とんでる教授も、さり気なく

70年代末に、ロンドンのJAPANと日本のYMOと、美学的なコミュニズムに惹き付けられる流れに共鳴しながら、音楽における形式美を追求する。現代的な音楽の流れをロックに至るまでの線から綜合化する視点、メタ的な形式によってそれらを抽象的に総括して示す流れが出来上がっていた。70年代から80年代を又にかけ、これら一連の流れは、アートの立場から形式化されるポストモダニズムの運動として、全体的に俯瞰することができるだろう。JAPANにしてもYMOにしても、美学的に中共のイメージ、人民服のイメージを好んで纏い、それに未来派的なメタ音楽を演じてイメージを重ね合わせる。ビートルズからはじまって進化した現代音楽としてのロック、ポップの基本が、構造主義的な反復をメディアの流れに乗せて反復強化させたことにあるのなら、音楽史的な構造主義の果てに、それらをメタ的俯瞰から綜合化して眺めうる快楽を、ポップの新たな形式として定式化しえた。なぜそこに歴史の終極を思わせるような赤い中国のイメージが絡むのかというと、近代の息詰まりを超えるイメージを、第三世界的な素朴な向上心のイメージへと原理的に位置づけることによって、高度資本主義社会の回転する渦巻きを遠巻きにして取り囲む、世界性と革命的継続のイメージが、そこに投影されたのだろう。

音楽史におけるポスト構造主義は、文化運動の流れとしてはそのまま、83年の大島渚作品『戦場のメリークリスマス』にまで注ぎ込むことで、そこに象徴的な体系化を見たのだろう。坂本龍一デヴィッド・ボウイビートたけしというキャスティングで挑んだこの映画は、第二次世界大戦終戦間際に、ジャワ島における日本軍の捕虜収容所を舞台にして、そこに生じるドラマから、戦後の流れを振り返りうる視点をもっている。坂本龍一によるこの映画のテーマ曲は、後にアレンジが加えられ、デヴィッド・シルヴィアンの歌を加えられて、87年の、シルヴィアン&坂本のアルバム『SECRETS OF BEEHIVE』に収録されることとなった。

日本の近代史の構造を見る外部的視点として、第二次大戦期のジャワ島の日本軍の末期的症状、倒錯的な人間性の構図が示されている。そこで起きていた倒錯的な抑圧の全体主義体系を、極端に切断して転倒させた形で、戦後日本の、平和を前提にした急速な近代化は為されたのだ。しかしその極端な成長の影には、突然切断された全体主義の痕跡が、傷跡として何処かに残り続けていた。大島渚は、その経験を、83年に映画として提示した。このようにポストモダンの自己反省的な形式が、80年代に近代史の総括的視点として、流行にも乗り、多様な角度から検討されえたのが、この時代における文化的な到達点だった。それを象徴したのが、大島渚坂本龍一や、ビートたけしデビッド・ボウイだったのである。やがて80年代の知識的で反省的な素振りは、人々にもすぐ飽きられるにいたった。反省と内省だけで出口のない、豊かにはなったけどまた別の意味で出口のない時代の問題に、人々は気付き始めた。そこから90年代のポストモダンを巡る自己批判問題がはじまり、近代の円環を再び実践的に繋ぎ合わせる行動主義として、2000年代に向けたマニフェストが、知識人、文化人の中で起きてきたのだといえる。

・・・振り返ってみれば、そんな経緯があったはずなのだが、その一定の結果というのを、我々は既に手にしている。実は、・・・坂本教授はNAMだったのだ。サカリュウが、一体それで何をやったというのか?どういう働きを為しえたのか?とかいうと何をやっていたのかは、それに関して全く不明なんだけど、彼は自分で別個に地域通貨関係の組織を立ち上げて、それで何かやってたんだよなあ。・・・よくわかんないけど、でも誰もがよくわかんなかったんじゃなかろうか。2000年代前半に起きた、なんだかよくわかんなかったような事件の連鎖の中で。しかし、実は、唯一、坂本教授が、NAM的な仕事をやったといえるものがあるのだ。というのは、解散する末期で、そこで最後に提出されたコンセプトが市民通貨というものだったんだけど、結局新しい市民、即ち世界市民という概念を提示することで、かの組織は抽象的な終末を迎えたわけである。かろうじて、そのイメージの一部が示された世界市民の概念だけど、それが実際に何なのかは、まだよく明らかになっていないし、しかし06年に出版された岩波新書の『世界共和国へ』では、その新しい市民概念について、かなり立ち入った説明が為されつつあるもの。それで、それら事件の経緯で、最後のシンボルとなった、世界市民の概念について、坂本龍一の立場から、イメージを練り上げて提出が為されているのだ。それは坂本龍一デヴィッド・シルヴィアンが、03年に再びタッグを組んで制作した曲『WORLD CITIZEN』という曲によってである。

これはもうNAMと、あと911の記憶に捧げられて作られたような曲。教授もさり気なく、こんなところで仕事してるんだよなあ。この曲幾つかヴァージョンがあって、僕は上のものより、アコースティックギターの前面に出てくるヴァージョンの方が気持ちいいと思ってる。シルヴィアンが組織のことなんて別に知るわけもないんだけど、彼は主に911以後の世界イメージを考えたときに、坂本龍一と共鳴して、一緒に作ったということだろう。

80年代的なポストモダンの総括から今まで、なんやかんやで色々あったわけだけどさ。音楽史的な構造主義ということなら、実はYMOの出てくる以前の段階で、もっと形式美の極まったものがあった、まだオーケストラ的な全体性の印象への憧れが、ロックの中でも強く希求された段階のものだけれども、ロックにおける構造主義時代の集大成とでもいえるものなら、キング・クリムゾンの74年のアルバムで示すのに、やっぱり尽きるといえるでしょう。YMOが出てきたのが78年ぐらいだと思うから、この時期のキングクリムゾンからもちろん影響も受けただろうけど、ここから形式化と省略化を重ねて、余計なものを徹底的に取り澄ませて抽象化すると、更にメタ的に簡略化された、YMO型のポップが出来上がって、それはその軽さの故に、クリムゾンよりもよく流通し、ポップの実存を生きることができた。*1重厚主義の面影が残る74年のキング・クリムゾン(第三期)には、まだ実存の重みがべったりと張り付いているのだな。キングクリムゾンも第四期に入ると、ギタリストにエイドリアン・ブリューの加入で、さすがに軽くなったわけだが。(81年のDICIPLINEあたり)

Sylvian / Fripp - Jean The Birdman

*1:といっても世界的なセールスで見てみれば、たぶんクリムゾンのほうが本当は全然多く売れてるはずでもあるな。これは。YMOがアイドル的なセールスでプロモートできたのは日本だけの話で、外国へ行けばマイナーな方の音楽にあたるわけだから。YMOは日本ではポップとして流通したものだし、事実その本質はポップでしかないんだけど、でも外国ではポップの枠だとは思われていない。マニアックな趣味で哲学的な音楽だと思われている。それに対してクリムゾンのイメージは、世界の何処でもやはり、最も有名な部類に入る正統派のロックであり、主要なロック史の一部だと考えられてるから、世界的な規模で見れば、クリムゾンのように難解な物を本当は含んでいる音楽でも、実は相当に売れている。