デヴィッド・シルヴィアンの赤いギター

82年にJAPANが解散して、デヴィッド・シルヴィアンはソロワークとして充実した活動を迎えることになる。JAPANの中にあったポップな傾向は消えていき、シルヴィアンの向かい合うものとは、内在的な境地へと奥深く掘り下げていくことへと赴いていく。シルヴィアンの作品は、静けさを実現していく。内在的な次元を見出すために、深く下降していく、静けさの中でのみ見出される、微妙でマイナーな植物の芽を、音楽的に発見する試みとなるのだ。シルヴィアンにとって、生とは向かい合うことである。静けさの中で、記憶と対面すること。真に自己の記憶が発見されるとき、それは至上の喜びであり、何人たりとも、個人にとってのこの神聖な体験を犯すことができない領域にまで、音楽の力、音と間の絶妙なタイミングを厳密に駆使することによって、その音楽を聴く主体を至高の空間にまで連れて行ってくれるものとなる。

それが正確に、厳密さの中で為されたとき、音楽的な機械構成のメカニズムを何処までも内在的に微分して研ぎ澄まされた静けさへと到達するとき、デヴィッド・シルヴィアンは決して、そこに耳を傾けてくれる主体の精神を裏切らないだろう。それ程までに厳密に構築された、音楽機械の形式美がそこにはあるのだ。

84年に、最初のソロアルバム、既に完成度の高い『BRILLIANT TREES』を発表して以来、彼のソロワークには幾つか山が来る。特に、坂本龍一と為されたシルヴィアンの共同ワークは特筆に価するものである。坂本にとってもシルヴィアンにとっても最高の出来栄えとなったものであるだろう『SECRETS OF BEEHIVE』が87年に発表される。このアルバムはシルヴィアンの現代音楽家としてのあまりに優れた資質を決定的にマニフェストするものとなった。

そして次の特筆すべき事件とは93年に訪れる。ロバート・フリップとの共同アルバム『THE FIRST DAY』を発表したのだ。当時、ロバート・フリップは彼のバンド、キング・クリムゾンを活動休止状態であり、シルヴィアンはクリムゾン入りするのではないかとの憶測も囁かれたし、事実そのようなオファーはフリップからあったようなのだが、それは実現されなかった。

代わりに、素晴らしいコラボレイトアルバムを、二人は制作したわけだが、ここでは外的なカオス=狂気の迫り来ることに拮抗しうる内的なバランスを、絶妙なセンスによる音楽的構築として、音の振りの正確さ、形式的な精妙さを示しながら、カオスに対抗するための数学的ともいえる内在体系が屹立してくる有様を、音楽的ラインとして描き出している。このアルバムを聴く行為自体が、カオスから狂気の波に対抗しうる個人の内的なバランスを、再び、聴く主体のもとで構築され把握されることの内的な手助けをしてくれるだろう。聴くという行為自体によって、それが主体にとって闘争の過程となり、回復の状態へと到達しうる。狂気に対抗しうる正確な、充溢した内在平面を獲得すること、それはシルヴィアン&フリップの二人にとって目指されている音楽的境地にあたる。

色々書いたが、デヴィッド・シルヴィアンの世界というのは、それほど凄い!ということが要するに言いたかったわけである。自ずから厳密に構築され体系化されている音楽世界とは、内在的な精神的闘争の過程を、深く、哲学的内省として、与えているものである。音楽というのが、本当はここまで出来るものなのだという、見事な芸術宣言を果たしているのは、まさにデヴィッド・シルヴィアンの世界なのだと、言いたいこととは大体そんなこと。

David Sylvian - Red Guitar