近所に新しいスーパーが開店した。

うちから一番近い距離にある店だが、二ヶ月くらい前までそこはいわゆる99ショップだった場所だ。99ショップは便利だったので結構重宝していた。大抵の生活品がそこで揃ってしまう。食材から文房具、入浴剤から最近では木炭まで99で売っていた。ある種の完璧な店に見えた。それは99ショップだけで暮らせてしまう位の便利さだろう。鯵のひらきや秋刀魚の冷凍パックしたもの、しめ鯖のパックなどもよく買った。その店が急に潰れたのだ。最初は潰れる理由がわからなかった。しばらくして僕の耳にこういう情報が入った。それは万引きで潰れたのだそうである。それは結構ショックだった。あんないい店なのに、万引きにはずっと無防備だったのだ。99ショップで働いていた、おばさんたちを思い出した。若いお姉さんもいたのだが、近くで話を聞いてみると中国人であることもわかった。あの店自体は、大きなチェーンの一つである。もしかしたら売り上げの計上で、上からこれでは閉店した方がよいと指示されたのかもしれない。京都にいったときは街中にこのチェーンショップが開いてるのを目にした。

あまり時間もたってないが、そこには新しいスーパーができた。場所としてはいい立地条件にある。そこにスーパーがあれば、まず人は途絶えることはない。新しくできたスーパーはすこし奇妙な店内になっている。まずスーパーの入口と出口はストレートに繋がっていない。入口をはいって、通路が両側を商品の棚にしながらできあがっていて、ぐるっと店内を細長い迷路のようにして回っている。最初は何これと思ったが、すぐに理由を理解した。動き回りにくいこの店内の配置は万引き対策だったのだ。新しくできた店は以前より多く人を使っている。商品の投下量も多いので、人も多い分売り上げも多く狙っているのだろう。すべてが100円で売られる店ではなく普通のスーパーで、値段にも幅がある。こまめな品を売る商店やコンビニを経営する場合、万引きの対策というのは死活問題になるのだろう。そうえいば左翼では、万引き自慢とかする人が昔から結構いるのだが、ああいう伝統は何なのだろうと思った。ある種の語り口の伝統であるのだろうし、自意識の問題でもある。不良自慢の積もりなのだろうが、下らない話ではある。

新しくできたスーパーに、監視カメラを取り付けてるのかどうかはよくわからなかった。一つか二つ位は上についてるのかもしれないが、目立たないということはそんなに多くはないのだろう。カメラの取り付けというのはコストがかかるのだろうか。PCの管理で便利になった今は、カメラの設置がそんなに高いとは思えないが、何よりも新しい店舗にとって対策とは、奇妙で窮屈な店内配列になってる。

万引きとは何なのだろう。それは無意識的な運動であり、惰性的な慣習性とでもいえるのか。恐らくその殆どのケースは、考えないで先に手が出てしまうという類のケースなのだろう。放っておけば止まらなくなる。だから何処かで強制的な標識を与えないと、ただやられるだけやられてしまうだけである。罪の意識に、つまり内面的に働きかけることは、そこで難しい。左翼ヅラしてる者まで、万引きに対してだけは偉そうに語ったりする位なのだから。そこは機械的管理に頼るしかなくなってしまうのだろう。万引きは自然現象か。いい店ほど狙われやすかったというのは皮肉な話だ。別にやる方は、そのショップが大手チェーンだから狙ってやったというわけでもないだろう。ただやり易かったから、やられたまでなのだ。新しくできたスーパーよりも、前の何でも売ってる99ショップの方が、明らかにいい店だった。新しいスーパーで売ってるのは食材品だけだ。文房具も入浴剤も売ってない。万引きも痴漢も自然現象ならば、機械的管理=動物的管理もやはり自然現象に延長としてあたる。昔の店舗ならば、人の目で監視するだけだった。しかし店の営業も複雑多岐になり回転も早くなれば、そこには何かのテクノロジー管理が必然化される。別にそれが何か悪いことだとも思わないのだが、むしろ新しい社会の必然的な変化の過程だと見えるだけだが、やるならばスマートにやってくれ、あんまり見栄えの悪いようなテクノロジーの見せ掛けは避けるべきだろうと考える位である。

とにかく悲しいのは、前の便利な99ショップが、わが近所から消えてなくなってしまったことなのだ。僕はそこで99円の木炭も買っていた。それ買って家で七輪を炊いていたのだ。焼肉や焼き魚を七輪でやるのが好きだ。味が全然違うから。それをやるのに少々面倒になってしまったことが悲しい。