アンダーグラウンド

津村喬らによって70年を境とする頃に作り上げられた左翼活動のスタイルとは(それは早稲田大の出来事が中心的な舞台になっているといってよい)、そのまま今のノンセクト・ラディカルと呼ばれる左翼のあり方まで連続性をもっている。

彼らがこの時期に作り上げたスタイルとは、まず党派性にとらわれていない、当時から横に存在した革共同などのセクト主義に比べれば、それは非暴力性がベースになっている、身体論的なものを基調とし、ナルシズム的なものをむしろ共産主義のベースとして捉えられている、寛容であるのと同時に、労働主義的な強迫観念がない、だからどちらかといえば非生産的な怠惰を許容することによって成り立っている人間主義的性質をもつ。(今ならばそれを、スローライフとかスローフードの思想と呼ぶのだろうものも含む。それはレゲエ文化、ジャマイカラスタファリズムボブ・マーリーの存在も、左翼としての影響圏に含んでいるだろう。)

しかしその非生産的な人間主義をベースにする集団性の左翼運動の内実とは、差別の糾弾運動をすることが、活動の支柱になるスタイルとなっている。内実自体は基本的に非生産的なもの(今風にいえば、まったり、といってもよい)がベースになっているので−−要するにそれは言い方を換えれば、中味がないということなのだが−−、彼らが左翼として自己を確認する仕事とは、基本的に差別事件を発見して、そこに求心的な糾弾運動を作り出すことによって、左翼的な一体感を作り出すことになる。

津村や、当時学習院を中退していたスガらが、早稲田の構内を拠点に集まって、屯をなしていた頃の事情が、映画の中でも回想的に語られている。そのとき彼らが標榜していたスローガンが、「ナンセンス・ドジカル」というものだった。いわばダダイズム的な非意味性、そして外部の人間を分け隔てなく受け入れようとする寛容性が、彼らの左翼性の根拠となって、この時代に日本では初めて明瞭に、スタイルとして出来上がっていたことを意味する。

彼らが影響を受けていたものは、左翼の文献だけでなく、大きな部分で、当時日本でも大きく勃興しつつあったサブカルチャーの存在である。赤塚不二夫白土三平といった漫画文化の影響も強い。ヒッピーからロック、サイケデリックまでこの時期に日本で導入されている。ノンセクト左翼の界隈における、この寛容で緩やかなる広大な連帯性というのは、そのまま一定のスタイルとして定着し、それは最近の事件として、やはり早稲田大の周辺を根城とすることによって出てきた「だめ連」の現象にまで、左翼界隈の出来事として明らかに続いている。

映画「レフトアローン」の中で反復する導入項となっている、2001年7.31の、早大地下部室撤去闘争の光景というのは、まさにこのノンセクト左翼の連綿とした流れの連続性において生じている事件である。つまり問題になっている「左翼」というのがいったい何であるのかという考察において、この最初に津村喬らによって基本的なスタイルが完成し、その後、地下部室の活動を根城として育まれた雑多で逞しいこの文化性、アンダーグラウンド・カルチャーというものがいったいどのような条件によって成立していたものなのかということを見ることなしに、この現象を解き明かすことはできない。

映画でこの後に出てくる、花咲政之輔なる活動家、兼ミュージシャンは、80年代からこの文化圏に入ってずっといたのだし、そこには酒井隆史や平井玄や道場親信がいたのだ。そしてこの豊かなバックグラウンドを背景にして90年代にはここから、だめ連が登場している。これらはいわば日本の文化的左翼の総大成でありエッセンスとして存在した。映画「レフトアローン」が解き明かしているのは、この左翼ノンセクトラディカルの文化において、最初にその基本的なスタイルを完成させたのが、70年当時の津村喬らだったということなのだ。01年に至るまで、このノンセクト左翼のスタイルとは殆ど変わらないままに、ずっと早稲田の地下室を根拠にして持続していた。

1848年の時代のヨーロッパに左翼運動があった。そして1968年には更にまた大きな規模で世界的な左翼運動が祝祭的に開花した。そこから急激な引潮現象がフィードバックとして起こり、時間が流れた−あるいは時間が消滅したという事実に対しては、様々な後遺症としての結果もうんだ。そして01年の7月31日にも、それとは及びのつかない規模であろうが、やはり日本の早稲田の庭である左翼的な祝祭が発生した。これら祝祭の担い手となった、左翼という集団性の性質とは、本当はいずれの時代にも大差がないはずだ。

左翼とは、これら長い時間の流れの中でも、集団的な性質としても功罪の両側面を孕みつつ、その業も深く、続いてきた。左翼的な交流性の多様性とは文化的な繁殖力としての多産性をうんだ。しかしその一方では、いずれの時代でも、左翼的な集団性というのは問題を含んでいた。

積極的に行うべき対象が見つけられないとき、(スガ秀実によれば、そのような状態の宙吊りの持続とは、左翼にとって受動的革命の期間といわれているのだが)、そこに集まってきた集団とは、幾ら何もやるべきことがないといっても、それでは自己を確認することができないだろう。集団が左翼としても、何か自己を確認する手段、集団を集団として認識する手段というのを、常に模索しなければならない宿命にある。左翼にとってもっとも惰性的な習慣とは、糾弾闘争を組織することの中に、そのような鏡としての確認手段を持とうとする傾向がある。これは左翼のもつ集団性としての儀式的な悪習であった。同時に左翼にとっては自己存続としての、最も簡単で安易な手段であった。いわば、「差別」狩りとでもいう現象である。集団性が糾弾の儀式によって常に自己を鏡像的に再生産する仕種とは、津村喬に端を発するノンセクト左翼にとっても、常套的な習慣性として続いてきたものだ。

これら左翼集団の内在的な問題性としての糾弾儀式の問題とは、集団心理学として見れば、小集団にとってのミクロファシズムの問題なのだ。同時に、糾弾儀式が左翼が左翼として存続することの本質と決して切り話せないものであるという根本的な事情とは、単に左翼的小集団の問題にとどまらず、もっと大きな現象としての共産主義国家のもつ性質においても殆ど変わらない。その本質的事実を端的に垣間見せることになったものは、2005年三月に中国で発生した、中国人による反日デモの事件にも見出すことができるだろう。

集まってきた集団が左翼を自称しようと、実はそこに積極的にやるべきことがないから、左翼集団が左翼集団として自己を確認する集団とは、糾弾劇の上演になり、それが左翼にとっての定期的な儀式性として定着する。これは日本の左翼、そして資本主義国家の中にある左翼的な小集団の問題であるばかりでなく、殆ど原始的なプレモダン性ともいえるこの問題は、北朝鮮でも中国でも、反発分子としての対象を探し出しては、それを共同的なスケープゴートとして裁くことによって、集団自身の自己存続を確保するというあり方で、やはり機能しつづけているものだ。集団形成、集団構造にとって根の深い問題として、敷衍化しうる構造的問題であるのだが、ことに左翼にあたってのほうが、このようなプレモダン性の問題が、よく噴出してきてしまうのは何故なのだろうか。

共同体において最も原初的なディシプリンの形態とは、公開処刑の儀式である。(フーコーの『監獄の誕生』の冒頭部分を参照)そしてそれら公開処刑の見せしめ=見世物的な残酷をヒューマニズム的に廃棄し、公開処刑の可視的残酷に対して、監獄の発明による囲い込みと封じ込めを実現することが、近代社会の発足にあたっている条件である。北朝鮮などの一部では、今でも旧態依然たる、村における公開処刑の儀式が残っている。共同体の公開処刑の儀式が残っていたのは、アフガニスタンタリバン政権下の時代にもこのあいだまであったものだし、イスラムなどの宗教統治下の原始的な地域にまだ公開処刑制度が残っているというのだけでなく、共産主義体制の中の後進地域でも、まだいまだに公開処刑を必要としているのには、そういう必然性があるのだろう。これが先進資本主義体制下の問題とすれば、連合赤軍事件やオウム真理教が公開リンチによる結束が、カルト的小集団の自己維持のために必然的であったというだけでなく、程度の大小はあれ、左翼勢力の中にも、スケープゴートに対してドメスティックな暴力的衝動を集団的に放出させることによって、自己の再生産をはかるメカニズムとは、やはり必然的である。

ことにそれは左翼を自称するがゆえに、そのメカニズムがどうしても是正されないという必然もある。左翼を自称することが、本質的に反体制を装うことであり、対抗的なターゲットを常に糾弾の対象として呼び寄せるものである限り、左翼集団の構造にとってその体質は直しようがないものだといえる。しかも左翼にとってタチが悪い事情とは、左翼の掲げるスローガンがキレイ事であるがゆえに、糾弾の儀式を立ち上げるときのヒステリーの集団的発散の有様が、異様なる矛盾としかいえないような光景となるのだろう。

津村「ただ身代わり糾弾について言うと、党派内でもありがちだったし、名前を挙げて悪いけど太田竜さんみたいな方は、とてもいい人なんだけど、沖縄行くとヤマトンチュ糾弾だし、北海道でアイヌのほうに行くと、自分たち数人を除くシャモ(和人)全てがダメだってことになるし、玄米食べ始めると白米食べてる人はダメだってことになるしね(笑)。アイヌの存在なり、沖縄の歴史的な経過なりが、その人その時々の到達点に立って裁くために使われてしまうと、逆に非常に矮小化されてるっていう感じがして、これはついていけないって思うと同時に、僕自身がそういう戯画になりたくないと、すごく思ったんですね。それで、とても、助かったというか。こういうふうに成り代わって糾弾したくないっていうのは、すごいありましたね。」

スガ「だから、いわゆる成り代わり糾弾=代行があの頃はものすごく流行るわけですよね。もう津村さんの主観を超えて、津村さんの周囲の人間が皆やっていたわけですけど、それをご覧になってどんな感じがしましたか?」
津村 「・・・そうですねえ・・・やっぱり忸怩たるものがありましたよ・・・そりゃ僕にも責任ありますからね」

『LEFT ALONE』書籍版 津村喬×スガ秀実 「身体の政治性/政治の身体性」

大学の中でも左翼によって定期的に行われる、学生団交の景色の無邪気で無責任なヒステリーの有様というのは、本当は殆どの一般学生が気づいている通りに、そのような異様な光景でしかない。映画「レフトアローン」の根底に潜む、ばかばかしさに開き直ることの破廉恥なる前提というのも、モーニング娘のヒット曲を大音量で流しながら、先頭に立って学生担当の職員に形相を変えて噛み付き糾弾するスガ秀実の姿、しばらく何かを喋りつくして放出したかと見えると、まるで分裂症の患者のように、手足をクネラセテ、顔色をひょうきんに変え、モーニング娘の曲に合わせて知らなかったように踊り始める。この悲喜劇的な無責任性において、まさに左翼と今まで歴史的に呼ばれてきたものの実態なのであり、無残なる共同幻想としての虚構性なのだろう。これが文化左翼と呼ばれているものの正直なありのままの景色である。

ここまで紐解けばもう明らかだろうが、左翼がシステムとしてもつところの必然性というのは、この集団構成における、ドメスティックな暴力性の放出と昇華のシステムなのだ。そして集団力学上の組織的再生産のシステムである。いま中国で起こっている事件はその歴史的な事実をよく説明しうるはずだ。現在の中国の反日デモの光景は、もともと中国共産党毛沢東の時代から、左翼としての自己を表現してきたスタイルの、そのまま延長線上にある。そこには幾ら毛沢東の神格化されたイメージが重ね合わせられようと、昔の時代から何の幻想もありえない事態である。むしろ中国の左翼とは毛沢東の時代から実態はこんなに下らないものだったのだということを、リアルタイムで今入ってくる報道の映像は示している。

ここでは「日本」という対象が打倒すべし集団的な敵として掲げられている。日本企業や日本大使館に放石されたり、窓ガラスが割られたりしても、デモ隊を監視する機動隊さえも動かない。明らかに国家的に擁護されたドメスティックバイオレンスの放出として、それら無茶な暴力については見てみぬふりがされる。これは日本軍がかつて大東亜戦争の頃に優勢だった頃に、中国の大陸で、どんな横暴しようと、レイプをしようと、それを監視する立場のものが見てみぬふりをしていたのと、殆ど同じものである。しかし集団の幻想体系がここまでヒステリックに盛り上がってしまうと、それはもう手の付けようのないものとなる。これは単に精神的自由度において未熟な後進国家だから起こるという現象でもない。日本の大学の中で学生運動と称して暴れる若者たちの、破廉恥な習慣についても、これとレベルの大小はあれ、ほぼ同じものである。

左翼的集団性というのは、「公怨」を称してこのようにドメスティックな暴力的放出を、ガス抜きとして常に与え続けるものであるのだし、歴史的にも人間社会にとって、特に近代社会にとってのそういう性質の部分的なシステムであり続けてきたのだ。そして、この集団形成と別のところに「真の左翼」があるとか想像することこそがナンセンスであるだろう。左翼のシステムとは本質的にどうしようもなくこういうものであるのが実態である。左翼が人間社会の人間的なものに根ざしている限り、この体質が変更されるはずもないのだ。そしてこの人間性の外部にも左翼とはありえない。左翼についての幻想とは、一部の知識人や文化人によって連綿として投影されつづけてきた、歴史的な虚妄なのだ。

1848年から1968年を経て7.31まで続く左翼の時間性において、「レフトアローン」から本質的に抽出して見て取るべきものとは、そのような左翼にまつわる幻想形成の歴史についての、舞台裏であり、その向こう側に透かし見えるところの、人間たちの廃墟としての光景であるはずだろう。

左翼についてのこの本質把握がなくして、「倫理」などいうものについて語ることはできないし、そんなことをするのならば本当は笑止千万なはずである。自分が左翼に関わる、参加するというのにしても、何よりもそれはこのアイロニカルな本質を見て取るためのものである。そこに革命の未来などと嘯かれているものの虚構性をしっかりと把握するためのものなのだ。そして左翼にもし騙されなかったのなら、同時に右翼や国家主義に騙されるはずもないのだ。それは自由の前提のもとで。人間のどうしようもないシステムの構成における問題をはっきりとその目に知らしめるためにこそ、「レフトアローン」のような映画は肯定的に存在しているのだ。