中上健次の『日輪の翼』

中上健次の『日輪の翼』は、80年代に襲った土地開発−それは日本列島改造計画的なものとして全体的な現象であったのだが−の結果、故郷の地における路地を失い、自らの居場所としての根拠を失った者が、冷凍トレーラーを改造したトラックに、地元、新宮の老婆達を詰め込み、日本全国をさすらうという話である。車を運転するのは若い男たちであり、彼らが乗せているのは、意識的な活動としてはまだ気力を身体に宿している老婆たちの姿である。老婆たちと男たちの共通の思い出とは、路地で暮らした思い出であり、老婆は男たちが、母親の腹から出てくるときから世話をしていたような関係である。老婆は男たちの生い立ちすべてを、暗黙に見透しているかのようである。路地の思い出を背にして、彼らはトレーラーで移動を続ける。この旅に特に目的を見出しているわけでもない。居場所をなくしたということは、彼らにとって単に失うものも何もないという身の上にすぎない。旅の過程で、彼らが改めて発見するものとは、路地の思い出であり、彼らのノスタルジアである。老婆にとっては、もう月のものもあがり、彼女達は記憶を反芻することによって、新しく見る土地の景色にしろ、限りなく再構成しながら世界の像として受け入れるしかない。老婆たちにとって、もう何を見ようとも世界は変わるわけない。ただ元からある強固な像の感触に、延長として新しい景色が付け加わっているだけだ。

一方、男たちにとってはどうなのだろう。老婆の記憶を頼りに、旅の道中で彼らは自分たちが何であったのかを発見しなおす。彼らに別の土地で新しくはじめる可能性がないわけではない。しかし男たちは、老婆の記憶力を当てにしている。そうすることが自分を見失わないで済む唯一の方法であるかの如くに。男たちにとって老婆を介護することとは、自分の姿と歴史を鏡に映し、発見し直すことである。老婆たちによって繰り返される習性とは、掃除をすることである。伊勢神宮諏訪湖、恐山、と行く土地ごとに、場所の掃除をしたがる。最後に彼らは東京に辿りつく。東京には、若い男にとっての仕事がある。新聞を見ながら様々な仕事の氾濫するさまを眺めている。老婆達は最後に皇居の前に訪れ、白装束の井出達でそこの掃除をして、消えてしまう。旅の一行は最後に皇居で解散することになる。路地の記憶を確かめるための旅は終り、新しいものへと向けて、個々は出発したことになる。彼らが本当に新しい人生をはじめられることになるのかもわからない。新しい居場所が見つかるという当ては誰にもないのだが、しかし彼らは動かざるえない。新しい場所を見つければ、清めるために、掃除をやる。それが彼らにとって信仰の持ち方である。何処へ行こうと、この形式を基本的に繰り返していく。生きると云う事は、清めることによって、場所の聖霊を享受することである。トラックのイメージに託されているものとは、希望である。人々は、自らの路地を失うことによって、社会を新たに発見しなおす。

中上健次の『日輪の翼』は、空白化した日本の80年代のあり方が、露骨に刻み付けられている時間性の記録として見ることができる。トラックの中に入れられた老婆達の、不安定で実感のない居住空間、かつ移動の空間とは、そのまま80年代のポストモダン的な空間の宙吊りにされた感覚を、見事に描き出している。中に入るものにとっては、盲目の感覚を強いられる空間の感覚、しかしそれが何処かへ向けて時間的な移動を確かにしている最中なのだという事は、箱の中の揺れとして、車がブレーキを踏むときの感触として、かろうじて、常に間接的に伝わってくるだろう。箱の中にいるものは、自らの記憶を暗さの中で限りなく遡行し、反芻しながら、この箱の運転していく行方は、運転手として若造達の腕を信じて、頼りにするしかない。しかし到着した土地のそれぞれにおいて、箱の外に出て、見知らぬ景色の自然に触れるにつけ、またいつものように清掃という習慣を繰り返し、自分の信心深さを反復し確認し、土地の美しさの中にその都度のものとして、溶け込むことができたのだ。