バッタモン経済とは何か?−段ボール肉まんの幻が語る経済の最下部構造

中国の北京で、肉まんの中に段ボールを混ぜて売っていたという報道が流れて、その後、この報道は北京放送のやらせで捏造事件だったと、再び流された。中国政府が、余りに酷い話の内容に、自ら真偽を示すべく介入してきたのだが、最初の報道から訂正の報道までの全体にかけて、どうにも全てに胡散臭さの付きまとう事件である。一体どちらが正しかったのだろうか?段ボール肉まんの実在は本当だったのか?あるいはやっぱり、それはやらせでデッチアゲだったのか。最初の事件を作ったとされる北京放送のディレクターは、動機が視聴率稼ぎだったと言っているという話である。中国政府が訂正を入れさせた報道によると、実際に、段ボールを材料にして報道で流れた通りの肉まんを、大学教授と作ってみたが、とても食えるものではなかったという。

今回の事件における北京放送に対する、中国政府の教育的指導とは、思想教育、思想指導による報道倫理の強化だとされている、日本の報道ブログも読んだ。その日本のブログは新聞社のものだったが、「マルクス主義報道観」と職業倫理、道徳をセットにした「三項学習教育活動」という指導であると言っている。こういう風に、報道の流れが連鎖していくと、最初の事件から、連鎖的な日本の報道ブログの反応まで、何処が正しいのかわからなくなる、もしかしたら何処も正しくないというのが真かもしれないし。

しかし、中国人の意識とは、現在どうなっているのだろうか?本音と建前の分裂性ということでいえば、こうも解離が激しい国民の状態、人々の意識の状態というのも珍しいのではないか。信条とされている文面によって強いられている言葉上の意識と、実際に日々行動として強いられている経済活動の意識が、殆ど繋がっていると思えない。思想上の強制と誓いで、どんなに共産主義道徳を言わせたところで、経済の実質では、とにかく金を儲けられるやつが勝ちという状態なのだろう。

最近報道された、中国の経済的にひどい話というのは、例えば、下水から取られる油を利用してラーメンを作っていたとか(これは日本のワイドショーで見たが、今となってみればこれも何処まで信用できる情報だったのかはわからない)、中国における著作権意識のなさは昔から有名だが、ディズニーランドを適当にコピーしたような遊園地の存在や、日本のドラえもんなどキャラクター商品が、笑ってしまうような有様で偽造されて平気で通っているとかいう話などである。日本でも、秋葉原に行くと違法コピーのOSやソフトが安く買えるが、こういった売買を取り仕切ってるのも、中国系が多い。大陸系なのか台湾系の中国人なのかはよくわからないが。

キャラクター商品のいい加減で笑えるような、一瞬見間違えるような偽造コピー商品とは、日本の文脈で言えば、バッタモンと大阪弁で言われる類のものが、横行してるということに当たる。日本でも、それはバッタモンと言われるように、今まで結構頻繁にあった、紛い物商売の有り方なのだ。それでもバッタモンの話は、つい近い過去までにはたくさん日本でもあったと思うけど、最近はあんまり聞かなくなったような気がする。関西系の商品でそういう紛い物商売がたくさんあったので、大阪弁でいう愛称もついていたのだが。最近では、日本産のバッタモンの話は聞かなくなって、言われているのは中国製ばかりである。でも日本だって、本当につい最近まで、そういう商売は結構横行していたのだ。こういうものを総称して、たぶん「バッタモン経済」とか命名することも可能なのだ。

資本主義の国家的な発展階梯、進化の段階として、今の中国商品の有様があると考えて、大体正しいのだろうか。中国経済の現在の位置づけと云う事でいえば、追いつけ追い越せ的なテーマの段階にでもあるとでもいうか。つまり、自らを引き離しリードしてる経済大国はすぐ近くに迫っているのだが、まだそこまではどうしても追いつけない状態でありながら、しかし相当、類似的なレベルでは、真似をできるようなレベルになっている。宿命的な、東京経済と大阪経済の追いつけない経済力の競争みたいなのが、日本をトップに置きながら、韓国、中国、ベトナムといった関係で、エディプス的物真似合戦みたいな模様で生じている。これは日本の立場で言えば、70年代までの経済状況で、アメリカと日本の追いつけ追い越せ関係の時代みたいな状態だろうか。

中国が実質的な経済力で強くなって、韓国と日本に並んだとき、この物真似経済的で本音と建前の分裂経済の状態というのも、はじめて止揚されるのではないだろうか。ここにも何かの弁証法の力が働いているのを見ることが出来るのだ。しかし中国国家自体が広大で広いので、中国内部の格差という形で、この物真似・タカリ的な経済イタチゴッコは反復を続けることにもなるのだろう。後進国が先進国に、経済上の競争で追いついてくるとき、一般法則として、このような状態が、どうやら必然的かつ普通に起きるものであるというのは、理解できる。日本人だって、今更ながら、中国人の後進国的な蛮行に驚いているような顔をしてるような筋合ではなく、本当はつい最近まで同じようなことを、国の内部でも抱えていたのだから、何を今更、中国人を別人のような顔をして驚いていられるのかとも思うのだが。