労働と奴隷の生きられた弁証法

平井玄の書評をネットで見つけて、少し自分自身、回想を思い巡らせてみた事柄がある。

「格差」の話に飽きた人のために

この喰って寝て働いて、また喰って寝て書いて生殖して、怒りながら働いて、またまた喰って副作用に怯えながら働いて、寝る。こういうリアリティの中で考え抜くことが「肝」だとますます思うようになった。当たり前だけど。そして肝心の肝臓が悪くて酒飲めないんだけど。そうでなければ、この「透明な牢獄」を抜け出せないだろう。

でもー、いやだからこそ「格差」の話にはウンザリした。なぜなら、俺たちは「仕事」がしたいわけじゃない。「労働」がしたいわけじゃない。「会社」に入りたいわけじゃない。そんなものはみんな、結局「奴隷」になることだからだ。

金も……いやいや欲しいよ、金はねー。とりあえずそれがないと、食う物も寝る所もなくなるから。だから一番腹が立つCMは、あるメガバンク系カード会社のものだ。「お金で買えないものがある。だから買えるものは?カードで」。これはプレミアム・カードを持てる人たちの話だろう。ネオリベ的傲慢さが実によく出てる。その舞台にマンハッタンのジャズクラブ・ブルー・ノートが使われている。キップや大友くんがジャズへの愛憎で爆発しそうになる気持ちがよく分かる。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hirai/archives/2007/06/vol.html

平井玄という人物の存在について、名前は80年代から聞いていた、要するに酒井なんかが当時教えてくれたのだが、僕は特別、それ以上は知らなかった。『路上のマテリアリズム』という本があるということも話でだけ聞いていた。そういった伝手の人脈にいた人だったのだ。活動家だったのか、ただ書いていただけなのかもよくは知らない。その平井さんと初めて会ったのは、二年程前の秋のことで、新宿のデニーズで、大勢で飯を食ったときのことだった。他に平井さんについて持ってる情報は、新宿高校坂本龍一と一緒だったとか、それから山谷の運動に関わっていたとかいう話だった。山谷の争議団の運動について、たぶん平井さん辺りに聞けば、一番正確な、歴史的な筋を知ることはできるのだろう。

平井玄が山谷をよく知るものであるということが、結構重要ではないかと僕は思った。何故なら、『でもー、いやだからこそ「格差」の話にはウンザリした。なぜなら、俺たちは「仕事」がしたいわけじゃない。「労働」がしたいわけじゃない。「会社」に入りたいわけじゃない。そんなものはみんな、結局「奴隷」になることだからだ。・・・』という言葉の意味に込められた背景には、彼が山谷時代から、労働というものについて考えてきた長い道のりを、そこから痕跡として浮かび上がらせることができるように見えるからだ。

まずそこには「プロレタリア的主体」という言葉があった。共産主義的な革命運動の条件として、プロレタリアートに向けて主体化するとは、どういうことか?という話だ。この一語には特に、僕にも十代のとき、二十代の前半の時期に、非常に苦い思い出のある言葉である。平井玄が山谷にいたのは、70年代から80年代といった時代だろうが、当時の山谷の労働運動では、間違いなくこの言葉「プロレタリア的主体」とは常に俎上にあった一語であり、観念であったはずだからだ。それは何かの理念を示すスローガンであったような状態の時代が、70年代の頃にはあったのだ。特に山谷のようなドヤにおいて。プロレタリア的主体という言葉が、もしドヤや、あるいは国鉄のような労働現場ではなくて、体制の中で一般的に使われうるような状況があるとすれば、それは共産革命の最中から結果としての共産国家を作り上げた、そういう社会の体制内においてしかありえない。もしそれ以外でこの言葉が流通するとすれば、それは資本主義社会の片隅でマイナーに使われたということしかありえなかったはずだ。そして平井玄は、そういう特殊状況下を、身を以って、からだを張って生きてきたものだ。

共産主義的な意味で革命的で主体的であるとは、下のほうへと、疎外のある場所へと、プロレタリア的に下降していくことに主体化しながら、そこで疎外を引き受けることの中から、革命主体としての運動を主張する、組織するという話になる。しかし、口でこれを言うのは容易いかもしれないが、実際には、運動の名の下に、これが現象として生じると、大変な状態が起きるのだ。

このとき、プロレタリア的という意味は、相互監視的な意味として、機能すると云う事だ。つまり、何故貧しい方に主体化しないのか、抜け駆けは許さない、裏切りだという人間関係を、同志か、連帯か、愛か、友情かの前提で、限りなく相互拘束、自己拘束、他者拘束していくことになるのだ。かつてあったプロレタリア的主体という言葉に込められた恐ろしさである。例えば、連合赤軍の事件で、後で内情が明らかになったとき、永田洋子は、メンバーの男と女が婚約指輪をつけているのを見て、ブルジョワ的だと糾弾し自己批判させていたことがわかった。これは単なる女性の嫉妬心というよりも、プロレタリアとその主体化という前提で集団が進行すると必然的に、こういった現象が起きるのである。

つまりこのとき、プロレタリア的主体化とは、すべてを仲間と同じように引き受ける、疎外された労働であっても逃げずに引き受けるという事を意味するが、これが資本主義的、企業的とはまた別の意味での、奴隷化の選択であるというには変わりないのだ。こういった主体性の像について、当時文献としては、黒田寛一の『プロレタリア的人間の論理』という本が読まれていた。共産主義的人間像、主体的人間像、プロレタリア的主体ということで言われた主体性とは、結局、また別の、屈折した意味での奴隷化を、相互監視的に、幾分か倒錯的に、革命の名目でもって実現してしまうものにしかならなかった。

ミシェル・フーコーももちろん、同じ現象について着目していた。主体性について、主体化=従属化としてそれが起きているとき、もはやそういったサブジェクトとは、全く意味を為さないのだ。そのとき主体化とは、相互監視化の条件であり、この相互監視は、むしろ自ら望まれて発生した相互拘束の状況であり、何故道徳や革命の前提で、このような逆説が起きてしまうのかという条件を見ようとしたのだ。このとき「主体化」とは、ただ意識的にそう思い込んでいるだけの=思い込まされているだけの、実質的な個人の「奴隷化」である。結果的には、資本主義的に経済化された世界よりも、社会主義の名目で構築された社会構造のほうが、国家的な建前でも、下からの人民的な建前であっても、社会の監獄化を自然に実現してしまう。その現象は何故起きているのか?

フーコーが監視というとき、それは左翼的意識、道徳的意識が積極的なものとして立ち上がってくるやいなや、内在されてしまう奇妙なパラドックスの事を、実際には指している。それは共同性にとって、意識の構造そのもの、道徳そのものの逆説である。だからフーコーは単に自由の基準を新しく模索していただけで、別に右翼道徳よりも左翼道徳の方がましなものであるとか思っていたわけでは全くないだろう。むしろ右翼だろうが左翼だろうが同じ誤りを引き起こすメカニズムであることを見抜いている。フーコーは、そういう意味では左翼勢力などよりも、厳然としてリベラルのほうを支持したわけであって。

平井玄は山谷で労働運動に自ら投じながら、その有様を最もリアルに目撃してきたものでもある。プロレタリア化、主体化を身を以って生きながらも、その先には何処までいっても疎外された労働には出口がなく、ただ労働とは労働でしかなく、それを過剰に観念化して飾ったとしても、所詮は奴隷化の一形態でしかなかったというアイロニーを知っているのである。しかし、このような経験を知っているものとは、絶望を見たにしても、やはりそれなりに貴重な体験を担ってきた人であるという事実もある。

労働という病、労働者という病、主体化という病、プロレタリアという病にも、身を焦がされ犯されながら、しかし結局、最後はそこで労働観念の過剰な重みには騙されないで、帰還して生きている、そして書いているのである。左翼運動の最も身体的で具体的な有様を、歴史的に潜り抜けてきて、それで労働の無意味というのを、とことんまで知り尽しながら、しかしそのポイントから、まだ主体性が可能であることを、やはり経験上知っている。平井玄の貴重な経験が、やがて文章においても、決定的な明晰さを帯びて反復されてくる光景を見ることを、いつの日か心待ちにしているものでもある。