真理を告げる嘘のチャイム

戦後のヒューマニズムは虚偽や暴力やといったものの責任を、人間性の内部にではなく、外部の制度に見出そうとしていた。本来的に善なるものとしての人間性を抑圧するのが制度であるという見方がひろく普及していた。その結果人々は、自らの善性を証すためにたえず反体制の構えでいなければならないという強迫観念にせきたてられることになる。

ヒューマニズム」が花開く状態、それが「平和」だと理解されていたという意味で、二つの魔語は手をつないでいたのであり、それらの魔語がキーワードとなって反体制の言葉が編まれていたのである。安保闘争が広大な裾野をもつ高まりとなったについては、本音からであれ建前としてであれ、戦後思潮がこれらの魔語の虜囚となっていたという事実を見逃すわけにはいかない。
西部邁 『六十年安保 センチメンタル・ジャーニー』 

人間性を巡る真理と嘘。この二項対立のアイロニカルに反転させる中に、西部邁的なもの、保守の論理として見出された人間的な形式主義とは、自己の論理的基盤として強固に根ざそうとしているのが見えるだろう。真理のように見えるものの中から裏に糸を張る嘘を見出すと同時に、反転によって、その表層的な形式の全体構造として、人間そのものをもう一度、愛の対象に引き戻そうとする。それは人間が常に、それでも延命していくための、技術的な知恵である。技術的な知恵とは、西部によればそのまま常に、歴史的で伝統的な知恵、不可視なものの時間的に蓄積された堆積として見出される、ある暗黙の深さの認識の共有として示されるだろう。

ここでこの真理と虚を巡る反転の図式を、もう少し原理論的に考えるために、次のような、スピヴァクの示したデリダ論によって鑑みてみたい。

「真理を告げる嘘」。これは、ラカンのフィクションに対する態度をあまりに明らかに示しているとデリダは感じる。デリダが「真理」(この言葉を使う危険を冒せるとして)を「フィクション」」(この言葉を使う危険を冒せるとして)によって構成されていると見るのに対して、ラカンはフィクションを真理への手がかりとして使用するように思われる。デリダの「真実の配達人」の中に、これに関するかなり詳しい議論がある。「哲学的伝統全体がしているように、ひとたび真理と現実を区別すると、真理が「フィクションの構造のなかで明らかになる」ことは自明なのだ。ラカンは、彼が一つのパラドックスとして提示する真理/現実という対立を大いに強調している。この最大限に正統的な対立はフィクションを通じての真理の通行を容易にする−常識は常に現実とフィクションとの間を分けへだててきたことになろうから」(「真実の配達人」)
スピヴァク 『デリダ論−「グラマトロジーについて」英語版序文』

デリダが『真理』を『フィクション』によって構成されてると見るのに対して、ラカンはフィクションを真理への手がかりとして使用するように思われる」という。真理の目的化、目的とされる対象を真理に措定するという主体性の構えを作り出すスタイルは、そのまままだ真理に暗黙の信頼の次元を寄せていることを示してしまう姿だと考えられる。もしスピヴァクの要約が正しいのなら、ラカンのまだ子供臭い仕種が残るスタイルに対して、デリダのほうが大人の解決だとでもこれはいいたいのだろうか。スピヴァクの要約の仕方がどのような意図に基づくものなのかというのは依然、謎が残るとして(必ずしもスピヴァクの見方は正しいとは思えなくとも)、もしフィクションに対しての、真理の優位性、あるいはメタレベル性、目的化的対象性、プロセス的内在性を含むものを見るということをもって、ある種の時代的な形而上学性の閉域を透かし見るものと、ここでは考えうるとするならば。

それではこのとき「左翼」的と見なされるものとはどちらのスタイルに依拠するものが大きいのだろうか。真理という概念的優位に暗黙に倣ってそこに目的論的プロセスを見出す志向だろうか。あるいは反転する図式と円環をそこに見ることによって、メタレベルの更に暗黙のメタレベルを不可視の地点に見据えるポジション−立ち位置を見るものとしての、デリダ的な脱臼であろうか。構造を認識論的に脱臼することの種類にも幾つかありうる。デリダ的脱臼とラカン的脱臼を比べたとき、どちらを左翼的なものと捉えられるのか、それかどちらのほうがより保守的なもの(con-servative)に寄与すると考えうるだろうか。あるいはどちらのほうが実践性に基づくと考えられるのか、どちらのほうが現実により近いと見なされるのだろうか。

西部邁的な物の見方に嫌われているものとは、スピヴァクによってラカン的なものとされているほう、前者のスタイルであるはずだ。デリダ的なフィクションの構成から見る形式主義的な世界観は、日本の中に伝統的に元からあったところの形式主義美学ともおおいに共鳴するところがある。デリダは日本的なものの形式主義における成熟的な思考と重ね合わせられる。このような志向は西部邁においてはどうなのだろうか。真理とフィクションという二項対立を前提としてロジックを組み立てる限り、これではすべてが西部邁的なものに絡め取られてしまうようになりうる。

言説における現実性として、保守的なもの、保守的な方法で存立される形式主義的な立脚とは正しいということになる。このとき保守的な構造とは、あらゆる構造論の中で優位に立つだろう。しかし、デリダ的などんでん返し、カラクリを見抜く思考にとって妙に面白い現象とは、このときすべてを覆いつくせるかのように見える構造的保守論の必然性において、「左翼」というのもまた保守すべき形式的対象の一つとして見出されてしまうということなのだろう。

実際、柄谷行人西部邁とでは、多くの部分において、論理的な前提となる物の観方において、重なるところがあるのだ。それは人間的なものの見方において、その裏を見透かされた部分においてである。一方においては、柄谷行人においてそれは左翼的な行動論理へと展開されるが、もう一方においては西部邁において保守的な論拠と右派的心情性へと展開する。

この両者にベースとなっているものとは、アイロニーについての処理の仕方である。人間性について底の深い闇を垣間見せるニヒリズムを巡って、一方では、外部のシステムの変更によって、そこに包まれる人間性の種類を別のものへと移行させようとする。左翼的行動によってである。もう一方では、人間性の罪深さの責任は、外部のシステムの変更によってはとても手の届かない内的な深さとして開き直る。しかし両者ともに共通してるのは、だから、人間について形式主義を擁護して完成させようというスタイルにおいてなのだ。

人間性の存在の根本を形式による構成と考える。この形式の外部に人間は見当たらないし、同時にしょせん、形式は形式であって、そこに内的な深さもない。形式は形式として平べったい延々とした表層によって構成されているにすぎない。この単純なカラクリに対して、それ以上に深遠なる真理もありえない。このようにして、認識論的に見出される底無しの深遠を切断しうるものとは、実践的な形式主義の論理となる。柄谷においても西部においても、この形式主義に対する向かい合いにおいてポジティブである。

柄谷行人が自分を左翼と謂う場合に「自分は、単に左翼であるのだ」という特徴的な自己規定の仕方が強調されていることに注意をしてみよう。このとき、単に左翼だ、というのは、自分は新左翼ではなくて、単に左翼なのだということ。あえて原則的な左翼なのだといいたいのだろう。理念の純粋性と理想性において左翼という概念を鑑みるとき、歴史的に存在してきたところの左翼という観念を原則的に保守するものなのだ、と本人はマニフェストしている。ということは、左翼というのが歴史的な時点において改めて、原理として見出されるとき、定義されなおされる時点というのは、その観念についての保守主義が発生している時間的なポイントだと見られる。これはサイクルを一通り通過してきた上での再帰的な点において、左翼という概念にもう一度、権力が付与しなおされているわけであって、単純に真理としての理念を仰ぎ見るというものでは既になく、真理と言われていたものが既に破壊されたプロセスを経て形式的なフィクションとしての現実性と等価性に再帰してきたときに、改めてその概念を自分は保守するというように選択された立場を表明しているのだ。

真理とフィクションも等価になってしまう、ニヒリズムの認識論的境界にまで達した後に、敢えて回帰する主体性としての倫理的ポーズとして、左翼という概念が保守的に自己を主張しに来ている。柄谷行人ニヒリズムにとってかくして、左翼とは最も保守的な選択肢なのだ。そこを外から見るものは決して間違えてはならない。柄谷行人のNAM的なる左翼選択にとって、彼がどれだけ現実に目の前には失敗を積み重ねようと、常にそれが『想定内』であったかのように振舞う理由もそこにあるだろう。

「形式化の諸問題」として見出される問題とは結局、アイロニーの問題であるのだろう。結果的に発生したアイロニーを巡る持て余しの問題である。アイロニーとは形式化されざる残余の領域に残ったものであり、同時にそれは個人の自由の領域にも深く根ざしている。認識上でも行動の上でも、アイロニーを飛び越え、システムに開放的な変動を生じさせうるとは、どのような事態をいうのだろうか。認識上形成される壁としてのアイロニーの形成を乗り越えて、システムのフォーメーションについて人々が自由に関われるようになること。それがシステム論上の問題でありつづけていることには変わりがないだろう。システムについて市民の側からのコントロールが取りやすくなるのと同時に、それは人々の繋がりの多様性も増すことができること。

そのような行動上の主体性について、今でも「左翼」とよぶことも可能なのだろうが、しかし左翼のシステムといえども結果的には、あまりに保守的なシステムであったことがもはや判明した我々の時代といえる。実際、左翼こそが、人間的な一般像としてのイメージの持ち方において、もっとも保守的であるといえる。左翼の提示する人間像こそが、人権のレベルも含めて、実は保守的なものだったのだ。もはや、人間主義というほど保守的に響く概念のイメージがあろうか。

結果的に見出されるものが形式主義的な組織論である限り、左翼の顔をしようと右翼の顔をしようと、それらはやはり、保守的な認識論上の連関に、自らの正当性としての形式のあり方を根拠づけているものであるというのが、実態なのだ。原理的に提示された形式を限りなく保守する営みを組織的に作り出すことの中に、社会の全体像をマクロからミクロへと反映させようとするのだ。これは左翼主義のシステム論的な発達にとっては、ある種の結晶化された極としてのシステム的実践を演じることになっただろう。

しかし、ニヒリズムからの再帰性として提示され、開き直らされた形式主義的な態度、形式主義的な実践性であるのだが、それは本当に開かれたシステムとして機能できるのだろうか。形式は形式として常に必然的であり、残り続けるものであるのだが、そこに形式主義的に開き直られた新たな壁を作ることなしに、これら形式の残存し乱立している中から、もっと自由でフレキシブルな連携を作ることも可能ではないのか。それは左翼的な組織論の主義にも右翼的な共同メンタリティーにも属さないだろう。(柄谷や西部のような。この二人の例によって語られる、システマティックな共同論のあり方というのは、要するに日本の特徴的なある過去の時代の面影を強烈に刻印付けているものであり、だからその時代の閉域にいまだ囚われているままなのだ。明らかなアナクロニズムといえるこれらは、我々の時代にとって柄谷と西部の呪縛といえるのだろう。)