クレオパトラが

実は美人じゃなかった説というのが、何故だか今になって出ているそうだ。

「絶世の美女」だったといわれる古代エジプトの女王クレオパトラ。しかし、英ニューカッスル大学で13日から展示されている紀元前32年の貨幣に描かれた肖像によれば、実際にはそれほどでもなかったようだ。

絶世の美女とのクレオパトラのイメージは、英国では中世の詩人チョーサーの作品までさかのぼれるものの、比較的新しい。古代ローマ時代に書かれたものでは、クレオパトラは知的でカリスマ性があり、魅惑的な声をしていたとなっているが、美女との言及はないという。

美人の基準と一概にいっても、それは時代によって異なるとは、日本のお多福のお面のことからも、知れること。お多福面みたいな顔が、その昔、平安時代だかどの辺りだかでは、あれが美人の基準であったという日本人の昔のセンスであったそうな。クレオパトラのほうはどうなのだろう。いま美人とは思えないにしても、当時の基準としてもやはり美人ではなかったのだろうか。それだと、どこでどう間違った情報で噂が出来上がってか、クレオパトラは凄い美人だったという話が、回り回って伝説化してしまった。しかしその実体はどうなのかというと?別に美人でもなかったのかもしれない。なんだかそれもまたよくありそうな話ではある。宝物だと思っていた壷の中身が実はただの砂だったとか。美人の形容詞=クレオパトラのように語られることもあった。しかしその正体は、別にそんなことなかった。それでは語り継がれてきた伝説の歴史とは何だったのだろうか?あっけないオチである。話の膨らむ構造とは、このように何処でどう転ぶかわからないもの。話の流通、それ自体が生き物のようなものだ。情報とは生き物である。薄情に見える妙な虫のようなときもあるし、虫けらかと思うと、けっこうしぶとかったりする。時に人間に復讐してくるし、時に誰かを儲けさせたりしている。不思議な生き物の構造だ・・・話の構造って。