それはカントリーロックなのか、あるいはMTV文化だったのか?

ニール・ヤングのバンドとして有名なのはクレイジー・ホースである。ニールヤングの全体的な軌跡を振り返ってみるに、クロスビー・スティル&ナッシュやバッファロー・スプリングフィールドといった、フォーク構成の楽曲の中からロックが生成してくる段階にあたる作品群から、ソロとなり、独自にフォークとカントリーとロックを繋ぐラインを構築するニール・ヤングの姿、そしてバックバンドとしてのクレイジー・ホースの結成から、独自にヘヴィロックのイメージを、ニール・ヤング自身が手掛けるようになる、それはジミヘン的な覚醒の方法を念頭に置きながら、という段階に分かれている。ニール・ヤングの場合、歳をとるほど、彼にとってこのヘヴィロックの割合が多くなり、ヘヴィ・ロックを演じるための、年寄りバンド、クレイジー・ホースという側面が強くなってくる。80年代は、他の古参アーティスト達と同じ歩調でさぼっているような感じのニール・ヤングだったが、なぜだか、彼は90年代に入ってから一転し、攻撃的な調子の音楽を多く演じるようになっていった。

そして村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』だが、小説のタイトルになっているこのフレーズについて、そこには何か原イメージになっている、元ネタが考えられるのだろうか。「ダンス・ダンス・ダンス」というとき、そこから連想されうる音楽のイメージとして、まず、クレイジーホースの曲に、そういうのがあるということがあるのだが。クレイジー・ホースとは、主にニール・ヤングのバックバンドなんだけども、71年にこのバックバンドだけでニール・ヤングを抜きに独自のアルバムを一枚出している。その筋では名盤との誉れも高いんだけど、クレイジーホースのアルバムの中に、「ダンス・ダンス・ダンス」という同名の曲があるわけだ。このアルバムには他に、ロッド・スチュワートが後にヒットさせた「I DON'T WANT TO TALK ABOUT IT」というカントリー調のバラードの曲が入ってるんだけど、たぶんこの曲のオリジナルがクレイジーホースの曲だったのではないだろうかな。この辺は詳しく知らないんだけど。もしかしたらカントリーではスタンダードなナンバーだったのかもしれない。当の曲「ダンス・ダンス・ダンス」なんだけれども、それはカントリー調の編成のあくまでも延長上にある、ロックンロールアレンジでアップテンポのナンバーになっている。クレイジーホースのアルバムは全般的にカントリー色から、ロックというのが形式的に胚胎する過渡的状況みたいな音楽になっているものだ。

そして村上春樹がタイトルを小説に選択するにあたって、念頭にあったのは、このクレイジーホースの曲であるのではないかと推測するのが一番妥当なんだろうか。村上春樹と、クレイジーホース、そしてニール・ヤングと続くラインは想像するのも容易い感じなんだけれども、必ずしもあの小説のタイトルの起源とは、そこだけではないかもしれないと思うのだ。もちろん、普通「ダンス・ダンス・ダンス」という時に一番結び付けやすい音楽とは、クレイジーホースの曲になるのだろうし、村上春樹自身も自分の小説を仕掛けるときに、真っ先にそこに読者の想像が結びつけられる事を意図していなかったはずもないと思うのだが、この小説が発表された88年の状況を考えたとき、もう一つ別のラインから、タイトルイメージの由来を考えてみることもできるのではないだろうか。というのは86年に流行った曲で、やはりダンスダンスダンスを喚起するもう一つ別のイメージを与えてくれる曲がある。これは実は、当時のLAメタルから有名になった曲で、RATTというメタルバンドのナンバーである。村上春樹が別に80年代的なMTVのイメージに無頓着であったとは考えられないと思う。村上春樹的な『ダンス・ダンス・ダンス』のイメージを構成するに、一方ではクレイジーホースによる70年代初期的な牧歌的で回顧的、クラシックなナンバーとしてのダンス・ダンス・ダンスと、もう一方では、80年代バブルの象徴的金字塔のような、LA発のメタルなブギウギのナンバーとして、RATTによるMTV的でバブリーな華やかさのイメージのダンス・ダンス・ダンスという両方を結びつける方が、実はよくそのイメージ構成を把握できるのではないかと考えられるのだ。またそう考えた方が、いかにも村上春樹的な仕掛ではないだろうか。どうなんだろう。