『LITTLE WING』伝説 3

スキッド・ロウがリトルウィングをカバーしている。スキッドロウグランジととるかメタルととるかも見方が分かれるが、心性としては限りなくグランジに位置し、90年代のアメリカで中産階級的な若者の抱える鬱屈、遣り切れなさといったものをぶつけたヘヴィな音作りで、白人的な憂鬱の存在を描き出すことが多いのだが、構造的に彼らの置かれたポジションとか、中途半端な豊かさの中の漠然とした不安、仕事をしなくても生きてはいけるが、中味は空虚に向かい合うといった、ゼロ年代としたら、今ではそこから世界中に共有されるに至る、曖昧な不安を対象化する試みとしてのロックの一部にあたっている。だからスキッドロウがリトルウィングをやることの意味とは、特に羽ばたくと云う事の対象性も確保されない曖昧さと不透明さを社会の前提としながら、微妙に、微細に、心の奥底の、闇の内部の穴を穿ち、飛んでいくことの微かな実体を、決して積極的なものとしてではなく、瞬間的に煌めき把握される影として、さり気なく示すものとなっている。特に飛んでいく方向もない構造を認識しつつも、しかし飛ぶという行為自体は、やはり自分たちにもあり得るのだと信じる心が、ギターのフレーズとして滲み出る。グランジとは、その中途半端さ故に、彼らの存在論的な位相とは、時代を経るにつれ、より一般化しながら、その存在条件が明らかなものとなり広まっていった。この明るい憂鬱さの存在について、リトルウィングだけに頼らなくとも、まだまだもっと多面的に掘り下げられていく表現の隙間と可能性は、残されている、我々の目の前に投げ出されているのが、情況であるといってよいのだろうし。
Skid Row - Little wing