主体性は強度を求めて荒野を目指す

松田政男−1933年生まれで日本の左翼現代史についてその生き証人ともいえる、活動家であり評論家であったこの人は、フィルムの中で元気な姿を見せている。もう七十を超えているこの老左翼人は、昔ならば確実に老人といわれただろう人生の境位に到達しているにもかかわらず全く若々しい。そしてその喋り口も旺盛である。池袋の蕎麦屋にてスガ秀実松田政男の対論が執り行われる。夏の日の夕刻である。外はいつまでも明るい。しかし冷房で涼んでいるのだろう蕎麦屋の内側は妙に落ち着いている。

池袋の夏の夕刻の騒々しさを逃れてひっそりと、そこだけ歴史を振り返り語りだすに相応しい静けさを確保している。板橋区の高校を出て以来共産党をはじめずっと左翼の人生を、活動家からはじめ、日本赤軍との付き合いまで続けてきたというこの老人は、酒の力も手伝ってか、歴史を語りだすための絶好の説話論的磁場を獲得しているように見える。

池袋の隠れ家とも名づけたくなるような一画で、昔懐かしき都市にあった官憲の筋肉質に監視を張り巡らせる仕種からも離れ、強張った記憶からも今は自由になって。スガ秀実に向かって上体を前に出して語りだす老左翼の身体はちょうどよい潤いと息吹を帯びている。

(スガ) 60年以後、いかにして党としてのイデアの領域を壊し、疎外論的なロマンティシズムを切り捨てるかというモティーフが、革共同に合流しなかったブント残党の中にあったのではないか。それを哲学的に表現したのが廣松渉ではないかと思いますが−−廣松の論の全てが正しいかどうかは別にして−−疎外された人間に対して、疎外されていない主体的な組織としての前衛党=プロレタリア的人間という対置の仕方で運動がなされるのでなく、疎外という概念それ自体を一度取り払った地平で、戦術的に直接行動なら直接行動という形で運動が行われざるを得なかったというのが、68年前後からの流れだと思うんですよ。つまり、67年の10.8ぐらいまでは基本的に党が指導しているわけですが、それ以後はノンセクトの直接行動が全面化するわけですね。それは基本的に運動としての疎外論批判じゃないかと僕は考えているわけです。−−それで松田さんは最初に革共同にシンパシーを持ちつつも、場所の論理というものに対して違和感・疑惑を持っておられ、その後は別のほうに旋回していくのは、アクティヴィストとして、どこか疎外論的なスタイルではやっていけないと考えていたんじゃないかと思うんですが。
『LEFT ALONE』書籍版 63P 松田政男×スガ秀実「日共体験・直接行動・第三世界

戦後の日本でまず大学の学生を中心にしてある種の啓蒙主義の流行がおきている。学生は文学や思想の本を手にして自分たちが進歩的であるためにどのようなスタイルで生きるのがよいのかを語り合う。そして大学のもう一方では資本主義の体制的な整備が、戦禍からの復興もかねて地域的に進行していき、日本の資本主義自体の回転速度も高度化していく。日本中どこもかも資本主義的生産様式によって町の構造から人間の関係の仕方までが、近代化を確実なものとしながら明瞭にされていく。労働者という人間の把握の仕方は現実的で合理的なものとして当然のものとなる。

一方では資本主義化を急速に完成させていく日本の社会の中で、労働現場の中で搾取にさらされる人々の存在がある。労働搾取や差別の発生とは−あるいは差別自体は大昔からあったものだとしても、差別を捉え認識するところの人間学的スコープの一般化により−非人間的な行為として認識されて告発することが可能になっていった。単なる漠然とした個人の存在から、そこには理性的に媒介された人間的な個体の存在が示された。もう一方では比較的豊かな階層としての学生たちの存在があり、そこには文化的な先進性の享受としての人間的なもの、そして自立した個人とは何か、という問いかけを巡っての、主体的人間像というのが、まず最初に顕彰され、それが前衛的で進歩的な文化的人間像として広まったのだ。

これら「人間的」な意識の、戦後の豊かに成長していく日本社会を背景にしての顕彰とは左翼的人間像のスタイルというのも編み出し急速に増殖して広まっていったものだ。人間的であるとは果たしていかなることか?このような問いを巡って啓蒙的な議論が戦わされたのだ。人間的であることとは、まず理性的な存在であることである。知性的な存在であることである。差別をしないことである。労働や努力に価値をおくことである。自立した個人であることである。

それでは自立した理想的な個人であるとは、どのような人間であることをいうのか?それは主体的な個人、理性から知性の力をえることによって、主体性を獲得した個人のことであるというように時代的論調はじわじわと沸騰していくのだ。

そのような「若者たち」が語り合う風景とは同時に、蓋を開けてみれば謂い争い、諍うものたちの姿でもある。何が最も啓蒙的であるのか?啓蒙的であるものとして最も正しいものは何なのかという競い合いにまで結果的にそれらは純化され、単に思想、文学的問題だけでなく、芸術の話から経済の話、日常生活の話から性の話まで、求心力を持ちつつ一元的に巻き上げていく。競争を資本主義的な派生の見せ掛けとして告発しつつも、それらはまた別の形での競合の形式に、素直に、無防備にも、純粋にもそれこそ人間的に巻き込まれていくのだ。

もはや時代がここまで全体として共有される幻想の沸騰を迎えてしまえば、このような時代の到来に対して固有の誰が、対象としての何が、責任があったのかということさえも識別することは困難だっただろう。社会の全体像を見よう、から与えようという探究の営みとは論争形式に収斂されつつ、それらのものでも最も正義であるものとは何か、一番人間的な強度を与えうるものとは何なのか、さらにいえば啓蒙主義の中でもその啓蒙王とは何なのかを巡ってエスカレートを増したのだ。

それらすべての現象をさして人間学的な時代の全貌を見るものになったのだろう。これら人間学主義を根拠付けているものとは、そこで示される人間性にまつわる影の部分、疎外されたものの実在である。人間性と疎外されたものとはペアとなって自らの人間学主義を完成させる。かくしてヒューマニズム啓蒙の現象的流行の次には疎外論の時代が来るのだ。