経済革命とコミュニズム

柄谷行人のヴィジョンにとって、共産主義革命とはもちろん経済革命である。資本主義の進化に適応できなかった宗教が−あるいは宗教の中の宗派が−自然淘汰されて負けて終焉してきたように、共産主義の存在においてもまさにその原理があてはまる。

しかし共産主義運動とはそれの始まった当初から、既に資本主義との協調、中庸しようとする路線とは常に存在してきた。時にそれは修正主義などと呼ばれ、正典=聖典としてのマルクスやレーニンの原理を外すものとして非難されたときもあった。そのような左翼の中の一部転倒した宗教性のばかばかしさ、「原理主義」的な回帰のばかばかしさも常に生じうるとはいえ、資本主義との中庸という意味では、正確には社会民主主義という勢力にまとまることによって、政治の全体的バランスを保ってきたといえる。

これら社民勢力、社民政治の必然性というのは、いつの時代でもあるものであり、それが純粋な原理性や理念性から見てどうだとかいうことで、そこの存立の現実性を疑うこともできないだろう。しかし「社民」という言葉を嫌った柄谷行人にとっては、ラディカルな変革原理として、そのような中途半端な中庸性が目論まれていたわけではないし、資本主義的なものと社会主義的な理念の間に妥協的な橋をかける技術をもってして革命的なものと想像したわけでもない。そのためには修正主義という昔懐かしき古典のような罵倒語さえも彼は引っ張り出して自ら他人に突き付けて使うことだろう。

彼の極端な原理的なものへの執念に異常とか病気性を見ることも可能だったろうが、単に資本主義の自己増殖原理の妥協としての道徳的な貢献、倫理的なスペースを設けるというのではなく、資本主義そのものの運動性への限界までの内在性によってそこに常に穴を開け続けられるような原理的な転倒性、対抗性の組み込みこそが柄谷に本当に目指されていたレベルであった。そんなものが主観の想像を超えて本当に存在しうるかどうかという現実的な問題は二の次にされたとはいえ、柄谷にとってそれは対抗ガン原理と呼ばれた。

資本主義原理の中に共産主義を原理的に組み込むこと。あるいは共産主義の中に資本主義を原理的に組み込むこと。資本主義が自己運動の過程を進むその道筋を忠実に辿ることによって、逆に資本主義構造自体が転倒されて穴を開けてしまうような、そんな原理的運動を組み込むこと。それならば単に資本主義と共存し共システム的に存在する共産主義というだけでなく(例えばアメリカと共に繁栄するような共産国家中国といった種類のものではなく)、梃子の原理によって常に資本主義に内在して住み着くことによって、資本主義の力そのもの、資本主義の持つポテンシャリティをそのまま共産主義の力に転換することができるような、そんな原理的構造である。

たしかに歴史的にここの時点に来て、共産主義とは資本主義との内在−システム性を実現しうるという新しい原理的なアイデアが出たのかもしれない。冷戦期のアメリカを中心とした西ヨーロッパ経済圏と東ヨーロッパの陣営が資本主義的メタレベルから見ると実は見事に相互補完的な共栄体制であったなどという事実性とは別の意味で、共産主義は新たな形式でもって、社会体における人間的自然として宿命的であるところの資本主義の必然性を自らに組み入れることの可能性が示された。柄谷において、あくまでもそれは理論的で理念的な仮説であったのだとしても。

歴史の原理からいえば、資本主義の進化に適応できない宗教的な精神体系は、まず自然淘汰される。それらは滅びるか、あるいは社会の中で絶対残余としてのカルト宗教化、カルト集団化することによって、そしてそれもまた一個の商品としてのシステマティックなカルト幻想化と必然的になることによって、残るかのどちらかである。我々に残された問題とは、それでは柄谷によってそこまで手を加えられた共産主義としてのNAM原理のことを、それでもまだそれを共産主義であるとか、左翼であるとか、解釈する必要があるのか、というところを問われるだろう。

柄谷は確かに共産主義に原理を書き加えた。しかしそれがもはや今まで歴史的に存在してきたところの共産主義とか左翼とかいったシステムと同じものといえるのだろうか?それは社会変革のツールとして何かの役に立つのかもしれないが、もはやそれは左翼という必要もなく、過去の左翼の歴史の連続性上にあるというものというより、むしろそれとは反対の形で存在するものであり、もしそこの原理的ツールを現実の社会運動に結びつけたとはいえ、それは別に「左翼」ではない、ということにあるのではなかろうか。(むしろ柄谷の作り上げてしまったものを、従来の左翼と勘違いして一緒に扱うと、そこで発生してしまう恐ろしいフリクションに、そうする人たちは悩まされることになるのではないのか。そういう厄介さを舞台に柄谷は持ち込んでしまったといえるのではないか。)

それでは共産主義と資本主義をお互いに取り込む可能性の中心とは具体的には何だったのだろうか。柄谷の考えた経済革命としての共産主義実現論の中心には、新しい通貨の発行がある。中央発行の基軸通貨に対抗しうると仮定された新しい通貨とは、自律分散型市場の構築を前提としたものである。具体的にはLETS地域通貨市民通貨などと呼ばれることになる。このうち、地域通貨と、その活用形としてのLETSというシステムは実際に運動上は実在している。しかしその現実上の貨幣としての実効性についてはいまだに実験上の段階であり、そこに確実な信用が与えうるとはいえない。

柄谷行人のプランとは、LETSの発行を軸とすることによってそこにコミュニズムを成立させるということにあった。これは単なる共産主義ではなくて明らかな経済革命である。自立分散型の貨幣の発行を現実に成功させることにまず意義があったはずだ。自律貨幣の存在を核にして構成される自律経済圏の存在とは、国家と資本のコントロールからも自律し、そこに対抗することができると考えられるようになる。新しい市民的な貨幣を発行させることが、大規模な対抗運動を可能にするだろうというものだ。

そのような経済的対抗=革命運動にとって大いなる目標とされたものとは、それによる反戦決議の実現である。しかも反戦決議を「非暴力」の運動によって実現すること。市民的かつ対抗的な経済圏が、国家的=資本的な経済圏の支配力を何パーセントか奪えば、それによってある種の大企業の商品購買をボイコットできるだろうと考えられた。つまり戦争加担企業のボイコットを、自律通貨の経済圏が可能にする。この対抗経済圏が全経済流通量のXパーセント握れば、国家の戦争執行の阻止、反戦を真に実現しうる。そしてこれは経済的な購買運動=消費者運動によって可能になり、非暴力的な手段で実現しうる、また国会の議決戦にも先行してそれを実現しうると考えられた。そして反戦決議の実現の延長上には、更にもっと大きな目標、『資本と国家の揚棄』というテーマがそこには横たわっていた。