は、僕らは学生時代に、こんな事がやってみたかったんだというノスタルジーである。つまり、それは後から振り返って作られた、虚構の過去のイメージなのである。偽過去といってもよい。本当にこんな青春を生きれた当時の学生は、まずいなかった。でも考えられる限りに有り得た過去として、イメージがノスタルジックに投影されている。そういえば清志朗は都立日野高校の出身である。細野は立教高校であった。そして細野は立教高校で高橋幸宏と出会っている。日野高校で当時清志朗と一緒だったのが三浦友和だという。このコンセプトの味噌とは何だったのだろうか。演歌とロックの融合だろうか。しかも人工的に設定された過去において、演歌とロックが出会うこと。出会い直すこと。それは、やり直された過去といった趣がある。パープルヘイズでソロの弾き方はジャズっぽくて妙に気持ちいい。過去を出会い直すことによって、作り直す。そのようにして今も作り直す。このようにしてイメージとは、自発的に、本来あったはずの、内的完成に近づく。それは定期的に現象として組み換えられる、自然現象である。文化としての自然現象。こんな風に文化のイメージとは、繰り返してきているのだ。文化の表象の話である。