今更ながら

中央公論社の「世界の名著」シリーズを最近になって集めている。中公バックス「世界の名著」はもう数年前に絶版になってしまったのだ。だから古本屋をこまめに見て回っているものだ。「世界の名著」シリーズは実は重要だった。その事に僕が気づいたのはつい最近である。全部で81巻ほど出ていた模様である。この世界の名著全部読みというのを現在自分に課しているのだ。このシリーズの何が良かったのかというと、まず読みやすい構成になっている。最初に必ず、テーマになっている著者の業績の略歴から始まる。これで思想史上の人物についての位置づけがまず把握できる。そして人物の主要作品が収録されている。巻末には人物の略歴年譜が付されている。この年譜も人物の全体的把握にとってとても役に立つ。思想の歴史的な全集としては完成されていたのが、中公バックスであったのだ。しかも値段も安い。大体一巻が1500円前後である。そして各思想家の著作について大体渋めのところを押さえて収録しているものだ。今となっては、この中公バックスでしか翻訳が読めないような重要な哲学史的著作も多く収録されている。

プラトン主義とは紀元後3世紀くらいに起きたムーブメントでプロティノスなどがいるのだが、プロティノスの著作をこんなにコンパクトにまとめた文献は日本では他に見当たらない。ヨーロッパ中世でカトリック盛期の重要思想家トマス・アクィナスであるが、彼の「神学大全」がこんなに読みやすい形でわかりやすくコンパクトにまとめられているのも中公バックスしかなかった。中世思想家のアクィナスというのがどのくらい重要かというと、本当はアクィナスを知らなければ、ハイデガーデカルトスピノザも理解できるわけないのだという位に実は重要な哲学史的ポジションにいる思想家なのだ。しかしアクィナスをこんなにわかりやすく伝えられている本は、日本ではこのシリーズ以外にはないだろう。

カントの巻にしても、カント最晩年の著作にあたる「人倫の形而上学」が世界の名著には収録されている。この本はカントの全集以外にはここでしか出ていないが、カントの思想的な最終到達がどのようなものであったのかを振り返る上で最もよく把握しやすいもので、とても重要である。ダーウィンの巻では「人類の起源」が今西錦司の訳と解説で収録されている。ダーウィンというと「種の起源」が有名だが、ここに収められている「人類の起源」のほうが、ダーウィンという人物が思想史的にはどういうポジションでどういう哲学的動機で進化論を明らかにしたのかという経緯がよく分かる重要著作なのだ。渋めで面白いところは、「ギリシアの科学」という巻である。この巻には、アリストテレスの「自然学」からヒッポクリテスの医術、そしてユークリッド幾何学原論が収録されているのだが、自然科学といわれるものの起源について、この巻を参照すると驚くほどよくわかりやすいのだ。ホッブズの「リヴァイアサン」やアダム・スミスの「国富論」にあたっては、これを文庫で揃えると何分冊にもなるのだが、世界の名著だとコンパクトに一冊に収まっていて便利である。また解説も年譜もとても使える。

このように枚挙していったらきりがないほど、中公「世界の名著」シリーズとは、世界思想全集としては完成されていた優れものだったのだ。しかし中央公論社が世界の名著を絶版にしたのは何故だろうか。絶版になったのは2,000年度に入る少し前くらいのことではなかったかと思う。もっとも明瞭な理由は儲けが少ないということなのだろうが、世界の名著シリーズは書店に置くとき、元々一定以上の大きな書店にしか置いていないものだったが、それを全巻置いておくだけでスペースを割くものであり、書店サイドにとっては合理的なものでなかったということもあるだろう。そして時代の変遷として、全集物の人気がなくなっているということ。出版業界で全集物が持て囃された時代とは、もう相当に過去のことなのだ。今ではかつては全集ででていたシリーズは、文庫として全集を復活させるという感じになっているだろう。筑摩の文庫に収録されているニーチェ全集などがいい例である。

注文販売だけでもいいから、中公には世界の名著シリーズを残してほしかったものだが、結局かつてのこのシリーズは、新書形式にして、そして今まで一巻にまとまっていたものは分冊形式にして再度中公の新しいシリーズとしてラインアップに組み込まれた。しかし再録されたこの新しいシリーズでは分冊になっている上に一冊の値段が以前よりも相当割高になってしまったのだ。僕が中公バックスの重要性に気づいたのはつい最近なので、今ではこれを図書館で借りてきて読むか、古本屋でこまめに探して手に入れるしかないような現状である。