ソクーロフの『太陽』

たしか6月の頭頃にここで、ソクーロフタルコフスキーのDVDがレンタルで出ないような流通の構造をなんとかしてくれと書いたのだが、去年の日本公開だった『太陽』はやっぱりレンタルに出ていたようである。日本の天皇裕仁をテーマにしてそこそこヒットした映画なのだから、レンタルで並ばないわけはないのだが。しかしソクーロフの他作品やタルコフスキー作品の殆どが、レンタル用の流通を妨げられているという現状は相変わらずあるのであって、そっちの方の解禁も、ちゃんとやってもらいたいという要望は依然に続いてるものだ。そんなわけで、確か今年の三月くらいに、一回、川越に古くから一軒だけ残るレトロな名画座で『太陽』を見ていたのだが、蔦屋に並んでいるのを見つけて、もう一度借りてきて見てみた。

イッセー尾形の演じる天皇裕仁が45年の終戦間際に、人間宣言をする為の前後の僅かな日にちについて、精神の移行する細かな機微を捉えることを中心にした心理劇として撮られている。侍従を演じているのが、佐野史郎である。天皇のイメージには一つの掟があって、それは決して彼は写真に撮られてはいけないということであった。といっても、明治天皇の写真とか大正天皇の写真とか、映画の類でも確かそれらは実在しているはずなので、天皇は写真にうつってはいけないという掟とは、多分に例外のある掟だったのだろう。余程意味があると考えられた時に限って、天皇の写真を撮ることは許されるといったものだったはずだ。裕仁の写真撮影が許可されるとき、それは日本の降伏が既に決定した段階であって、裕仁マッカーサーと会食をした後の出来事である。写真に撮られるというのは、要するに米軍と一緒にやって来たヨーロッパのジャーナリスト達に撮影を許可されたということであって、それは普通ならばあってはならない冒涜の瞬間がついにやって来たというものだった。ヤンキー然とした、騒がしいジャーナリストの一団は、天皇が建物から出てくるのを待ち構えているが、なかなか出てこないので、皇居の中にいる白鳥を見つけて遊んでいた。落ち着きなくざわついた一団のところに、裕仁が出てくるが、最初は誰も気が付かない。これが天皇だと知らされて、チャップリンみたいだと騒ぎ立てる。チャーリーという呼び声がかけられる。

映画の中では一貫して、神経質なものの描写がずっと据えられている。イッセー尾形演じる裕仁の演技も、神経質そのものだが、侍従を演じる数人の演技も、やはり常に神経質に、びくびくして、首筋を震わせながら、禿の目立つ年寄りの頭にはクローズアップがかけられ、薄い髪の頭皮には辛そうな汗が滲んでいるのが拡大される。皆が斜視で会話をしている。相手と目を合わせない。裕仁もそうだが、謁見に訪れる科学者など、皆が何かに怯えながら、相手の目を見ることができない素振りが演じられている。侍従の中でも、視線が浮くものと浮かないものには分かれている。佐野史郎は、視線においては直線的な侍従を演じている。それに対して覗き見的な視線を反復して演じる年寄株もいる。

桃井かおりの演じる皇后はどうか。彼女の視線の持ち方は、至って逞しそうな女性のそれに見える。しかし劇の最後で、その桃井かおりの視線が、裕仁に向けて、極端にひん曲がる、眼球が捩れの極限にまで達する数秒間が訪れる。この視線の撹乱、眼球の捻れと、それまで押し込められていた無意識的なものの不安と怒りの強度というのが、映像の画面を壊そうとする、ぎりぎりまで隆起し、そして押し止まる、元に戻るというものだ。皇居の中の空間性において、何故人々は、かくも視線を会わせることが不可能な状態が生じていたのだろうか。ここには分析すべき何か構造があるはずなのだ。映画の登場人物として、直線的で眼光が鋭く、刺すようなはっきりとした視線で相手を見るものとは、マッカーサーである。あるいは米軍の無邪気な兵隊達であるが、通訳として現われる、インド系かアジア系のような顔立ちの米軍の人間は、視線の微妙な綾に、外国人として常に怯えているような節があった。

映画は皇居の中の室内劇と心理描写を中心としつつも、皇居の外に車で天皇が移動する時間、皇居外の東京の廃墟の風景を、効果的に描き出している。ビルの倒壊した現場で人々が行き場を失くし混乱してる場面は、剥き出しになった巨大な根っ子のような有様で、かつてのビルや住居が廃墟化として並んでいる。空襲のイメージは、空を飛ぶ戦闘機が鯉やトンボのイメージに変換され、想像的な地獄の一体性として、東京のイメージが強迫的に、皇居の中に住む者の悪夢として現われる。裕仁は、この映画の中で終始して、一体何処で現実と出会っているのだろうか。最初から最後まで、裕仁には現実は訪れていないし、現実とは関係のない人生の内容である。唯一そこで現実に対する恐怖とは、自分が死刑になる可能性があるということだけである。すべての外的な現実が、曖昧で想像的な形象としてのみ、裕仁の中で行き来している。日本人が何処かで大量に死んだというニュースは毎日入ってくるが、そういった報せの数々を、眠っているのと起きているのとの、中間のような表情でぼんやりとしながら受け取り、その度に頷いている。

現実と裕仁の接点、最もそれに近しい体験を示すものとは、米軍の占拠する豪華な建物の部屋の中で行われた、マッカーサー裕仁の二人だけの会食のシーンである。裕仁は葉巻を勧められる。マッカーサーは自分の葉巻に火をつけるために、裕仁の口にある葉巻に自分の葉巻をくっつける。葉巻に火が移動するまでの数秒間、お互いに息を送り続ける。裕仁は必死になって眼球を、映画の中では最も大きく、無防備に開いている。一貫して、現実とは関係のない人の人生というものもあるが、その人生もまた、一個の人生としては人生である。もちろんその生活圏内での、不安から浮き沈み、そして喜びというのが、彼の生の現実性にあたっている。

事件と事件の狭間に現われる、裂け目の存在とは、映画の中で、常にイメージの失調として告げられている。この時折開示する隙間と、喚起される不安の状態から、再び何か次のイメージによって、この不安と隙間が埋め合わされる、縫合される移行のプロセスが、かの人物の体験するリアリティである。裕仁は、場所を移動する。皇居の中でも、部屋と部屋の間を移動するとき、皇居の外部、米軍指令本部との間を移動するとき、彼には何かに気が付きうるタイミングが与えられている。それ以外には、終始、日本の神の存在とは、実態において、何か外部のメカニズムの、機械仕掛けの操り人形にすぎなかった。ただ他人の命令体系について、次から次へと、受動的に指図を受け流しているだけの、機械的な機能の一地点にすぎなかった。運命の強制力にすべてを覆い尽くされていて、豊かでありながらも実質的な自由はないとはいえ、これもしかし、また一人の人間の列記とした生なのだ。

神から人間へという偉大なる象徴交換の実質とは、一個の人間的身体の出来事として、実際にはこうも呆気ない出来事であったという事実性も、映画はよく示している。しかし、一個の人間的神経にとっては、それは不安の強度においては、最大限に凄まじい想像的な内的体験であったことも示している。切羽詰った個人の想像力の展開が、現実への正確な対応点を求めて、盲目の手探りをし、極限まで肥大し、不安に追われた想像力の破裂として、現実界にギリギリまで近づくことの出来た、かの個人にとっては初体験にあたっている。象徴の力の目に見えない重みとは、ずっとそれを担う個人を蝕み続けていたのだ。

近代システムにおける、神の位相の機械仕掛けが、非合理な不可侵の体制から、次の合理的な共通理性の体制へと移行する過程の結節点を、一個の人間的身体が、何処までその歯車の圧力に、耐えることができるのかという、神経的なものの限界について、巧妙な描写を使い、ソクーロフは描き出している。そこに示されるのは、神経に対して行使される、外的イメージの荒ぶる無慈悲な支配力に対して、身体的統一性と神経が許容できる範囲の限界の有様であったといえる。裕仁の身体は、かくして神から人間へと移行したのである。