解釈としての『人間的な、余りに人間的な』

西部邁は部屋の中で、スガ秀実を前にして親切に自分の過去を語っている。西部はスガを前にして語りながら、同時に嬉しそうな感じだ。若い頃の左翼的体験を前提として、結果的に「保守」という概念を見出したという西部邁の自説である。社会は本質的には変わらない、人間は本質的には変えられない、という風景の描写を一個の「センチメンタル・ジャーニー」として自分の体験してきた左翼=ブント体験について書き現した、西部邁の物の捉え方というのは、あまりにも文学的であることに、フィルムを観る者は明らかに気がつかされることだろう。経済学者というのが実態としてはかくも文学的存在であったのかという事実になかばは驚かされもする。

上機嫌に語る彼の口調は、それを意識してかしなくてかは知らないが、語尾に、なぁ、をつけながら話す、まさに「なあなあ」調の話し方だ。これがある時代の日本人的心性の特徴なのかもしれないし、彼の生い立ちとしての北海道的な田舎にあった共同性の意識の、それは名残なのかもしれない。むしろそういう調として謂われる語源となるところの起源がこの西部邁的な人のよさの性質に、日本人の歴史というものは持っているのだろうということに、改めて気がつかされるような感じだ。

この機嫌よく語る学者としての爺、西部邁にとって、彼が若い頃の話、特に北海道から上京してきて最初に大学で左翼に接触した頃の自己のプロセスとして語るものとは、その頃の自分が強度の吃音になった経験がある、どもりの経験者であるという告白である。おそらく東京の左翼文化の存在に彼が脅かされつつもそれの渦中に身を投じることによってそれを自分のものにしていった西部の精神的なプロセスにおいて、彼の語る若い頃の吃音体験の以前にはこの、なあなあ調の共同体的な愛情の支配する世界が彼のベースになっていたのだろう。そんなことまで窺わせる、映像の中の彼のイメージである。

(西部) ・・・そして出所した後、ある判断の下に左翼に対して"さよならバイバイ"をした後で、でも僕も不安だったから宇野経済学というのを1年間独学してみたけれども、何ひとつ自分の精神に突き刺さらない、あとは若干、いわゆるトロツキズムアナーキズムについても勉強してみたけれども、その時にはすでに私の精神の中では左翼思想はどんどん遠のいていくばかりでね。ともあれ、そうした方法では人間の欲望や心理、行動といった人間的な要素を考えることができない。ふつう人間的っていうと、素晴らしいことのように思われるけれども、醜い得体の知れない部分もあって、そういうものまで含んだ人間的な要素を左翼は汲み取っていない、ということは強く感じているんだけどねえ。
『LEFT ALONE』書籍版 西部邁×スガ秀実「綱渡りの平衡棒を求めて」

西部邁的なアイロニカルなロジックの反転によって、人間的なものの観念とはその裏を見透かされることになるのだが、それは逆に人間的なものの存在する必然性を強化しようとすることに繋がる。メタレベルの俯瞰が反転することによって、元にあった基本構造が再帰的に強化されるように、プロセスが仕組まれている。このようにして、敢えて、保守的なポーズを取ることによって、それを守ることが、人間的なものの実在にとって倫理的なのだということになる。

冒険の末に戻ってくる場所とは、物分りの共感する以心伝心的な共同性の中で回収されることによって、かくして歴史の反復とは、淡々とした現実的な平穏の中で静かに営まれる。このような人間的な存続の連鎖を記憶として記録しつづけ、語り伝えていくことが、現実的に類的な人間が存続していく移り変わりに対して、正確な立ち位置を与えつづけていくことができる。老獪な西部邁的な論理であり、彼が論理的に獲得した普遍性の立場である。

人間的なものの存在とは、どちらかといえば醜い。リアリズムとして与えられた性悪的なものの実在とは、逆に、倫理的な立場の確保としては、形式的な人間性というものの擁護へと向かうのだ。このようにして最も現実的で有効なる「政治」というのは完成される。理想によってではなく、理想観念との距離の置き方を教えることによって、現実的な人間共同体の統治、すなわち「国家」の統治というのを確実なものにしていく。