『寛容さ』という感情の起源

ニーチェは、人間にとって、寛容さという感情の出来上がる起源について、それが果たして倫理的な思考に発するものであるのかどうかということについて、ある疑義を提出しているのだ。

共同体はその権力が強まるにつれて、個人の違反をもはやそれほど重大視しなくなる。というのも、共同体はもはや個人を以前ほどには全体の存立にとって危険な反乱分子と見なさなくてもよくなるからである。犯罪者はもはや<法の保護を奪われ>て放逐されるということはない。一般の怒りはもはや以前のように勝手放題に彼の身にぶちまけられることは許されない。−−むしろ今や犯罪者は、こうした怒りに対して、とくに彼による直接の被害者の怒りに対して、全体の側から注意深く擁護され、保護される。直接に犯行を蒙った者たちの怒りを和らげるための妥協、事件の関係界域を局限して、広範囲にわたったり全般化したりさえする人々の関与や不安動揺を予防する努力、等価物を見つけだして訴訟事件の全体を調停しようとする試み(示談compositio)、またとくに、すべての違反を何らかの意味で弁償されうるものと見なし、それゆえ少なくともある程度までは犯罪人とその行為とをば切り離そうとする意志が次第にはっきりとあらわれてくること、−−これらのことは、その後の刑法の発達の上にいよいよ判然と示されている諸特徴である。共同体の権力と自己意識が増大するに応じて、刑法もまたその厳しさを和らげる。共同体の権力が弱まり、その危機が深まるにつれて、刑法もまたもはや厳酷な形式をとるようになる。<債権者>はつねに、富裕になるにつれて寛仁となった。結局は、債権者がどれほど苦しむことなしに被害に耐えうるかということが、彼の富の尺度とさえなる。加害者を罰しないでおく、−−かかるもっとも高貴な贅沢を、喜んで自らにゆるすことができるような社会の権力意識というものも、ありえないことではないであろう。「この寄生虫どものことなど一体おれに何の関係があるというのだ!?勝手に食わして太らせておくがいい。それだけの力はまだたっぷりおれにはあるんだ!」と社会は言うであろう。・・・「すべてが弁償されうる、すべてが弁償されねばならぬ」ということから始まった正義は、支払無能力者らを大目に見て放任することをもって終わる。−−いうならばこの正義は、地上のあらゆる善き事物と同じく、自己自身を止揚することをもって終わるのだ。−−この正義の自己止揚、これがどんな美称で呼ばれているかは、人の知るところである。−−つまりその名は、恩赦。いうまでもなくこれは常に最強者の特権であり、いっそう凱切な言い方をすれば、彼の法の彼岸である。
ニーチェ道徳の系譜』第二論文「負い目、良心の疚しさ、およびその類のこと」一〇番

「寛容さ」という感情、その社会的なポーズにおいて前提となっているものとは、それが構成された起源的な次元から見れば、それもやはりまたある種の権力意識の高まりであり、全体として眺め回したときには社会的な権力感情がベースになっているのだということが示されている。

もし自分が寛容であることを誇示して使っているような者がいたら、それは権力感情を殆どひけらかしているに等しいだろう。それは我々の常識的な感覚としてもよくわかる。しかしその奥には、寛容の感情としての真の寛容さがあるのか、人間界の何処かには控えているのか?と問うた時はどうだろう。ニーチェの場合、実はそんなものは存在しない、虚妄であると言うのだ。

「寛容」の次元をどのように捉えるのかというのは、特に今ではシビアな問題である。一つは監視社会という問題を立てたとき、そこで自由を確保できる契機とは寛容ではないのかとの議論が、まず一方である。そして特に今の日本の場合、寛容さが試されている空間とは、まさにインターネットの次元にある。

インターネットで頻出している自由の崩壊的現象、WEB界だけに限らず、日常的な現実空間でも、自由の進行に並行して現れる、自由の転倒としての乱用によって崩壊する空間の状況を前にしたとき、そこで立ち止まれる勇気とは何なのかという問題が現在頻繁に問われているのだ。

そこで問題を回収できる契機とは果たして、寛容なのだろうか?と。

そもそも人間にとって、寛容であることが善なのだろうか。寛容であるために忍耐することが善であるのか。ニーチェは言うだろう。それも善の一部ではあるはずだ。しかし我々は、善の実体とは何かということをよく考えてみるべきである。答えはそこからのみ来る。善とは、そもそもそれ自体権力のことなのだ。